稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

デリカスターワゴンのヘッドライト切れ

2018年11月30日 | バイク・クルマ
11月28日、水曜日のことである。
夜、稽古に行こうと車のエンジンをかけ、ライトを点けたが暗い。
どうやら左右のヘッドライトが両方点いていないみたいだ。

あれ?ヒューズ切れなの?と思って、最寄の修理工場に運んだ。
黄色いフォグランプだけでは暗いので慎重に運転する。
フォグランプは懐かしのマーシャルのフォグランプだ。

見てもらったらヒューズ切れでは無いとのこと。
しかし、両方のライトが同時に切れることも無いと思うので、
もしかしたら何か別の原因があって、古い車ゆえに案外これは重症かも、
いや、それよか今夜は稽古に行けないやん・・・

と思ったていたら、修理工場の代車を貸してくれた。
こういう時は最寄の修理工場と仲良くしてると融通が利く。

代車はダイハツハイゼットバン、どノーマル。
しかしこれが案外よく走る。非力だが昔の軽バンとは大違い。
「次は軽バンもいいなあ~」などと思って乗っていた。
高級車よりはチープな車のほうが好きである。

翌日、直ったと連絡があったので、さっそく取りに行くと、
両方とも球切れだったとのこと。
ということは、しばらく片目で走っていたらしい。いつからかわからない。
11月18日に川上村まで乗って行って夜も走ったが気付かなかった。
たまにしか乗らないデリカだが、気付かなかったのはちと恥ずかしい。

修理代はオマケしてもらって4000円ちょうど。
旧車ゆえ、今度から、始業点検は時々やっておこうと思う。


(フォグランプだけ)


(フォグランプ+ヘッドランプ)


(横から、フォグランプだけ)


(横から、フォグランプ+ヘッドランプ)


(代車のダイハツハイゼットバン、現行のデザインよりこちらのほうが好き)

デリカスターワゴンのフォグランプは、
ノーマルより思い切って下を向け、僅かに外側に向けている。


(下向きのフォグランプ)


(少しだけ外側に広げている)

拡散型のフォグランプで遠くを照らす意味も必要性も無い。
雨の日や夜道、特に山越えの道では、近くの側溝を照らしてくれるほうが安心だ。
対向車が眩しくないという利点もあるので最近は頻繁に点灯して走行している。
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稽古のあとは祝賀会(木曜会、2018年11月29日)

2018年11月30日 | 木曜会(誠先生の剣道教室)
四條畷市立四條畷西中学校の体育館。
本日は19時半から。今年40回目。参加者20名ほど。

稽古終了後、昇段審査の祝賀会があるので電車で来た。
事務所から住道駅まで2キロを歩き、住道駅から電車で忍ケ丘駅、
忍ケ丘駅から四條畷西中学校まで歩いて1.5キロ。
きょうは防具も剣道着も持ってこなかった。

基本打ちのあとは1分半の回り稽古。
私は別枠でO野君の個人レッスン。
竹刀は先輩の竹刀を借りた。

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以下、部分的に聞き取れた部分のみ書き記す。

昇段審査で大切なところは相手の気を乗り越えること。
相手が出てこない時は、まずは中心をしっかり取る。
つまり相手が出にくい状況を作ることが大切。
この相手が出にくい状況から、相手が出やすい状況を作る。
つまり、しっかり中心を取ったところから、右足を出しながら、
身幅分、剣先を外したり、相手の鍔元を攻めてみたり、
少し剣先を上げたりして打つ機会を自分から作るのである。
各自で工夫すること。

七段受審で不合格でしたという人から送られてきた動画を見ると、
安易に間合いに入ってしまっていることが多い。
そうなると、打ちたいけれど打たれたくも無いという心理状態になり、
一歩攻め入ることも出来ずに中途半端なままで打ってしまうことになる。

触刃から交刃のところでしっかり構えを作ること。
交刃のところで仕掛けることを意識する。
触刃から交刃までフワフワ~と入っていってはいけない。
八段を目指すなら触刃交刃での構えを意識すること。

出小手は相手が面を打って来なければ打てない。
相手が面を打ってくるように仕掛ける。


(近い間合いからゆっくり振り上げて)


(体幹を崩さずに打ち込む)


(1分半の回り稽古)










(稽古終了)


(祝賀会は忍ケ丘駅近くの焼き鳥屋)


(終電に間に合わない~~~!という時間まで飲んでました)


【感想・反省点】

初心者指導は先週とほぼ同じ。
祝賀会は六段合格のI田さんを囲んで。
実に五段合格から38年かかったそうな。
剣道談義は尽きず、楽しい時間はあっという間に過ぎていく。
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長正館定例剣道稽古(2018年11月28日)

2018年11月29日 | 剣道・剣術
大阪市東住吉区の矢田中学校の体育館で19時半から。
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【長正館練習生募集中】
初心者、経験者を問わず練習生募集中。
レベルに応じて個別指導を行います。
詳しくは長正館ホームページまで。
http://www.doujyo.net/choseikan/
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夕方からの雨のせいか、急な欠席もあり、集まりが悪く、
子供2人、大人6人の計8人。今年最少タイ記録。(タイ=tie=「同点」)
19時40分頃~20時過ぎまでは準備運動と基本稽古。
20時過ぎから21時過ぎまでは自由稽古。

子供は打ち込み稽古を中心。

Tちゃんは基本稽古の時に小手打ちが引っかかって、
うまくいかなかったが、自由稽古でやらせてみたら上手に打てる。
小手の打ち間と面の打ち間の違いがわかればすぐ出来る。

T君は、切返しで引きながらの左右面の時に手と足が一致しない。
ゆっくりやれば出来てくる。焦らないことが肝要である。

途中でT君に「木刀による剣道基本技稽古法」の一本打ちを少しだけ。
慣れないので少し間違えて教えてしまった。来週訂正しなくちゃ。


(準備運動)


(素振り)


(基本稽古)


(木刀による剣道基本技稽古法)


(K川五段とK部五段)


(稽古終了)


【感想・反省点】

K川五段は五段をいただいてから滅法強くなった。
いままで自信が無いのが垣間見えたのだが、思い切って打ち込んでくるようになった。
段が剣風を育てるとでも言うのだろうか。昇段というのは大切である。

K芦五段は、左足の向き、右手の握り方を特に厳しく指導した。
これを直さないと、どうしても体軸がブレた打ちになってしまう。
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No.34(昭和61年11月14日)花嫁のかんざし

2018年11月28日 | 長井長正範士の遺文


もう一つ、話のついでに、面白い話を書いておく。
「花嫁のかんざし」とでも題しておく。

昔ある村に評判高い親孝行の花嫁がおりました。
最愛の夫は勿論のことですが、姑を大事にすること、それはそれは至れり尽せりの仕えようで、
姑も大変よろこんで、近所へ出かけては、わが家の嫁を自慢するのが楽しみの毎日でありました。

所が何事もうまくはゆかないのが世の中の習いで、年老いた姑が、不運にも眼病になり、
眼がかすみ、物がボーッとしか見えず、立ち居ふるまいが不自由になりました。
幸いにも近くに眼医者が居るのですが、
当時は治療代や薬代が大変高いので貧乏な家では医者にも行けず、
困った挙句借金して診て貰うような有様で、姑の家も夫の収入は少なく、
急にと言って、大金を都合つけるわけにもいかず、夫がどうしたらよいかと、
いろいろ悩んでいる姿を見て嫁は思い余って夫に『お前さんに相談あるんですが、
実は、わたし、ここえ嫁入りする時、さとの母から貰いましたお金があるんです。

母が言うにのには「若し旦那さんに若しもの事があった時に使いなさい。
お前が旦那さんの為にお役に立つ時まで、黙ってしまって置きなさい」と言われ、
今日までお前さんに黙ってかくし持っていたのですが、
どうでしょうお母さんを見ていると如何にも可愛そうに思いますので、
お前さんさえ承知して貰えばこのお金をお母さんの眼薬代に使おうと思うんですが』
と言いましたところ、夫は「すまん、自分が甲斐性ないばっかりに、
折角お前が持参したお金を使わせてもらうなんて申訳ない。
すまんが母のため、自分の方から頼まにゃならん立場、よろしく頼む」と頭を下げられ、
嫁は『まあ頭を上げて下さい勿体ない、お前さんの大事なお母さんは、
わたしにとっても大事なお母さんですもの、このお金をお母さんの為に使わして貰います』と、
よろこび勇んで、明くる日、おばあさんを連れて眼医者さん所へ行きました。

医者はお婆さんのみすぼらしい風体を見て『お婆ちゃん、お金持って来たか』
と尋ねましたがお婆ちゃんは耳が遠いので何だか判らんがふんふん言うて、
後ろの嫁の方を向いて指ざしたので、
医者は成程、嫁がお金を持って来たのかと判断して早速お婆ちゃんの眼を薬で洗い、
あとで医者が言うのには

「お婆ちゃん、あんた耳遠いようだが、しっかり聞きや、
この粉薬(昔は水薬はなく、粉薬であった)はえらい高いんや(高価)で、
大事に持って帰ってや、そしてなー、あんたとこの花嫁さんのかんざしがあるやろー」

『ふんふん』「そのかんざしのの先に耳そうじする耳かきがついてるやろー」
『ふん判ってる』「その耳かきでこの粉薬を一杯すくって、眼尻にさすんや、
そうしたら直るよ判ったなー、高い薬やから、こぼさんと持って帰りや」と言うて聞かしました。

お婆さんはよろこんで治療室から出て、外で待っていた嫁にお金を払わし、
わが家へ帰るなり、嫁にかんざしを出させ、何を思ったか、姑は嫁に向かって、
尻をまくって向うむいて四つんばいになれと言ったので、
嫁はびっくりして、どうしてわたしが、お尻をまくって四つんばいにならにゃいかんのですか、
わたしは死にたいくらい恥ずかしいですわ、腰巻をまくって、
お尻を丸出しにしてお母さんにお見せするなんて、
今迄は何一つとしてお母さんに、さからった事はありませんでしたが、
こればっかりはおゆるし下さい。

とひたむきに涙を流して頼みましたけれども姑は聞き入れません。
若しお前が尻を

(続く)
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No.33(昭和61年11月7日)少年に対する話術について

2018年11月27日 | 長井長正範士の遺文


○少年に対する話術について
少年に対する話は、要点だけ言うと、味気も無く興味も沸かず、
積極的に理解しようとしないものである。

之が為、私はあの浪曲や音頭のように最初枕言葉から入ってゆくよう絶えず心がけている。
例えば浪曲で廣澤虎造が、森の石松、讃岐の琴平代参の下りでは先ず
「ここは名におう東海道、三国一の冨士の山~~~」から、
やがて本論の森の石松に入ってゆき、本論の中にもユーモアを混じえ、
最後に「丁度時間となりました、このあとの成りゆきは、又の機会のお楽しみ、
先ずはこれにて・・・」と本論の余韻を残し、落しに入って終る。

又、河内音頭の河内十人斬りの物語にしても、
最初から本論に入らず「えー さては一座の皆さんえー ちょいと出ました私も、
お見かけ通りの悪声で(囃子)七百年の昔から歌い続けた河内音頭にのせまして、
精魂こめて歌いましょう・・・」と始まり、大和河内の国境、金剛山、
赤坂千早の城の跡と物語り、時は明治26年5月26日の夜、水分村に住まいする、
松永伝次郎始めとして十人殺しの大事件と、
リズムに乗せ乍ら本論に入ってゆき最後に十人斬りの頂点まで、
聞く者、踊る者を引きつけ魅力し、惜しいところで落しにかかる。

「次なる先生におゆずり致す、それでは皆さん左様なら。と落す。
これが話術であり、芸術の妙味と言えよう。
このように私は基本的な話術をいつも念頭に置いている。

例えば誠の話であるが、指導者に対しては№12に詳細に書いておいたが、
それを幾ら少年に判りやすく解釈して話しても、大変むつかしく、
何のことか判らずじまいで退屈してしまうから何の役にも立たないのである。
次に誠を表現するのに一つの昔話としておきたい。
これは有名な伝説で、今も語り伝えられている。

越後の花嫁。肉づきの鬼の面の物語。昔々、越後(新潟県)に大変信仰の深い花嫁がおった。
毎夜毎夜お寺参りするので姑は夜なべを嫁にさすことも出来ず、
内心腹だたしく思っていたが遂に辛棒出来ず、或る夜、鬼の面を持ち出し、
嫁がいつもお寺参りに行く通り道の竹やぶの中にかくれて、嫁がここを通る時、
鬼の面をかぶって飛び出しておどろかしてやろうと待ち構えていたところ、
案の定、前を通りかかったので、さっと飛び出しておどろかした。

嫁は驚くどころか鬼の面に向って言った。
「呑(の)めば呑(の)め食(は)めば食(は)め、誠の信に食ぶ(刃部)は立つまい」
と言って従容(しょうよう)として過ぎ去り、お寺参りに行った。

あとで姑は嫁をおどろかしたが、
こたえず無念に思い乍ら鬼の面を取ろうとしたが顔の肉がひっついてとれない。
結局(註:原文は結曲)無理してはがしたが、その面の内側に肉がひっついていたのである。

以上があらましの話であるが、これを少年に話をするのに、このまま話をしても味がなく、
かえって少年にはむづかしいので、これを話術を以って剣道で大事なことは誠であること。
この誠を表現するのが剣道であると言う事を、この話で理解さす為、
如何にうまく少年を引きつけ感動させてゆくか、一つに指導者の話術如何による。

このように例え話を交えて善導すること肝要也。
(この物語りは私が小さい時に聞いた話で、一部違う所はあるかも知れませんが、
物語の本旨は変らず誠の大切さを知って貰いたいと思っています。)

続く
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長尾の滝(天龍院)に向かってみたが(2018年11月25日)

2018年11月26日 | バイク・クルマ
以前から、東大阪にある「長尾の滝(天龍院・八大龍王尊)」に、
行ってみたいと思っていたのでバイク(ヤマハ バンバン200)で向かってみた。

近鉄奈良線の石切駅の標示板を見ると「長尾の滝」とある。
隣の額田(ぬかた)駅から東へ山を登るコースだ。
酷道と言われる奈良越えの国道308号線の北側である。

額田駅を登るところから「これは無理かも・・」と思い始め、
結局、苔でタイヤが滑った地点で長尾の滝は断念した。

ここを登るには本格的なオフロードバイクか、取り回し易いカブが良いだろう。
若い頃はケモノ道までバイクで入って行って遭難しかけた事もあったが、
もうそんな無鉄砲なことをするような年では無い。
仕事もあるので、さっさとUターンして職場を目指した。

下り坂途中で側溝にタイヤを落した乗用車を救助。
ここは車で来るには大変過ぎる道である。


(石切駅前の案内板、額田駅の上に「長尾の滝」とある)


(まだ行けると思えるが、苔でタイヤが滑ったのでこの地点であきらめる)


(23日に取り付けたナックルガードの調整も兼ねて)


(バイク用のナビには「正覚寺」とある)


(案外、あきらめの良いほうかも知れない)


(脱出後の乗用車、左側の側溝にはまっていた)

車を押していたら汗だくになってしまった。
次回(未定)はバイクを途中で置いて歩くか、電車で来るつもり。


(職場到着後にグーグルで確認・・長尾の滝のある天龍院は、まだまだ奥である)

以上、仕事前のミニツーリングでした。
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生駒市武道館、玄武館と宝剣会の稽古(2018年11月24日)

2018年11月25日 | 剣道・剣術
往馬玄武館のK川さんに頼まれた物があったので、
往馬玄武館の稽古場所の生駒市武道館まで行ってみた。

届け物を届けるだけで稽古はする気は無かったが、
防具も竹刀も常に車には積んでいるので途中から稽古に参加した。

夕方からは長正館の一刀流の稽古だったが、
急ぎで出荷しないといけない仕事が突発的に入ったので休んでしまった。
一人でやってる仕事なので急な仕事に替わりはいない。これは仕方の無い悩み。

夜は同じ生駒で宝剣会の稽古。参加は4人。
お互いに手の内はわかっているし、剛剣、難剣揃いで苦戦の連続。
夜の生駒は冷え込むのだが思いっきり汗をかいてしまった。息も絶え絶え。


(朝の9時半頃に行ったら、ちょうど稽古が始まったところだった)


(稽古は私を入れて8人)


(夜は撮影禁止の宝剣会)


【感想・反省点】

往馬(いこま)玄武館は基本稽古の最後から参加した。
回り稽古では出来るだけ崩れないように意識した。
先日の川上村の反省もあるので、
時々は構えたところからそのまま面に打つように意識してみた。
打つ姿勢の途中で、微妙に体軸がスレこむような感覚が残る。難しい。

---------------------

夜の宝剣会は、いつも石丸師範から強烈な右胴を打たれるので、
事前に、右脇腹の稽古着の下に、膝用のサポーターを忍ばせた。
少し大きいのだが、膝のサポーターは右脇全体を覆う。
これならいくら右胴を打たれても肋骨(あばらぼね)を折られることは無い。
(何回も肋骨を折ったりヒビがいったりしてるので恐怖がトラウマになっている)

準備万端なので、石丸師範には何回も面に飛び込み、何回も胴を打たれた。
石丸師範の胴打ちは「よくぞこんな近間で胴が抜けるなあ」と感心する胴だ。
近間から始まり近間の返し胴の嵐である。

最後は気の緩んだところを出小手に取られた。
この気の緩む一瞬のところを見逃さないのはさすがと言うしか無い。
近間から始まる剣風で、目指している剣道とはほど遠いが、それでも得るところは多い。

稽古の途中から右足の踵(かかと)が痛くてまともに歩けない。
家に帰ると右足の踵(かかと)はパクッと割れていた。痛いはずだ。
アロンアルファーで補修しておく。冬に瞬間接着剤は欠かせない。
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バイク用のナックルガードの取り付け (2018年11月23日)

2018年11月24日 | バイク・クルマ
amazonでバイク用のナックルガードを、送料込み1280円で購入した。
「バイク 汎用 カスタム ナックルガード ナックルバイザー ハンドガード
ハンドルカバー 風防 雨除け 防寒対策 黒色 ブラック 大サイズ」
という長い商品名だ。正式名称、メーカー名、品番は無さそうだ。

翌日届いたが、取付用の部品が入っていない。
なぜか問い合わせも出来ないのですぐその日に返品し、
同じ商品を別のショップで1980円で購入した。


(今回購入した、汎用ナックルガード、1980円)

実は、昨年に大きなハンドルカバーを買った。
さすがに包み込むタイプは暖かい。真冬でも薄手の手袋で大丈夫なのである。

ところがいちいちハンドルカバーの中に手を入れるので即応性に欠けるのと、
まだまだバンバン200の操作に慣れていないので、スイッチが見えないのは不安である。
現にクラクションをのスイッチが指先で探れなくて鳴らせなかったことがある。
あと、実用的な大き目のハンドルカバーはどうしても不恰好なのである。
ガチッとした取り付けが出来ないのでフワフワな不安定さも好きではない。


(昨年買ったハンドルカバー、ラフ&ロード RR5917 送料を入れて、6508円)


今回購入した半球状のナックルガードだと、確かにハンドルカバーほどでは無いが、
そこそこ風除け効果も高いし、直接風が指先に当たらなければ、
厚手の手袋をすれば少々の寒さでも大丈夫だと思ったのだ。

ハンドルカバーとは違い、ガッチリ固定できる安定感も好みである。


(取り付ける前に腹ごしらえ、ここは隠れた街の名店である)

中華料理宝「天宝」
大阪府東大阪市吉田下島9-18
072-966-7560 (駐車場は無い)


(何にしようか迷うが、自分的には豪勢な「から揚げ定食1000円」にした)


(から揚げ、かに玉、エビ天、揚げギョウザ、マカロニサラダ、スープ付き)


(から揚げだけでもボリュームがあって大満足、スープがしょっぱめだった)











取り付け作業は東大阪の事務所。
バイクはヤマハのバンバン200。

取り付けは、元から付いているハンドルエンドを外し、
キャップブレーキを緩め、取り付け部品をはめ込んで位置を決め、ボルト締めするだけ。

と簡単そうだが、私の場合、ハンドルエンドがなかなか外れなかったのと、
取り付け部品をハンドルに挟み込んだあと、ボルトが反対側に貫通しないので、
少し穴を広げて力任せに作業した、というのが苦労と言えば苦労かな?

取り付けた後、自宅に帰るのに生駒の山越え。
気温は山の上で6度の表示だったが、取り付け前とは雲泥の差で効果は抜群!

手よりも、膝と太ももが寒かった。

原則的に気温5度以下なら凍結の危険性があるのでバイクに乗らないし、
長距離長時間を走る際、どうしても指先が寒ければ、インナー手袋をするか、
USB電源を使った、ハンドルウォーマーを取り付けるか考えようと思う。

汎用なので、少し無理やり取り付けた感もあるが柔らかい素材なので大丈夫。
1980円という値段を思えば、とても良い買い物をしたと思う。

安くて優れもの。お勧めの一品である。
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相手を見失うことのない残心(木曜会、2018年11月22日)

2018年11月23日 | 木曜会(誠先生の剣道教室)
四條畷市立四條畷西中学校の体育館。
本日は19時半から。今年39回目。参加者20名ほど。

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最初は面を着けずに竹刀だけ持って集合。
打突についての注意。当てに行こうとするのではなく確実に打つ。
振り上げて振り下ろすだけ。それに身体の平行移動が伴うだけ。
直線的に手だけで(左手を上がずに)当てにいっては滑ってしまう。

全員で素振り。
打った時に右手を左手位置まで滑らす大素振り。これはリズムよく。
前進後退正面打ち素振り。
これも打った時に右手を左手位置まで滑らすが剣先が走るように。
打った時にアゴを引いて剣先と顔が遠く離れるように。

-------------

以下、引続き、別枠で初心者O野君の指導ゆえ、
部分的に聞き取れた部分のみ書き記す。

---切返しについて---
切返しは体(たい)の運用による切返しをすること。
飛び上がって、あるいは沈み込んで(左右の面を)打ってはいけない。
足を出して打つ(右足を出して振りかぶり、左足を引きつけて打つ)ように。

---残心について---
残心は、打ち抜けて、相手を見失うようなことはしてはならない。
(打ってそのまま背中を見せて抜けていく基本稽古によく見受けられる残心)
または打ったあと抜けないで相手ともつれるようなことでもいけない。
特に六段以上の昇段審査では残心は重要になる。肩残心、引き残心をするように。
また、打たれてはいけないと、試合のように打ってから、
姿勢を崩して(例:身をかがめる)防ぐような打ちはしてはならない。
審査は試合では無い。

---面打ちについて---
基本打ちは丁寧にすること。ゆっくり1、2、3のリズムで正面打ち。
1、2で入る。3は攻め足でもあり、溜める足でもあり、探り足でもある。
この右足の使い方で剣道はより深いものになる。気剣体の一致にもつながる。
相手の気や心を動かすのも、捨て切った技が出せるのも右足の使い方による。

---立合い稽古(1分半の回り稽古)---
残心、間合いを大切に。


(丁寧に準備し、打って、肩残心、引き残心の説明)


(最後の回り稽古、1分半を6回)


(七段同士の立合い)


(右側の右手の竹刀の持ち方が気になったので撮影してみた)

竹刀を横から握るクセがあると中心を取ることも難しい。
上の写真でも打ち間にありながら中心を取らないで相手の打つのを待ってしまっている。
理屈ではわかっているが、身体の反応が昔に戻ってしまうのである。


【感想・反省点】
------------------------------------------
初心者指導は前回と同じで、打った時に右腕を伸ばし床と平行になること。
前傾はしないで上体は起こしたまま打つこと。手と足の動きを一致させること。
すべてリズム良く行うこと。以上を重点指導し、今回は面を着けてみた。
------------------------------------------


(初心者のO野君、構え)


(振りかぶって)


(面を打つ)

O野君、進歩は遅いが確実に前進しつつある。
しかし面を着けると以前の悪いクセも出やすくなる。
次回も続きをする予定。出来れば切返しを教えたい。

最後の回り稽古で、六段審査に落ちた者2名を注視してみた。
1名は、構え、特に竹刀の握り方が横握りなのと、右足がまったく使えていない。
何となく間合いに入っていってるような感じがする。そこに意思と意図が感じられない。
もう1名は、きれいに攻め、打突するのだが、そこに気迫とキレが無い。
基本打ちで出来ていても、立会い稽古でうまくいかない。
意識の持ちようとたゆまぬ努力が必要なのである。

最後にオーストラリアのT村さん、六段審査合格の報告があり、
擦りかぶりの重要性、意識の持ち方などの話があった。
祝賀会もあったが、車で来ていたので今回は残念ながら欠席した。
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長正館定例剣道稽古(2018年11月21日)

2018年11月22日 | 剣道・剣術
大阪市東住吉区の矢田中学校の体育館で19時半から。
----------------------------------------


【長正館練習生募集中】
初心者、経験者を問わず練習生募集中。
レベルに応じて個別指導を行います。
詳しくは長正館ホームページまで。
http://www.doujyo.net/choseikan/
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集まりが悪く、子供3人、大人5人の計8人。今年最少記録。
19時40分頃~20時過ぎまでは準備運動と基本稽古。
20時過ぎから21時過ぎまでは自由稽古。
最後にT君に「木刀による剣道基本技稽古法」の一本打ちの技を少しだけ。
次回からはK君にも木刀を持ってくるように指示した。


(準備運動と素振り)


(いつもより念入りに基本を行う)


(Tちゃんは、一人で面を着用出来るように特訓)


【感想・反省点】

K芦五段は今回も六段に不合格だった。
手ごたえはあったと言う。有効打突も何本もあったようだ。
言葉どおりとすれば、問題は、品位、風格、位(くらい)である。

構えの姿勢、胸の張り方、打ったあとの抜け方、振り向き方、
構え直す時のふるまいなどなど、まだまだ課題は多いと思う。

一刀流の稽古の時、漫然と稽古するのではなく、
構える時、前に出る時、下がる時、常に、品位、風格、位(くらい)を意識し、
また、剣道の切り返しの受け方でも、腰を入れて、陽と陰に受けるよう言った。

品位、風格、位(くらい)は一朝一夕では身につかない。
ありとあらゆる機会、日常生活においても意識していかなければ、
おいそれとは身にはついてこないものだ・・と強調しておいた。

品位、風格、位(くらい)は気持ちの持ちようでは無い。
内面から滲み出てくる人格なのである。

F六段は打つ前にモーションを入れるので指摘しておいた。
モーションが引っかけの場合もあるので全部否定はしないが、
七段審査が数年後なので、そろそろ剣風も変えなくては・・・

足は、かばいながら稽古したので痛みは無し。


(帰りに体育館の前で撮影)
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昨夜の猫たち

2018年11月21日 | うちの猫の写真
四月に親父が亡くなったので今年も喪中のハガキを作った。
2台のプリンターを使って、1台が宛名用、
もう1台が文面用として流れ作業印刷である。

昨年はお袋だったので、これで2年続きの喪中である。
文面は昨年の焼き直しである。柄だけ少し変えてみた。



そんなこんなで帰宅が遅くなる。
左足の脹脛(ふくらはぎ)の痛みは少しマシかも。
親指が先週末から痛いが、痛風の痛みで無いことを願う。

特別、何も無いので昨夜の猫の写真。
これはマニュアルレンズで撮影したもの。
オートでは無い味が出るのが面白い。
ほぼ同じ位置で高さだけ変えて撮影した。


(月ちゃん、SONY NEX-5、f/1、1/50秒、ISO-800、25mmマニュアルレンズ)


(星ちゃん、SONY NEX-5、f/1、1/125秒、ISO-800、25mmマニュアルレンズ)


(みぃちゃん、SONY NEX-5、f/1、1/50秒、ISO-800、25mmマニュアルレンズ)

おまけに星ちゃんの今朝の写真。
ブラッシングがして欲しいのでおねだりしてるところ。
毎朝のブラッシングは日課である。

以前は死ぬほどブラッシングを嫌がっていた月ちゃんも、
無理やり押さえつけてやってたら、最近になって自分から寄ってくるようになった。
ようやく気持ちが良いことに気がついたらしい。


(星ちゃんのおねだり、SONY NEX-C3、f/3.5、1/50秒、ISO-1600、35mm焦点距離=27)

いずれの写真も少しだけピンボケしている。
写真も剣道と同じで奥が深い。

まだまだ、まだまだ修行中である。
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No.32(昭和61年10月30日)循環無端ということ

2018年11月20日 | 長井長正範士の遺文

(長正館に掲げていた笹森順造宗家の「循環無端」直筆)

○循環無端ということ。
「一刀流極意」の本の613頁にありますが、これを大略解説すると、
太刀わざが生まれる所にどよまず、消滅して消滅するところにおらず、始めなく終りなく、
終始見えない、めぐりめぐって端てしない不生不滅の常勝の所であると教えられている。

剣道即実生活なら我々の日常生活においても、
このように、あくなき人間としての修養を積んでゆかねばなりません。

例えばあの二十日ねずみのように、竹篭の輪の中で一所けんめいに走りつづけているようなもので、
いつまで経ってもこれで終焉という事はないように、我々の修養もこれでよいという事はないのであります。
若し修養途中で、これで満足だと留まったならば、他のすべてのものが、
前進成長してゆくのでありますから、自分はその時点でストップするどころか、退化であります。

我々が正しいと信じ、真っすぐに、あくなき前進する時、いつしか又、原点に帰って来ます。
なぜなら地球は丸く、直線は極言すれば円であると解釈したいのであります。
そしてこの直線は点と点を結ぶ最短距離を言い、然も点は位置存在を示すが、
大きさは無いと言うことは、ご承知の通りであり、
この直線の両端の点をわが心と相手の心に置きかえて見ます時、
実は直線を通じ、離れているかのように見えますが、心は一つの点であります。

この考えから私は点(心)=直線=円と自覚し、
我々の進むところ永遠に初心に帰る修養の繰り返しと悟り一日一日を大事にし、
修養を続けるべく努めております。

従って剣道という限り、この心構えで
竹刀に己れの最高の道徳を表現し合うものでなければなりません。
ここに大切な剣道即実生活という所以(ゆえん)があるのであります。

ここで一寸、西行法師(平安末期から鎌倉初期にかけての“旅の歌人”と言われた方。
本名佐藤義清。七十三才亡)のお話をしておきます。

或る日、西行さんが京の河原で、修業途中の雲水達にお話をしておられた時、
前夜の食あたりか冷え込みか、なぜか腹具合が悪く、講和最中、しきりに下痢痛を催され、
辛棒しきれず、たまらなくなって、ふと周辺を見られると、堤防の傍に、
萩の大木がありましたので、法師はつつーと走って行かれました。

おつきの門弟が心配してあとをを追って走って行きますと、
法師は矢も楯もたまらず、萩の木陰に入るや否や、その根元で片足をあげ、
衣の裾をめくるなり、ピッピーと放たれたのであります。
しゃがむ余裕もなかったのでしょう、その水溶液は勢いよく萩の根株に当り、
飛び散ったので、その跳ね返りが、法師の尻の頬っぺたにかかったのであります。

法師はおくげもなく、すぐさま取り囲む門人に
『西行も今まで修業したけれど、萩のはねくそ今が見始め』と詠まれたので、
門人も笑うに笑えず、師が恥ずかしいとも思われず、すぐに実感を詠まれたその奥底にある
『自分は人間として修業を全うしたからこれで良いと思っていても、
次から次へと試練がやってくるから修業の道は無限である。
今のわたしの無様のようにお前達の尊敬している私とてまだまだ未熟者じゃ』
と教えられたものと悟り、さすがにわが師と益々尊敬の念を新たにしたというお話。

これでお判りのように、我々はどの道を歩むにしても、地球内のちっぽけな考えではなく、
大宇宙の真理を具現するために人間としての存在の意義があるものと思います。
即ち我々は小我であってはいけない。大我でなければならないと思います。
それでこそ万物の霊長である人間と申せましょう。

終り


(上の撮影画像を加工しました)
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川上村、昇格昇段お祝い稽古会(2018年11月18日)

2018年11月19日 | 剣道・剣術
毎年恒例の上垣功範士の開催する「昇格、昇段お祝い稽古会」が、
今年も奈良県の川上村の川上村立武道場「源流館」にて開かれた。
17日15時~17時と、18日9時~11時の一泊二日である。
私は仕事と一刀流の稽古があったので18日のみ参加した。
実はそれよりも三重県尾鷲のO田さんとの稽古が楽しみだったのだ。

奈良市の自宅を朝6時出発。気温は5度。
国道24号を南下し、橿原から169号で川上村へ。
距離は70数キロ。到着したのは8時半頃だった。

上垣功先生は、今回の予定のあとで、
六段七段審査の審査員の依頼が入り残念ながら欠席された。

9時から準備運動と素振り。
挨拶のあと、月末の東京で実施される八段審査対象者の立合い。
10時前から稽古が始まり、錬士、教士、六段、七段各合格者と、八段が元に立つ。


(上垣先生欠席にちょっとガッカリ)


(八段審査の立合い、右が三重は尾鷲のO田さん)


(終ると千葉八段による指導)


(立ち振るまい、間合いの入り方、打ちかた、残心、終るまでをどうするか・・の指導)


(後半は自由稽古となる)


【感想・反省点】

高段者同士の稽古なので、稽古数は少ないが、さすがに緊張し疲れた。
奈良の千葉八段は初めてお稽古いただけた。
ごまかしの無い立派な剣風で学ぶべき点がたくさんあった。

尾鷲のO田七段とも良い稽古が出来た。
八段一次審査に何回も受かる人との稽古は、打った打たれたではなく、
圧迫感、圧力感も含めて。精神的なやり取りがとても勉強になる。

難剣な方とも稽古したが、それを見ていたO田さんに、
「粕井さん、あんなんと稽古せんほうがええよ」と言われたあとに、
「でも、あそこで迷いの無い思い切った面を打ったのは良かった」と言われた。
行ける、と無意識が判断し、反射的に打ち出せる捨て身の面だ。左拳を上げて防がれたが。
ガチャガチャした剣風ではなく、こういう技が出せるように精進したい。

ここで師匠(誠先生)の指導を思い出したのでおさらい。
----------------------------
有効打突は、充実した気勢、適正な姿勢をもって、
竹刀の打突部で打突部位を刃筋正しく打突し、残心あるもの。

要素は、間合・機会・体さばき・手のうちの作用・強さと冴え。
要件は、姿勢・気勢(発声)・打突部位・竹刀の打突部・刃筋。
残心は、打突後の身構え・気構え。

例え有効打突が無く(例えば相手が頭をかしげて避けたので当たらなかった・・みたいな)ても、
他が出来ていれば審査員はマルを付けるはず。あとは品位、風格、位(くらい)を出せるかどうか。
----------------------------

得てして審査を受ける者は、
当たった、当たらなかった、という部分しか意識してないことが多いが、
打突には要素と要件と残心が伴っていなければならないことに気をつけなくてはならない。

O田さんが、森八段と稽古をするのを見ていたが、
八段相手に完全に対等の気位に立っている。身構え気構えも立派である。
私が森先生と稽古をすると、どうしても後半は懸かり稽古になってしまう。
O田さんに聞いたら「経験やろなあ、場数踏んどるからなあ」と言われたが、
経験や場数だけでは無い精神的な強さ、それを裏付ける体力というものがあってこそなのだろう。

がんばろう!
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孔舎衙(くさか)健康道場跡(2018年11月17日)

2018年11月18日 | 旅行や街角メモリー
一昨日16日の記事と一部重複するが、バイクで現地に行ってみたので、
孔舎衙(くさか)健康道場跡のことをもう少し書いてみる。

吉田誠宏先生について・・・も参考に。
https://blog.goo.ne.jp/kendokun/d/20181116

ウィキペディアより
--------------------------
孔舎衙村(くさかむら)は、大阪府中河内郡にあった村。
現在の東大阪市の北東端にあたる。

1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、
河内郡日下村・善根寺村・布市村・河内屋南新田の区域をもって日根市村が発足。
1896年(明治29年)4月1日 - 所属郡が中河内郡に変更。
1912年(大正元年)10月1日 - 日根市村が改称して孔舎衙(くさか)村となる。
1955年(昭和30年)1月11日 - 枚岡町・縄手町・石切町と合併して枚岡市が発足。同日孔舎衙村廃止。
--------------------------

ややこしいのは、昔ここにあった「孔舎衛坂駅」である。
孔舎衙(くさか)村の孔舎衛(くさえ)坂。

ーーーーーーーーーーー

昔、近鉄奈良線の石切駅の奈良寄りに「孔舎衛坂(くさえざか)駅」という駅があった。
旧生駒トンネルを出たすぐの駅で、次の石切駅の間にも鷲尾トンネルがあり、
トンネルとトンネルに挟まれた、山間の薄暗い駅だった記憶がある。
(現在の石切駅は、開削した鷲尾トンネルの跡地に作られた)
-----------------------------------
1914年(大正3年)7月17日、日下駅(くさかえき)として開業。
1918年(大正7年)鷲尾駅と改称。
1940年(昭和15年)6月、孔舎衛坂駅と改称。
1964年(昭和39年)7月23日、新生駒トンネル開通の路線変更により廃駅。
-----------------------------------

とあるように、日下駅(くさかえき)として開業したのに、
あとで、孔舎衛坂駅(くさえざかえき)とした。

孔舎衛坂駅(くさえざかえき)の近くに出来たのが日下遊園地(くさかゆうえんち)。
そのあとに出来たのが、孔舎衙(くさか)健康道場である。
日下(くさか)と孔舎衙(くさか)、孔舎衛(くさえ)の混乱である。
「衙」と「衛」の混乱。ああ、ややこしい。



孔舎衛坂駅の西寄り、少し下ったところに日下新池(天女が池)という池がある。
日下遊園地は、日下新池のほとりに大正4年に地元の手で開設され、
北側に日下温泉、東側には料理旅館「永楽館」と少女歌劇団の舞台があった。
乗馬クラブ、貸ボート、ミニ動物園もあり小さいながらの盛況な遊園地だった。
電車に乗るのも珍しい娯楽の少ない時代である。
電車に乗っておいしい物を食べ、温泉に入ったり歌劇を見たりすることは、
当時としては大変な娯楽だったのだろう。

しかし、大正15年の「あやめ池遊園地」、昭和4年の「生駒山上遊園地」の開園で、
日下遊園地はすっかりさびれてしまい、料理旅館「永楽館」は吉田誠宏によって買い取られ、
「孔舎衙健康道場(くさかけんこうどうじょう)」という結核療養所に生まれ変わる。

現在、その跡地は「パンドラの丘」と名前を変え、地元の憩いの場となっている。

ちなみに・・・

神ゼウスが、まがまがしい物がいっぱい入った箱をパンドラという女性に持たせた。
好奇心から、パンドラは、その箱を開けたので、まがまがしい物が世界中に飛び広がった。
で、驚いたパンドラはあわてて箱のフタを閉めた。
結局、箱の中には希望だけが残った・・・という話。

とすると、パンドラの丘は「希望の丘」ということか。


(池の東側、温泉のあった場所)


(ヒトモトススキの説明碑)


(2018年12月4日訂正、ヒトモトススキだと思っていたら、ただのススキだった)


(こちらが本物のヒトモトススキ、東大阪市の広報サイトから拝借)


(同じく、東大阪市の広報サイトから拝借)

ヒトモトススキはイネ科のススキではなくカヤツリグサ科である。
海辺に広く分布するというが、こんな山すそに自生しているのは、
かってここが海岸であり、ここから見える大阪平野が大昔は海だった名残りである。


(日下山を市民の森にする会の地図)


(北東側から見た日下新池と大阪平野)


(孔舎衙健康道場跡の前の説明文)


(上記の拡大、孔舎衙健康道場と太宰治の説明文)


(孔舎衙健康道場跡、現、パンドラの丘から日下新池を望む)


(池の南側からパンドラの丘を望む)


(説明文にあった風景が上の写真に重なる)


(蛇足になるが、夜は東住吉で一刀流の稽古だった)
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高石の工場夜景(2018年11月16日)

2018年11月17日 | 写真・カメラ
大昔、千葉に住んでいた頃の話である。
ある日、京葉コンビナートの工場近くを走ると、
異次元か別世界の世界に入ったような衝撃を覚えた。

煙突からは排ガスを燃やす炎がいくつも並び、
工場の建物は煌々と電灯が灯されている。
白煙がときおり工場を包み、まさにSFの世界であった。

まさか千葉まで写真を撮りに行くわけにもいかないので、
仕事が終って高石まで車を走らせた。堺と高石なら工場は多い。

結果はイマイチで、思っていたような夜景は無かった。
ガッカリしたが、せっかくなので紹介だけしておきます。


(SONY NEX-6、f/5.6、1/5秒、ISO-3200、35mm焦点距離=80)


(SONY NEX-6、f/4.5、1/10秒、ISO-3200、35mm焦点距離=51)

夜景は生駒山から撮った大阪平野のほうが格段に素晴らしい。
真冬の空気の澄んだ夜に、また撮影に行くつもりである。
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