稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

昨夜(21日)の稽古(木曜会)

2017年12月22日 | 木曜会(誠先生の剣道教室)
木曜会としての10回目の稽古。稽古納めである。

風邪を引いていて咽喉が痛く咳も止まらない。
「まあいつもの基本稽古だから疲れたら休めばいいや」
などと甘く思っていたら「今夜は稽古」だと言われ慌てた。

面をつけ、一番に師匠にかかる。
稽古をつけてもらうのは久しぶりだ。今年初めてかも。

最近は少し自信がついてきて、
「少しは師匠との間が縮んだかな?」
・・・などという甘い希望は微塵にも打ち砕かれた。

結論から言うと師匠と私の打ち間は2寸違うのだ。
こちらが打とうと準備を始めているその前に師匠はいつでも打てる体勢にある。
打とうと始動するその起こり頭を面に乗られてしまう。胴に返される。小手を打たれる。
中途半端な間合いで「あらら、どないしよう」と思った途端に何回も打たれた。
マイッタ!まさに手の平の上の孫悟空だ。

私が普段の稽古で、三段や四段の者と相手するような感じで、
師匠は私を自由自在に使っているのだ。

ということは師匠と私の間には、まだ三、四段の差があるということだ。

自分が終わったあとは、しばらく師匠の稽古を見させていただいた。何が違うのか。
しっかりした体幹、構え、気迫、跳躍力、そして打ちが柔らかくしなやかで安定感がある。
柔らかくしなやかで安定してこそ、すべての間合いで攻防が可能なのである。

あとは時間まで地稽古をした。
出来るだけ木曜会風の剣風で稽古しようと心掛けたが、
やはり同門なので攻めが通じないことも多かった。でも良い稽古だ。
風邪引きなど消し飛んで最後まで稽古を楽しんだ。

最後に不老の剣とは?というお話が最後にあった。
「先、身構え、気構え」があってこそいくつになっても稽古は可能であると。
しっかり修行して来年も頑張ろう。うん、まずは摺りかぶりしなくっちゃ。


(20時までは子供達の稽古がある)


(身構え、気構え、体幹、間合い、そして先)


(一瞬たりとも気を抜かない、相手の起こり頭を制する)


(師走なのか参加人数は少なめだったが、体育館いっぱいに使って休み無く稽古が出来た)
コメント
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