稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

杭全神社に初宮参り

2024年07月09日 | つれづれ
7月7日、七夕の日に初孫の初宮参りに行きました。
神社は平野の杭全神社、杭全は「くまた」と読みます。

粕井は江戸時代には平野郷で綿問屋を営んでいました。
綿のカスを主に扱う問屋で、屋号が「糟屋」。
紋は唐花で杭全神社の「織田瓜紋」の真ん中部分を頂いたと聞いています。



左が杭全神社の「織田瓜紋」、中が粕井が頂いた「唐花紋」、右の我が家の紋は「丸に唐花紋」。
紋付着物を作る時に、こっちのほうが恰好良いので思い切って変えました。うちは分家だしね。
その時には「家紋変えましたのでご報告に来ました」と杭全神社に参って筋を通しました。

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明治になって西洋綿が大量に輸入されるようになって平野の綿は瞬く間に衰退した。
私の曽祖父、粕井秋五郎の時代に綿問屋を諦め鴻池家に奉公し平野の地を離れ大阪市内に居を移す。
実は秋五郎は婿養子で、元は長州の岡本という性で武家であったとか。

鴻池では小僧や丁稚に剣術を教えていたそうな。何流だろう?
もし一刀流系であれば面白いのに。

祖父の信一(號は豊誠)が生前、私が剣道をしている事を知って、
「わしの父親は撃剣めっぽう強かったんや」と嬉しそうに話してくれた。
曽祖父は背の高い人で鴨居に頭がぶつかるほどの身長で、いつも部屋に剣道着が掛かっていた。
その剣道着には「宮本武蔵」と墨で書いてあったと懐かしそうに話してくれた。半世紀以上も前の話だ。



約ひと月ぶりに見る孫は大きくなっていた。
赤ん坊の成長は驚くべきものである。



祈祷は良いものだ。厳かな気持ちになる。
鈴のお祓いの時には泣きたくなるほど感無量になった。

この時に小さいデジカメで何枚か写真を撮ったのだがSDカードの入れ忘れだった。
何としたことだろう。痛恨の極みである。






杭全神社で初参りを済ませ、近所のがんこ平野屋敷で昼食。





粕井陽向くん。「ひなた」と読むがだが「ようこう」とも言いたくなるなあ。。



健康で丈夫で大きくなれよ。
何かあればジイジが飛んで行くぞ。

出来れば長生きして、陽向の結婚式に出席したいものだな。



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