稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

猫、控えめな月ちゃん

2018年01月31日 | うちの猫の写真
猫の月ちゃん。控えめな女の子。

星ちゃんとは姉妹で、里親募集で貰ってきた。
兄弟姉妹は5匹で、月、星、彦、織、天ちゃん。
一匹だけ貰う予定が「子猫は一匹だと寂しがりますよ」って言われて二匹に。
まずは甘えん坊の星ちゃんを選び、次に引きこもりな月ちゃんを選んだ。
月ちゃん、おとなしくて食も細く小さくて軽い。
目立たないが邪魔にならない良い子である。


(2014年8月6日撮影、SONY-NEX-6、ISO-3200、f3.5、1/40秒、35mm焦点距離24mm、トリミング加工)


(2018年1月17日撮影、SONY-NEX-C3、ISO-1600、f2.8、1/80秒、35mm焦点距離24mm、トリミング加工)

臆病なのでカメラが怖い月ちゃん。
抱っこしてカメラを向けると何かされるんじゃないかと逃げようとしている。


(2018年1月17日撮影、SONY-NEX-C3、ISO-1600、f3.5、1/160秒、35mm焦点距離24mm)

逃げたあとはお気に入りの窓際の猫タワーに駆け上って擦り擦りタイムだ。
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剣道と実戦「剣道家は実戦で強いのか?」

2018年01月30日 | 剣道・剣術
先日のことだが竹刀剣道をやらない剣術家と議論になった。
親しい同士だからお互いに遠慮は無い。

彼は主張する。
剣道は当てっこでスピードとタイミングだけであり、
そもそも軽過ぎる竹刀稽古では実戦(刀での斬り合い)に役立たない。

剣道はスピードとタイミングで勝負するものではないのは言うまでも無いが、
確かに日本刀を扱ったことも無く、形稽古も適当にやっている剣道家に、
いきなり刀を持たせて「戦え」と言っても戦えないだろう。

少なくとも日本刀を腰に指し、抜いて打突し、納刀まで出来るよう稽古しないと駄目だろう。
そこまで稽古出来たなら、実戦に投入させても充分に戦力になり得ると考える。

毎日のように稽古をしている剣道家の体力は半端では無い。
真夏でも真冬でも、素肌に剣道着だけで重い防具を身に付け、
連続して1時間程度は激しく稽古しているのが普通だ。恐ろしくタフなのだ。

それに、まさか真剣勝負で、いきなり面に飛び込んだりはしない。
もし屋外なら、当然、慎重に歩み足を使って戦うというのが普通であろう。
打つ場所にしても、決められた打突部位を外しても良いのなら楽なものだ。
面=面を含む両肩の間、小手=拳から肩まで、胴=脇から太腿そして臑(すね)まで、
突き=顔から胸そして腹まで、と考えたら良いだけの話だ。
私なら相手の前拳をひたすら狙って撃つだろう。

馬鹿でも無いかぎり、状況に応じた戦い方をするものだ。

そして構え合ったら間合いを取って、ともかく防ぐことに徹する。
間合いや、打つ(斬る)気や機を読むのは剣道家の得意とするところだ。
剣先で相手の刀に触れ、間合いを取って相手の打ち気を殺し、
時として間を詰めて攻め、探り、押えたり弾いたり、
打つかと思えばすっと下がって相手を翻弄する。
やがては相手は疲れきってしまう。気力も萎えてくる。
技の数では無い。気力体力で勝る者こそ実戦に強い。
余裕を持って対峙し、隙を見い出し、突くか斬るかしてしまえば事は済む。
こちらが優位なら、戦わなくてもお互いに刀を納めれば争いごとも起きぬ。
(そしてこの不戦こそが剣道の極意なのである)

剣道家は実戦でも充分に強いと信じる。

【以下余談】

私の竹刀の重さは鍔を付けて570g、長さは刃部で86.9cm。
手持ちの刀を計ると、重さは1165g、長さは刃部で74.2cm。
竹刀は真っ直ぐなので比較的長く感じる。

この刀でも小手打ちや面打ちは出来る。
力は必要だが、それぐらいの筋力は鍛えたいものだ。
高校生のような刺し面は論外だが、左拳をわずかに上げた打ち(斬り込み)なら、
手の内の作用だけでもかなり強く面を打ち破ることは出来るのである。
これは昔、疑問に思って数多く竹や藁束を切った経験による。

刀の握りと竹刀の握りは違うと言う。
竹刀は左手の小指を半掛けするのが普通である。
しかし相手が子供なら鍔まで両手をずらして使うこともある。
特に違和感は無い。慣れれば普通に使える。
刀を持ったなら自然と刀の握り方になって馴染んでしまうだろう。

そして実戦になれば振り上げて斬ることはほとんど無いと思う。
試し切りのように大きく斬るような場面は実戦では少ないと思う。
先に相手に技を出させ、そこを小さく切落とすことが多くなると思う。

ただし剣道家も日本刀の扱い方は必須である。
抜刀や納刀が出来ない事は恥ずかしい事だと思わなければならない。
剣道家は模擬刀で構わないから充分に稽古して扱いに慣れて欲しい。

剣術の問題は馴れ合い稽古になることだ。
技を覚えても理合まではなかなか理解出来ないことが多い。
剣術の技は「後の先」が多い。
ならば仕方は「打方が技を出そうとする機会とは?」を追求して欲しい。

剣術の形は、基本的には打方が技を出さなければ形は成立しないのだが、
なぜ仕方が構えているところへ打方が打っていけるのか?
仕方には何らかの隙(=誘い)が無ければ打方は掛かっていくことは出来ない。
この隙(=誘い)こそが剣術の極意では無いかと個人的に思うのである。
「相手を引き出す技術」が仕方に身に付いてなければ剣術は成り立たないのである。
(逆に言えば「隙を作って(隙を見い出し)打ち込む技術」も大切なのである)
これは本当に難しい。相手によって反応が違い、奥の深い部分だ。

そして打方は、本当に打つ(斬る)間と気持ちで技を出しているか?も重要だ。
打っても当たらない遠間から、ただ習慣的に打ちに出ているばかりでは稽古にならない。
仕方の技量に合わせて、真剣な一撃を繰り出さなければ稽古にはならない。

これらが出来ていなければ剣術稽古など踊りと同じだろうと思う。

日本刀の柄の握りについては、
試し切りに徹した人は、時に両拳をくっつけて日本刀を握ることが多い。
これは両手のブレが少なくなり刃筋が安定するからである。
斬る事に徹する人は悪くは無いのだが、剣術の技、特に返し技のキレは悪くなる。
両拳を離して柄を握っても、くっつけた時と同じように斬れないと駄目なのである。
私の場合は日本刀の柄を握る際、左手小指の半掛けはしないが一杯に握る。
これで斬ることも返すことも出来るように稽古すべきだと思っている。

(未完につき、修正、加筆、別筆することがあります)


(高野山、六角経蔵、1月28日撮影、SONY-NEX-6、f4、1/160秒、ISO=100、35mm焦点距離35、画質補正)

剣道は実戦で役立つ 剣道は実戦で強い 剣道と日本刀
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No.3(昭和59年7月17日)不動心について

2018年01月29日 | 長井長正範士の遺文
不動心について
剣道を修業する心構えとしての中に大切なことは
「風吹けども山は動ぜず」の如く相手のどんな変化のわざに対しても
動じない不動心を養い、心の余裕を持つことにある。

この精神の動揺を如何になくすか、これを剣道のわざで鍛えて無くしてゆくのである。
例えば相手が甲手に色を見せて面を打ってくる。
そのわざが虚か実かの判断力を養う。これが剣道の修業である。

この修業の竹刀剣道の原点が古流の形である。
この古流の形を不断の稽古修業に励み体得せば、
打とうとか打たれまいとか言う心の迷いを滅却することが出来る。
即ち一刀流の切落しに繋がる。

死なばもろ共、一発勝負、相打ちの精神で修業せば必ずや不動心を養い得るものと信じる。
形を体得した竹刀剣道は老いて益々冴え、上達うたがいなし。
これに反して自分の習慣だけで力とスピードにたよった剣道は限度があり、
年老いて退化する。剣道は練習ではなく稽古するものである。


(1月28日、井上勝由館長撮影、長正館はとうとう完全な更地になってしまった)
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No.2(昭和59年6月1日)剣道の基本は形である

2018年01月28日 | 長井長正範士の遺文
No.2(昭和59年6月1日)

三、剣道の基本は形である。
その形には礼儀作法、気と間、呼吸、不動心、理にかなった打ち、
刃筋、手の内、残心等、数々の学ぶべきものあり、この形によって胆力を養い、
心の位、われ上位にありと言う心境になる迄、形を体得しなければならぬ。

形を体得せば竹刀剣道で思わず(自然に)形通り技が出るものである。
ここから出た無心の技は尊い。
剣道の稽古をただ練習と心得て形をおろそかにしている。
練習する前に先ず学ぶと言う事を考えねばならぬ。
例えば習字で言うと、いつまでたっても同じ字を書くことばかり考えている。
そうではなしに「一つの字が出来上がれば、又次の字を覚えてゆく」でなければならない。
剣道で言うと相手が代わっても相変わらず自分の調子(習慣)で打っている。
これは練習であって稽古ではない。
先師(古=いにしえ)の教えを守って考察(稽=かんがえる)し、錬り鍛えてゆくのである。

四、心の鍛錬した者(形を鍛錬し、その理合を体得した者)は構えが正しい。
正しい構えから正しい技が出る。その心はどこで養うかと言うと、それは形である。
その形は古流の形がよい。
私は小野派一刀流をやっているが、
いずれの形も昔は命をかけて作り出されたもので理論が整然としている。
形を重視した剣道は無限の上達ありと信ずる。
自分だけの調子の力の剣道は長続きしない。

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No.1(昭和59年5月18日)朝げいこの皆さんへ「一刀流おぼえがき」

2018年01月27日 | 長井長正範士の遺文
朝げいこの皆さんへ「一刀流おぼえがき」

一、まえがき
剣道は練習ではない。稽古である。
ただ練習すればよいと考えているのは誤りである。
即ち剣道を習慣的にやっているだけで何等理論がない。
世の中に理論のないものはない。今までには剣道に教えがない。
ただ漠然として「しっかりやれ」と言うだけだった。
今はそんな時代と違うことに目覚めなければならない。

二、位(くらい)について
位どりは立ち合って初めから優劣を決する要件である。
位は作為的の付焼刃でとってつけ得るものではなく、
その人に備わった気品であり人格の表れである。
剣を学ぶ者は先ず第一に人格を高潔に養い、
これより発露する剣の位を高める事を心がけねばならない。
剣は人格の発露であるから常に格調高い位を志して自ら琢磨すべきである。

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昨夜(1月25日)の稽古(木曜会)

2018年01月26日 | 木曜会(誠先生の剣道教室)
今年3回目の木曜会稽古。
四條畷の市民活動センター体育館。
20時から21時過ぎまで。
先週も寒かったが今週の方が寒い。

(盛りだくさんの内容だったので抜けているかも知れない)

まずは素振りから。
振り下ろした時に右手を左手までずらす大きい素振り。
振り下ろした時に右手を左手までずらす普通の素振り。
右手を、ひと拳分前に握ってのずらさない素振り。
振りかぶった頭上で、両腕はなるべく伸ばすように。肘が曲がらないように。

※余談だが、以前に、あるところの師範先生に、
「振りかぶった時には肘は曲げろ(両肘を開け)と指導され閉口した記憶がある。
肘を曲げるクセがつくと肩を使わなくなる。肩を使わない打突に威力は出ない。
肘曲げ素振りは年を取って肩が動かなくなった先生がよくやる方法である。
年取った先生に習っている人は要注意だ。肘は曲げないように。(余談ここまで)

【全体指導】
これ(右手をずらす素振り)をやると左手の作用が身に付く。
両手(両拳)はくっつけて素振りすると、きれいな円弧を描いて自然に振れる。
この両手(両拳)を離しても、同じ円弧を描いて振れるようにしなければならない。

3人一組だが半端になって2人組だった。
ゆっくり大きくリズム感のある切り返し。呼吸法の切り返し。
近間での一拍子の面打ち。ゆっくり大きく。

【個人指導】
円弧を大きくして打つクセが出ている。
これをやると冴えが無くなり相手も痛い思いをする。

気をつけていたが一刀流の切落としのクセが出るようだ。反省。
押し込むような打ちの方も注意されていた。このクセは私もある。反省。

近間での一拍子の、左拳を目元口元まで上げての面打ち。

蝕刃の間から、1回で入って打つのではなく、1回2回と入って打つ面打ち。
2回で入るのは勢いで流れて継ぎ足で打つクセを無くすため。
きっちり止まって打つこと。打つまでは竹刀を上げないこと。

1回だけ入っての面打ち。
右足を出してからの面打ち。
相手の竹刀に乗っていくように。
左足は素早く引き付けるが流れないで打つこと。
左足を引き付けないまま手元を上げてしまわないこと。

前後左右に動いて自分の打ち間に入って面打ち。
相面、出小手、返し胴。返し胴のみの稽古。
1、1、2(いーち、いちに)の返し胴。2の時の足の向きは外側を向くこと。

肩残心(打ってすれ違う時に相手を視線に入れながら振り返って下がる残心)の指導。

【全体指導】
慌てて肩残心してしまうと間合いも近くガチャガチャして見栄えも悪い。
肩残心を意識して落ち着いて間合いを取るように。

指導のあと、落ち着いた肩残心で、みんな見違えるような立派な剣風になる。驚き。

相手の面に対して、1、1、2(いーち、いちに)で、
表から面を打ち返して面打ち。足は1で入って、1、2はトントンと素早く。

相手の面に対して、1、1、2(いーち、いちに)で、
裏から面を打ち返して面打ち。足は1で入って、1、2はトントンと素早く。

相手の面に対して、1、1、2(いーち、いちに)で、返し胴。

【全体指導】
色々な技を試してみて、少しずつでも自分のものにしておくと、
剣道に深みが出来て稽古も楽しくなるという話。

あとは2分間の地稽古を3回。
そして伸びやかな切り返しで終了。
盛りだくさんで学びの多い稽古だった。


(稽古の前、柔軟をしたり素振りをしたり・・・)
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昨夜(1月24日)の稽古(長正館矢田中稽古)

2018年01月25日 | 剣道・剣術
昨夜は長正館の水曜稽古。
矢田中学校にて19時半から。
井上館長は引き続き肩を痛めておられるので口頭指導のみ。
最初に櫻田先生(教士七段、元長正館副館長)に黙祷を捧げる。

最初は5人。最終7人。
外はマイナス2度の気温なので汗はほとんどかかない。
攻防が激しいと汗はかかないが息だけが苦しくなってくる。

打ったあとで、いつまでもそのまま相手に背を向けて抜けて行く者、
すり抜けることを前提に、真っ直ぐ打ち込まない者、
打ったあとで中途半端な体当たりで相手ともつれ合う者。

師匠から教わった、すり抜け残心、乗り残心、引き残心を数名に教える。
あとは剣道家としての所作をいくつか。自分の復習も兼ねて。


(最初は5人でスタート、切り返し、基本打ち、打ち込み)


(F六段とK五段)


(I剣士の正面打ち、まず上体を倒してから右足が出るクセが抜けない)


(正しくは、この時点で、右足が前方に出ていなければならない)


(3月に五段審査のK四段、だいたいは良いのだが常にアゴが上がってしまう)


(弟子、以前は拳を打つことが多かったが、最近は正しく筒部を捉えられるようになった)


(K五段とK四段、K五段は最近やっと稽古に復帰した。ぼちぼちと無理しないように・・・)

帰りに長正館に寄った。
21日にS四段からは聞いていたが、
トイレだけ残って、あとは瓦礫の山になっていた。


(しばし唖然として立ち尽くすのみ・・・)


(祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり・・・だ)
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童話「ウサギとカメ」の続編

2018年01月24日 | 剣道・剣術
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   童話「ウサギとカメ」の続編

◆部活の勉強会で高校生たちに、「ウサギとカメの童話」を取り上げ、
この話は私達に何を教えようとしているのか?書いてもらうことがあります。
すると申し合わせたように、皆ウサギの敗因について書きます。

「ウサギは、いつでも勝てると油断があったのです。
何に取り組むときも油断してはいけないことを教えているのです。」

成功を目指すうえで、カメの勝因も同じように、あるいはウサギの敗因以上に重要ですが、
何故かカメの勝因については書かれません。

◆三遊亭歌之助という落語家がいます。普通の落語だけでなく、
鹿児島出身で地元では鹿児島弁の落語をやったり、
企業へ出かけて社員研修向けの落語をやったりもする一風変わった落語家さんです。

下記のような話をしたことがあります。

---------------------------------------------------
私は普通の高校を卒業し落語の世界に入りました。
林家コブ平は故林家三平(九代目林家正蔵)の長男で、いわば落語界のサラブレッドです。
私はその林家コブ平と一緒に真打になりました。

その披露の席で、マスコミは一斉にコブ平の方へ押し寄せ、私の方には見向きもしません。
余りの悔しさに席を飛び出し、行先があったわけではなく来た電車に飛び乗りました。

そこで時々声をかけてもらっている故養田実社長(ジュポン化粧品本舗)とバッタリ出合ったのです。
穏やかならぬ私の顔を見て、「どうした!」と尋ねられました。
事情を話したところ、養田社長は
「ウサギとカメの童話があるだろう。ウサギはどうして、のろまなカメに負けたのか?」と言われたので、
私は「ウサギはいつでも勝てると油断があったのです。
人生は油断してはいけないという戒めの童話だと思います。」と答えました。

すると「本当にそう思っているなら,零点の答えだ」と言って、
次のような話をしてくださったのです。

カメにとっては、相手はウサギでもライオンでも、なんでもよかったんだよ。
なぜならカメは全く相手を見ていないんだから。

カメにとって重要なことは、山頂に立っている旗、
つまり自分の目標だ。それだけを見つめて歩き続けたんだ。
一方のウサギの方はどうだ、絶えず相手のカメばかり気にして、
大切な目標を一度も考えることをしなかったんだよ。

君の人生の目標は、コブ平ではないだろう。
カメのように自分の道を歩み続けることだよ」と教えてくださったのです。

私は、この養田社長の一言で迷いが吹っ切れ、
落語家として自分の目標に黙々と歩き続けようと決心出来たのです。
---------------------------------------------------

私達は成功を、いつも自分と他人との比較において考えますが、
視野が広がれば広がるほど、自分より成功している人がいることに気付きます。
自分の成功は小さなものになり、心穏やかでありません。

SMIの創立者ポール・マイヤーは成功とは、
「自分にとって価値ある目標を、前もって設定し、
段階を追って達成していくこと」と定義しています。

この道で生きると決めたら目標に向かって黙々と歩み続けることです。

ところでウサギとカメの話には続き?があるのです。
ウサギは「もう一度レースをしたい」と言ったのです。
カメは、快く応じました。今度はウサギが勝ちました。
レース終了後、皆で記念写真を撮ることになりました。
勝ったウサギの横でカメが笑っているのです。
ウサギは不思議に思い尋ねました。「なぜ負けたのに笑っているの?」
カメは答えました。「最初のレースよりもタイムが良かったからだよ」  
意味深い!! 敵は相手ではなく、自分です。 

なぜかドンくさい自分が強い自分に思えてきた一瞬でした。

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剣士、櫻田章夫逝く

2018年01月23日 | 剣道・剣術
長正館の元副館長であった櫻田章夫教士七段が亡くなられた。
享年81才、年末に退院されたあと、ご自宅で療養されていた。

今里の「いまそう今里会館」22日がお通夜、23日が告別式である。

19日に、ご自宅にて心筋梗塞で倒れられたらしい。
長年、リウマチに苦しめられ、アキレス腱断裂など、
多くの障害にも関わらず子供達や後人の指導に務められた。

最後に稽古したのは長正館閉館の昨年7月。
ご病気にも関わらずキレのある返し胴を決められていた。
ほとんど毎日のようにどこかで稽古をされていたと聞く。
本当に剣道を愛し、剣道に捧げてきた人生であったと思う。

生前のご指導に感謝するとともに謹んでご冥福をお祈りいたします。


(笑顔がステキで無邪気で陽気な先生だった)


(多くの剣士がお別れに集まった)


(一刀流の中段霞の構え、この絵は井上勝由長正館館長が描いたもの)


(傘寿祝いの手拭い)
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昨夜(1月21日)の稽古(長正館月例稽古)

2018年01月22日 | 剣道・剣術
昨夜は長正館の月例稽古。
湯里小学校17時から一刀流稽古、18時半から剣道稽古。
井上館長は肩を痛めておられるので着替えずに指導。

一刀流は刃引の形を行う。5人。
まだまだ形をなぞっているだけの者が多い。
「形で位(くらい)を作らねばならない」という話をした。

古流の形をやっている者に多いのは、
形の本数ばかりを数多く覚え、それで満足してしまう事が多いことだ。
本数を数多く覚えることは悪くは無いがそれが目的すべてと勘違いしてはならない。
構え、姿勢、手の内、気の持ち方、呼吸、間合い、残心などがきちんと出来て、
その上で理に適った技が出なければならない。
何となく流れだけ憶え、形を打って満足していてはならないのである。
構えから残心まで、きちんと出来た者は自ずから立派な位(くらい)が出てくる。
形を数多く覚えるよりも、1つ1つの形を大切に稽古してもらいたい。

剣道稽古は出稽古のF六段も入って計7人。
月例稽古(月2回の日曜稽古)は地稽古中心。
1時間の稽古だがけっこう汗だくになった。
弟子には攻め足(=探り足でもある)を教える。


(長正館F六段とS五段)


(S五段と出稽古F六段の重量級同士の稽古)


(長正館F六段と弟子)


(弟子とT四段)


(弟子、意識しているのか、足が上がるクセはかなりマシになった)


(T四段はアゴが上がるクセがある)


(右端で掛かっているⅠ剣士は前傾姿勢になるクセをまず直したい)


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生駒高校ミニ同窓会(1月20日)

2018年01月21日 | つれづれ
昨夜は稽古を休んで生駒高校のミニ同窓会をした。
この仲間は高校2年の時の修学旅行の班で、
仲の良い者たちで班分けしたあと、ずっと続いている間柄だ。
それに長年行方不明だった古い同級生1人を加えて8人での同窓会。
実に卒業以来44年振りに再会し合う者もいて、
昔話に花が咲いて面白おかしい同窓会になった。

今はレベルも高くなったという生駒高校も、
当時は落ちこぼれの吹き溜まりのような高校だったのだ。

他はみんな知っていて自分だけが知らない話、
そういやそんな事あったなあという忘れていた話、
微妙に少しずつ記憶が異なる思い出や恥ずかしい失敗話、
家族の話、仕事の話、健康の話などなど、
つくづく、ああ、お互いに年取ったもんだと思った次第。
また集まろうということで、二次会は無しの健全でもある飲み会だった。


(左より津田雄三、塩濱照明、吉川隆顕、吉澤雅彦、奥から荒井康充、冨山貢、中川朗、粕井誠)
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女性天皇には反対しませんが女系天皇には反対します!

2018年01月20日 | 政治や歴史など
世界で一番古い国家はどこだと思いますか?

という問いをすると「ギリシャ」だとか「中国」だとか答える者がほとんどである。
日本の教育では、日本が現存する世界最古の国家である事実を教えない。
神武天皇が即位された日は、紀元前660年1月1日 (旧暦)(新暦2月11日)である。
今年(平成30年、西暦2018年)は皇紀2678年で、実に2600年以上の歴史がある。
これは日本人が日本人であることを誇れる重大な事実である。

2600年も続くと、私達日本人には少なからず天皇家と血が繋がっていると考えたほうが自然だ。
誰でも、先祖を遡ると、どこかで天皇家に繋がっていると考えて良い。
まさに天皇家は私達日本人の親戚であり総本家であると考えて良い。

皇統は男系継承されるべきだということに理屈はいらない。
日本が日本のままで存続出来たということは天皇家が存続してきたからである。
天皇家が存続するためには伝統(男系)を守り抜かなければならない。
まさに「本家の存続」という気持ちである。
私は何としてでも天皇家を守り抜きたいという気持ちだ。



(同一民族で継続した国家という意味で日本が世界で一番古い国家である)


女性天皇には反対しませんが、女系天皇はあってはなりません!
タラちゃんは天皇になっては駄目なのです!



(タラちゃんは女系です、女性天皇と女系天皇を混同してはなりません)
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昨夜(1月18日)の稽古(木曜会)

2018年01月19日 | 木曜会(誠先生の剣道教室)
今年2回目の木曜会稽古。
四條畷の市民活動センター体育館。
20時から21時過ぎまで。

3人一組。ゆっくり大きくリズム感のある切り返し。呼吸法の切り返し。
ここで注意。「切り返しはこれ以上腕が上がらないというところまで上げる」と。
呼吸法切り返しで大きく振り上げるのはキツイ!息があがるあがる。

一拍子の面打ち、大きく、そして小さく。
一歩入っての面打ち。一歩入って右足出しながらの面打ち。
右足出しながら、上に乗ったり、下段に攻めたり、払ったりしての面打ち。
自分的には下段攻めからの面打ちがうまくいかない。手足バラバラだ。

ここで注意。
「相手の脇を抜ける時に相手を見ながら下がっての残心」と。
(つまり、相手を確認しないまま抜けきって背中を見せるな・・ということ)
「打ってから竹刀を開くことはしてはならない」と。
基本の時にきっちり出来ないと試合や審査で出来るわけが無い。

面を打って下がり残心。面を打って乗り残心。

元立ちが面。それに対しての応じ技、出頭面、出小手、返し胴。
元立ちが小手。それに対しての表摺り上げ面、裏摺り上げ面、相小手面。

ここでしばし休憩。

あと、2分間の回り稽古。連続5回やった。
打ちに出ると下がって受ける者もいるがいかがなものか?
木曜稽古会では下がって受ける稽古はしていないはず。

最後は七段2名。気を抜かないように心掛けたがスタミナ不足だ。
竹刀を開くことはしないが、構えていても気持ちが「待ち」になってしまう。
自分から入っていって仕掛けていくにはまだまだ実力不足と思った。

本日も防具はずれの痛みが残る。
サロンパスしておこう。


(途中で数分の休憩時間、基本稽古も実戦的なので息が上がってしまう)


(昨夜の参加は25名ほど、さほど寒くなかったので先週と違い汗だくになった)
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昨夜(1月17日)の稽古(長正館)

2018年01月18日 | 剣道・剣術
昨夜は長正館の剣道稽古。矢田中学校19時半から。
今回は写真を多めに投稿しコメントを書く。
ここは弟子が見ているという。参考にしていただけたら嬉しい。


(I氏が手拭いを忘れたというので小川忠太郎先生の手拭いを進呈)


(最初は5人でスタート、最終7人だが内容は濃い)


(I氏の面打ちは前傾姿勢をまず矯正する必要がある)

前傾姿勢は速く打てそうで打てないものだ。
打つ初動が見え易いことと、面や小手が相手から近いので打たれやすい欠点がある。


(弟子は右足、つまり右ひざが上がり過ぎている。ヒカガミ=左足のひざの裏が曲がってしまってる)

実は私も昔は右ひざを高く上げるクセがあり矯正に時間が掛かった。
高く上げると手の動きと連動しやすくるのと、何となく遠くへ飛べる気がしていたのである。

一般的に、右ひざを高く上げると、
1)右足が「戻り足」になりやすいく、打突に勢いが無くなる。
2)着地に時間がかかりので、結果的に打突が遅れてしまう。
3)右かかとを痛めることが多い。
4)無駄な力が加わるので左足アキレス腱に負担がかかってしまう。

右ひざが上がると左足が床を押し出す方向が前方に向かわずロスが多くなる。
「右ひざから前に踏み出す」という意識は遠くに素早く飛べることにつながる。
右足の足裏を床と平行に保って床を滑らすように前に出し、
最後の最後に「トン」と足を上げ床を踏みつけるのがコツである。


(しかしながらまだ若く、体重も軽いので、最終的には勢いのある打突になっている)


(初段でも六段との相面で負けてはいないのは立派)


(この初動の部分で、出小手を打たれることが多い)

このような場面で、出小手を少なからず打たれるのは、
遠間から打とうとして、右足を高く上げ、右手を差し出すような感じになるからである。

自分の打ち間ぎりぎりまで真っ直ぐ入り、右足を前方に滑らしながら、
右手ではなく左拳を上げて最小限に振り上げ、小さくするどく面に打つのである。
(この場合、面を打つと同時に右足は床を踏みつけ、すぐ左足を引きつける)

※蛇足であるが・・・
「全日本選手クラスも足が上がっているじゃないか?」とか言われることがあるが、
激しい稽古を長年続けてきた選手と、一般の剣道家は「いま行うべき基本」は違うのである。
ここでは初心者から一般の剣道愛好家が参考にすべき内容を述べているのである。


(ほぼ同時の面打ちだが、弟子とF六段の右足の違いに注目)


(K四段の面打ち、打ちそのものは良いのだが、アゴが上がってしまうクセが直らない)


(帰りに長正館に寄る)(道場の床は無くなり師範室や二階の更衣室が剥き出しに)
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みーちゃんの視線

2018年01月17日 | うちの猫の写真
猫のみーちゃん。女の子。

嫌っているのか甘えん坊なのかよくわからない。
私が家に帰ると隠れていることが多い。
くつろいでいる時に撫でてやると噛みついてくる。
あま噛みかな?と思ってたら血が出るほど強く噛まれる。
嫌われているのかな?と思ってると膝の上に乗ってきて寝ている。
膝の上では別猫のようで、いくらいじってもくつろいでいる。

2年前、大東市役所のすぐ近くで母猫に置き去りにされていたそうだ。
剣友の山本氏が子猫を見せに来てそのまま預かった。
不安そうに震えていた子猫を山越えして奈良まで連れ帰ったのだ。

今では先住の姉さん猫達より大きく生意気になって、
一番気が弱いくせに態度と食欲だけは一番でかい。
よくわからない猫だけど可愛いことに変わりは無い。

その視線、何を考えているのかな?


(SONY-NEX-C3、ISO-1600、f2.8、1/125秒、35mm焦点距離24mm、モノクロ強調加工)


(SONY-NEX-C3、ISO-1600、f3.2、1/160秒、35mm焦点距離24mm、ピントあまし、トリミング)
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