稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

剣道講和(敬老の日に話した内容、年不明)- 1/5

2017年12月06日 | 長井長正範士の遺文
九歩の距離で礼をする時、乗り身(相手に乗っている)の心境となる。
相手が礼をするから呼吸を合わせこちらも礼をする。
帯刀するからこちらも帯刀する。
三歩前進するから前進する。
蹲踞するから蹲踞するのである。

蹲踞の重心は下腹。立つ時は相手に呼吸を合わせてながらゆっくり立つ。
下腹に力を集中し堂々たる正眼の構えで腰を入れる。心は正しい誠の心。
「さあこれから攻めて打ってやろう」とか、
審査なら「審査員に良い格好を見せよう」としてはならない。

気合は下腹から出す。気を養い精神統一し攻めの集中力を高める。
打とうとか打たれまいという我が心を切り落とし無心に入るためである。
もし相手が先に掛け声を出したら、
その気合の終るか終らないうちにスカサズこちらから迎えるように気合を出す。
これを威声という。ここの所が大事で、先に攻めて相手が先を起こさすようおびきよせ、
その先に来るところの先を打つ。

次に攻め。一刀流では剣先で相手の鍔拳を攻めるのである。
この時点ではまだ打とうという気を起してはならない。
打とうという気無しにスッと打ち間に入る。
その時、軽く息を吸って、今まで臍下丹田力を入れていた力を抜く。
力を入れるだけを知っていても駄目で抜くことも知ることが大事である。
力が抜けていると、身体は瞬間、柔らかく軽くなり、ハッとした瞬間に技が出る。
小手打ちは咽喉から発声し肉体の他の部分は力を抜く。
面打ちは水月(みぞおち=幅広い解釈では胸)から発声する。
即ち心(水月)をもって相手の心を打つのである。
突きの発声は下腹から行う。

(続く)


(昭和45年4月、長正館にて)
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