稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

ご飯粒を残す人のこと

2021年09月06日 | 食べ物の話など


ある日の剣道稽古の帰りのこと。
たまたま出るのが一緒だったのと方向が同じで昼飯時だったので、
「途中で飯食いに行きましょか?奢りますよ。」と、その剣友と昼飯を食べた。

剣道の話など話は弾み、さあ帰ろうと思って相手の茶碗を見て驚いた。
ご飯粒が茶碗全体に散らばるように残っているのだ。

相手は年上だし、一瞬ためらったが見過ごすことは出来ない。

私「いつもご飯粒は残すんですか?」
彼「うん、いつもやで」
私「子供の時、叱られたことは無いのですか?」
彼「いやあ、無いなあ・・・」
私「申し訳ないですが、ご飯つぶは残さんといてくれますか?」

少し、いぶかる表情の彼だったが全部食べていただいた。

マナーの問題、躾、教育の問題、見た目の問題、価値観の問題・・・・
理由はともあれ、私はご飯粒を残すような人物を軽蔑する者である。
古いと言われればそれまでだが、ご飯粒を残す行為は生理的に受け付けない。
今後、彼を食事に誘うことは滅多に無いと思う。

(写真を撮る暇は無かったので画像は借り物ですが、ほぼこんな状態でした)
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毎晩、値上がり前の発泡酒で晩酌なのだ。

2020年10月14日 | 食べ物の話など


10月から発泡酒が値上がりするとかで、9月の末に大量に発泡酒を買い込んだ。
いつもはキリンの本麒麟を買っているが、試しに飲んだことが無い銘柄を各種買ってみた。



飲み比べてわかったのは、どれもそれなりに旨いということ。

先日の稽古で、英国人のJMに「発泡酒が旨いぞ」と言ったら「ふふん」と馬鹿にされた。
ビールの本場からすれば発泡酒はビールでは無いのだろうが貧乏人の味音痴に違いはわからない。
いや、飲み比べればやはりビールは旨いが、値段の差ほどでも無いのだ。
現に数日経てば、発泡酒も慣れてしまって「ウマイウマイ」と飲んでいる。
何でもおいしくいただけるほうが人生楽しいと思う。
そういう意味では私はグルメでは無い。

それにしても国税庁は酷なことをする。
元はビールの税率があまりに高いので、メーカーが工夫して安いビール風の発泡酒を作ったのだ。
そしたら発泡酒が売れ過ぎたので、酒税法を改悪して発泡酒の税率を上げたのだ。
メーカーはさらに税金の安い第3のビールを開発して売り始めた。
今では「外ではビール、家庭内では発泡酒」という人がほとんどだ。
私も夏場だけだが、たまに発泡酒より安いチューハイを飲むようになった。
缶チューハイは缶ジュースより安い。安売り店なら100円以下で売ってるのだ。

それにしても、ガソリンでもそうだが、高額の税金がかかっているビールにも消費税がかかる件。
けっきょく「取りやすいところから取る」というのが基本なのだろう。
だいたい今でも「ビールは贅沢品扱い」というのが納得がいかない。



我が家では自分で飲のは発泡酒、お客さんが来たらビールというのが常である。

45年も昔の話。下宿住まいの貧乏な学生の頃はビールなんか滅多に飲めなかった。
千葉の松戸の路地裏の居酒屋で、ホップ入り炭酸焼酎の「ホッピー」を飲んだことを思い出す。

ホッピーは最近は関西でも見かけるようになった。
味も忘れたし、一度買って飲んでみようかな。けっこう旨いかも。

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夜の夜中に女房に料理の手ほどきをした話。

2020年10月10日 | 食べ物の話など


女房が料理が下手だと気がついたのは新婚旅行から帰った初日の夜だった。
もう39年も前の話だ。

当時は東亜特殊電機(現TOA)の秋田駐在所勤務。
3DKの自宅の玄関脇の6畳間を仕事部屋として使っていた。
女房は同じ会社の、元は青森出張所勤務で、縁あって20才で嫁に来たのだ。

溜まった仕事を片付けながら「妙に晩御飯おそいなあ」と思っていた。

しばらくして奥から「ごはん出来ました・・」との声。
夕食の献立は忘れたが、新婚ゆえ、きっと粗末な物だったろうと思う。

ちょっとワクワクしながら味噌汁を飲んだ。
これが薄い。味がほとんど無い。

「これ何やねん?」と聞いたら「お味噌汁・・」と小さく返事をする。
「こんな味噌汁があるか!」とすぐに台所に行き味を付けなおした。

ダシが効いていないのと味噌が少なすぎるのである。
これがそもそもの始まりだった。

------------------------

で、つい先日の話。

稽古が終わって夜の11時頃に帰宅。
食卓に座って、まずはダイコンの煮つけが出てくる。
それをアテにビールを飲む。うん旨い。

次に出て来たのが、厚揚げの薄切りと豚バラ肉と長ネギの炒め物。
お腹が空いていたのでしばらく食べていたが、だんだん違和感を覚える。
ダイコンの煮つけと同系列の味がするのだ。
しかもかなりの薄味。何これ?煮物?

私「これどうやって味付けしたん?」
妻「麺つゆ入れて炒めた・・」
私「それなら煮物やで」
妻「でもフライパンで炒めた・・」
私「あほう!麺つゆ入れただけなら煮物になるわい!」

おそらく女房はフライパンを使ったら炒め物になると思っているようだ。
残りの「煮物風炒め物」を持って台所に立つ。

フライパンを熱し、バターを入れる。
そこに厚揚げの薄切りを並べてしっかり焦げ目をつけた。
そこに残りの豚バラ肉と長ネギを入れて強火で炒める。
充分に火が通ったら、醤油を入れ、混ぜながらさらに炒める。
仕上げは胡椒。好みなのでたっぷりふりかける。

私「食ってみ」
妻「味がしっかり付いてておいしい」
私「こういうのを炒め物と言うんや」

性格がおとなしい女房は味の付け方も控えめである。
放っておくと病院食のような味の薄いものしか出てこない。
私はアブラっこい、味の濃い、こってりした味付けが好きなのだ。

独身時代に可愛い女の子に惚れられたことがある。
数回、食事だけのデートをしただけだったがとても困ってしまった。
その子、肉嫌い、魚嫌い、野菜嫌い・・・なのだ。

「こんな子と結婚したら何食わされるかわからん!」と疎遠になってしまった。

女房は何でも食べるが、何でも「おいしい」とだけ言うタイプ。
金が掛かからないのは良いが「何を食わされるかわからない」ことは先の子と変わらない。

残念ながら文句を言っても味付けは改善しない。
女房は「ヘルパーの仕事で老人食を作ることが多いから・・・」と言い訳するが、
「味は薄いがまあまあ旨い」のと「もともと不味くて味も薄い」は違うぞ、おい。
仕方が無いので手直しのスキルだけは持つようにしている。
以上、恥だが書いておく!

(最近、youtubeで見たレシピで料理するようになった話は別に書くつもり)
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最近は、ラーメンにはまっている

2020年06月19日 | 食べ物の話など
職場での昼食は自宅から持ってきたおにぎりと何かしら汁物を摂ることが多い。
カップ麺やインスタントラーメンも美味いのだが妙に飽きもくる。
で、うどんや、蕎麦の延長でラーメンも作ってみようということになった。

業務スーパーに行ってみたら「鶏だしの素」が売っていた。
ラーメン用とは書いていなかったが、中華スープの作り方が書いてある。
これでいいかも。

で、買ったのは、鶏だしの素・185円、袋入り味付メンマ・78円、中華麺1玉16円の計279円。(税込301円)


(業務スーパーで185円で売っていた鳥だしの素)

水250ccに、鶏だしの素を大さじ1杯、塩少々、胡椒ひと振り、醤油大さじ1杯でスープを作る。
この「胡椒ひと振り」で劇的に味が変わるのには驚いた。

茹でた中華麺の上にかけて、メンマとネギを乗せて完了。
気がついて家から持ってきたコロッケも入れてみた。


(スープは美味いが麺がイマイチだった)

スープは旨いが麺がイマイチ。
やはりラーメンは麺が大事だ。
ケチらず本格的な中華麺が必要と思った。

本格的な中華麺でも、普通のスーパーで1玉50~70円で売っている。
これで作ったら大正解で文句なしに美味い。

醤油は、普通の醤油、少し甘い九州醤油、あごだし醤油と変えてみると味の変化が楽しめる。
具は、スーパーのチャーシューや、煮たまごを入れたらまた美味しい。
醤油味に飽きたら、塩ラーメンや味噌ラーメンも面白い。卵とじも試してみよう。
バターを乗せたらまた濃厚になってご機嫌なのである。


(卵とじ醤油ラーメンネギたっぷり・これは美味かった)


(塩バターラーメン・バターの味が濃厚でたまらなく美味い!)

ちょっとしばらく事務所でのラーメン作りは続きそうである。
注文が多く、作るヒマが無い時もあるが、これは嬉しいが、ちと残念な気持ちもある。
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カレーうどんを作ってみた

2020年04月30日 | 食べ物の話など
お昼は自宅から持参したオニギリと何かちょっとしたおかずで済ませることが多い。
さすがに毎日オニギリでは飽きるので、たまに職場で何か作ることにしている。

うどんや蕎麦は定番メニューで、近場の業務スーパーで一玉19円のうどん玉か蕎麦玉を買い、
お湯160ccに、久原のつゆ(あごだしつゆ)20ccと、少しのみりんを入れて軽く煮立たせ、
茹でたうどん(または蕎麦)にかけて、刻んだネギを乗せるだけの簡単なものである。
安く仕上げて美味いに越したことは無い。業務スーパー大万歳である。



この久原の「あごだしつゆ」は少し高いが良い味を出す。
1本あれば、自分が料理の天才になったような気がするほどだ。

カレーうどんもたまに作るがカレーうどんの作り方がわからない。
と、いうか、勝手に何やら難しいと判断していて、市販のカレーうどんを食べていた。

お気に入りはスーパーで売っている得正のカレーうどん。
うどんを煮て、カレーパウダーを入れて煮詰めると出来上がる。



しかしこの得正のカレーうどんは売ってる店舗が限られる。
買いに行っても品切れの場合もある。

そんな時、メーカーは忘れたが「カレーうどんの元」というレトルトパックを買い、
温めてうどんにかけて食ったが、どれもこれもすこぶるマズイ。


(買ってきたレトルトのカレーうどんの一つ)

で、自分で作ってみることにした。

いつも通り、お湯160ccに、久原のつゆ(あごだしつゆ)10ccと少し薄めにする。
お好みで少しのみりんを入れて軽く煮立たせる。
そこに市販のカレールウの一かけらを入れてよく溶かし、それを茹でたうどんにかけて出来上がり。


(カレーうどんには甘口のルウがうまい)



結果は驚くほど美味い。
得正のカレーうどんも美味いがそれ以上に美味い。
これは病みつきになる味だ。

市販のカレールウは便利でおいしく最強のアイテムである。
今度、一度作ってみたかった、具無しのカレーライスを作ってみようと考えている次第。
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大池橋の焼肉アジエンで「ひとり焼肉」(2020年4月18日)

2020年04月19日 | 食べ物の話など
焼肉を食べにわざわざバイクで出かけたのでは無い。
溜まっている長正館の書類を受け取りに東住吉の井上館長に会いに行ったのだ。
バイクで行ったのは昨夜からの雨が止んだのと、バイクだと時間が正確だから。
この時期のバイクは暑くもなく寒くもなく、トコトコ走ると快適である。
仕事が無ければ一日中乗っていたい気分だ。

11時半に井上館長と待ち合わせ。
大阪剣道道場連盟の書類、大阪府剣道連盟の書類、
中止になった伊勢神宮演武の手紙、南伊勢の愛洲移香斎顕彰祭の手紙、
禮楽堂(小野派一刀流)の矢吹宗家からの手紙などなど受け取る。

それぞれ、どう処理するのか打合せをし、雑談してから失礼した。
長正館の大阪府剣道連盟への登録は、
今年から代表者は従来通り井上勝由館長で、指導責任者は私となった。
責任重大であり身が引き締まる思いである。


(93才の井上館長、お元気そうで安心した)

今里通りをそのまま北上する。
大池橋まで差し掛かったらちょうどお昼になったので、
長正館のN村理事のお店「焼肉アジエン」に顔を出した。
もしか営業していたらお昼ご飯を食べようと思ったのだ。



食べログには「完全予約制」などと書いているが、
お昼は食券の自動販売機があって、気軽に焼肉が楽しめる。

大阪府大阪市生野区田島1-4-1
焼肉アジエン  TEL 06-6758-3678

ちょうど営業していたので挨拶してから食券を買う。
買ったのは「カルビ焼定食」1,300円なり。


(ひとり焼肉が満喫できる店内になっている)

このボリュームで、国産高級カルビの定食が1,300円は安い。
バイクで無ければビールも頼んでいただろう。
コロナウイルスの事など雑談しながら焼肉を楽しんだ。

お腹がいっぱいになって、今里から東進し、旧国道308号を使って事務所に戻った。
長正館がらみの提出書類がたくさんあるが慌てないで片づけていくつもり。


(おしゃれになった焼肉アジエンで、N村理事とツーショット)
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二郎系ラーメンで「男の修行」食ってきた。

2020年04月09日 | 食べ物の話など
職場近くの大東市の住道には「ラーメン荘おもしろい方へ」という二郎系ラーメン屋があり、
若い頃はたま~に行ってそのボリュームを堪能していたがこの年ではさすがに荷が重すぎる。


(大東市住道のラーメン荘おもしろい方へ)

最近は、丸源ラーメンや、ふくちあんラーメンの「肉そば」のようなあっさり系を食べることが多い。
(ふくちあんが「ふくちゃん」じゃないことは最近気づいた)

天気の良い暖かい日はバイクに乗って出勤するのだが、
そういう日はお昼も普段は行かない店を探索することが多い。
私はB級グルメで、そこそこ安い旨いものを見つけるのが趣味でもある。

国道163号線の門真市巣本交差点のすぐ近くに前から気になっていたラーメン屋がある。
「黒木製麺 釈迦力 雄」という名前からは、何やらいかめしい印象を受ける。
さていったいどのようなラーメンが出てくるのであろうか?気になっていたわけだ。

ということで、武漢ウイルス禍の中をバイクを走らせ行ってみた。
少し不謹慎だが、どこの飲食店も思いのほか空いているので嬉しい。

メニューを見て、看板メニューの 「男の修行」を注文。
「トッピングはどうされますか?」と聞かれて「ん?」となっていたら、
目の前のメニューを指さして「無料でトッピングできます」ときた。

「もしやここは二郎系?」という疑念と恐れが頭をよぎったが、
根がビンボーなので「無料です」という言葉にはけっこう弱いのだ。
まあ、麺さえ少なくすれば良いのだ・・・とも思ったのだ。



麺はカタめ、野菜はマシマシ、お肉はマシマシ、背脂ノーマル、ニンニクマシマシ、うま辛脂ノーマル。
注文が通ってからメニューをよく見ると野菜の量はマシマシで750gということに気づいた。
さすがに750gは・・・と不安になったが仕方が無い。

まあ野菜なら多くても何とかなるだろう。。。





出てきて驚いた。
どこから食って良いのかわからない。
写真ではよくわからないが、野菜の高さは丼の深さより高くそびえている。
箸をつけようとしたらたちまち崩れてきそうで怖いほどである。

結局、最初のうちは、チャーシューをおかずに野菜(もやし中心)ばかり食っていた。
山を崩し、野菜を半分も食べたらお腹いっぱいになってきた。

マジにヤバイ!

小さい頃から「出されたものは残さない」という教育を受けてきたのだ。

時々、持っていった本を読みながら、時間をかけて胃袋におさめていく。
いつもの倍以上の時間をかけ、休み休み食べ続け、何とか完食した。
せっかくおいしいラーメンもこうなれば難行苦行でしか無い。
まさに「男の修行」である。

次回は、オールノーマルで注文するつもり。


(食べ終わってから店の前で撮影・・苦しそう・・・)


(ついでに職場近くのバイク屋でオイル交換もしておいた)
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工房での独り酒

2020年03月20日 | 食べ物の話など
昨日の続き。

工房で飲むのはウィスキー系が多い。
実は味音痴で、安い酒でも飲み慣れたら平気なのだ。
一度試しにブラックニッカをずっと飲んでたら慣れてしまったほど。

本当においしい食べ物がおいしいと感じる方が良いのか、
そこそこの食べ物だったら何でもおいしいと感じる方が良いのか。

長い目で見たら後者のほうがしあわせなような気もする。

ネットサーフィンという言葉を今も使うのかどうかわからないが、
Windows3.1の時代からネットの世界に入り込んでいる。
何よりどんな事でも検索して簡単に調べられるのが嬉しい。
昔は人に聞くか百科事典でしか調べる術は無かったのだ。

夜は食後に工房に入るのが常である。
Youtubeでジャズを聴きながら酒を飲むことは昨夜書いた。

ウィスキーにはジャズが似合う。
スピーカーはちょっと良い音のものを購入して接続している。
若い頃に100万円以上もかけて揃えたオーディオ装置は今はホコリをかぶってしまった。
今は安価にそこそこ良い物や環境が手に入る時代なのが嬉しい。

照明を暗くして音楽を流すと工房は酒場に変身する。
ジャズバーだと気に入らない曲でも我慢して聴かなければならないが、
ここでは気に入らなければどんどん曲を変えられるのだ。

音楽を聴きながらのネットサーフィン。
酒場の画像、焚火の動画、流れるのはスローテンポのジャズ。


(工作台の上はテーブル代わりになる)


(これは昨日の記事の「大きなきのこの山)


(画面いっぱいに酒場の風景を出すと雰囲気抜群)


(ロックのおかわり、氷が無くなるとそのままストレート飲み)


(最近はまっているのが焚火の動画)

最近は稽古が無いので工房にこもることも多くなった。
コロナ禍が続くと、このまま爺さんの引き籠りになるかも知れない。
少し以前より酒の量が増えたような気がする。
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きのこの山の食べくらべ

2020年03月19日 | 食べ物の話など


甘いものは嫌いでは無いがそんなに食べる機会はない。
元々は大福などは結構好きだが太るのであまり食べなくなった。
還暦を過ぎた頃から体重が落ちない。困ったものである。

普段はビールと日本酒を飲む。たまに焼酎。
肴は何でも良い。ピーナッツや漬物でも満足している。

夕食後は工房にでバーボンかスコッチをロックで飲むことが多い。
原則アテは不要だが甘いものがあれば嬉しい。

------------------

スーパーに行ったらレジの横に「きのこの山」が置いてあった。
いつもとパッケージが違うなと思った。
バーボンのアテに1個買ってみた。

偶然にも家に普通の「きのこの山」があったので食べくらべ。





1)大粒きのこの山トリュフアイスカカオ&バニラ味
トリュフの味を知らないのでどんな味かと思ったらバニラの香り。
バニラ系の香りの強いホワイトチョコという感じかな?
粒も大きいので大変おいしくいただいた。

2)普通の、きのこの山
まあ、昔からある味。ミルクチョコレート&カカオ味。
それなりにおいしい。大粒を食べたあとでは小さく感じる。
圧倒的に大粒きのこの山トリュフアイスカカオ&バニラ味がおいしい。



夕食後は、きのこの山とウィスキーの瓶を持って工房に入った。
Youtubeでジャズを聴きながらJack Daniel'sをロックで飲む。
誰にも(猫にも)邪魔されない、自分だけの空間で時間が過ぎていく。
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金が無いのでお昼は賞味期限切れ、夜はビンボー鍋を食す・・・

2020年02月24日 | 食べ物の話など
最近金が無い。本当に無い。

先日、仕入れの代金を振り込んだら手元に万札が無くなってしまった。
札入れの中が千円札だけ、あとは小銭というのは、この年齢にしたら心細いものだ。

昨年の工房の改装に80万円、デリカの修理で20万円、合計で100万円。
この100万円の現金が無くなったのが今になって懐に響いている。
この時期の100万円は大きい。

おまけに年末に新しいパソコンを買った。windows7が終了するためだ。
お金は稼ぐより無くなるほうが圧倒的に早い。ああ。。。

というわけで、事務所にあるもので昼食を取ることにした。
レトルトのハヤシライスと、レトルトのご飯。お昼はこれで充分である。









いずれも消費期限が切れていたが、特に問題も無くおいしくいただいた。(写真は無し)


夜は自宅でビンボー無水キムチ鍋。

これは安くて簡単で無茶苦茶においしい。
お金の無い人、いやお金があってもぜひ試して欲しい。

1)薄くスライスしたニンニクをごま油で炒める。(土鍋では炒めないこと)
2)土鍋に、先ほどのごま油を入れ、その上からモヤシをたっぷり入れる。
3)お好みでニラを加えるのも良し。
4)モヤシの上にキムチを適量敷き詰める。キムチで味が決まる。
5)その上に安い豚バラ肉を敷き詰める。
6)最初に炒めたニンニクをその上に乗せる。
7)白だしを適量(一人分で大さじ2杯ぐらい?)かける。
8)あとは弱火にかけて出来上がり。
9)蓋を開けたら、たっぷりの白ごまをふりかける。



これはうまい。本当にうまい。
ビールにも、ご飯のオカズにも合う。栄養もある。
キムチ炒め系の味だが、比べ物にならないぐらいこっちのほうが旨い。
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昭和30年代の給食の思い出

2020年01月18日 | 食べ物の話など
昨年の12月26日に給食の事を書いたので少し補足。

捨てる牛乳やパンを持って帰ったら罪になるのか・・・
https://blog.goo.ne.jp/kendokun/d/20191226/


(2016年10月28日の読売新聞、日本ユニセフ協会の広告より)

小学校(奈良女子大学文学部附属小学校=現在は奈良女子大学附属小学校)の給食の話。
確か低学年(昭和36年4月~昭和39年3月)までは脱脂粉乳だった。

給食室で、粉の粉乳を給食用のスコップで大きな容器に放り込み、
水を入れて掻き回したのを見た記憶があるが、想像なのか記憶なのか自信が無い。

それを金属製のバケツに移し変えて各教室状に運ぶ。
低学年では脱脂粉乳のバケツは重く二人係で運んだ記憶がある。

脱脂粉乳はまずくて、クラスのほとんどが鼻をつまんで飲んでいた。
(中には「好きだ」という子もいたが少数であった)
当時は給食を残すことはご法度で、全員が食べ終わるまで席を離れることは出来ない。
私などは男兄弟の中で育ったので食べるのが人一倍早く、時間を持て余して困っていた。

今でも思い出すのがM岡さんの事。
M岡さんは旅館の娘さんで、誰より口が肥えていたのか脱脂粉乳が飲めない。
飲み終えるまで遊べないので、一人残ったM岡さんに、誰かが拍子を取り始めた。
「飲め飲め牛乳はやく飲め」みたいな拍子だったと記憶している。
せかされたM岡さんは思い切って鼻をつまんで一気に飲み干した。
ワ~イ!の歓声が出た瞬間、手で押さえたM岡さんの口元から牛乳が噴き出した。
咽喉にでも入ったのだろうか、あわてて先生が雑巾を持って駆けつける。

そこからの記憶は無いが、当時は連帯責任のような教育が普通だったのだ。
給食の時間は、好き嫌いの多い子、食が細い子には大変な時間だったのだろうと思う。

昭和39年に小学校は旧奈良市内から郊外の学園前に引越しをした。
脱脂粉乳は三角パックの牛乳になり、ほどなく瓶の牛乳に変わった。
奈良の植村牧場の牛乳である。「牧場で作った牛乳なんだ」と感激した。

ある日、社会見学ということで植村牧場まで行った。
描いていた牧場のイメージが粉々に砕け散ったのをよく憶えている。

牛乳の蓋は机の端に置いて飛ばしっこをしてよく遊んだ。
あまり熱中し過ぎて禁止令が出たほどである。

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もうひとつ、私のとっての大事件。

魚のフライが出て、骨っぽいのを我慢して食べていた。
すると小骨があったのか、咽喉の奥に引っ掛かってしまった。
咽喉の奥が痛くてたまらないので担任の小川先生に訴えた。

「パンを丸呑みにしたら落ちる」と言われ、パンをいくつも丸呑みにした。
落ちないので「パンじゃなくてご飯が良い」ということになり、
小川先生はご飯をどこからか貰ってきて、ご飯の塊を何回も私に飲み込ませた。
お腹はパンパンに膨らむがそれでも骨は落ちない。落ちないまま帰宅した。

帰宅して母親に骨のことを言ったのかどうか記憶は無い。
弱音を吐くと兄達に馬鹿にされるのがイヤで黙っていたのかも知れない。
痛いまま寝床につくのだが、痛くて、不安でなかなか眠れなかった。

しかし朝起きたら骨はすっかり取れていて痛みも無くなっていた。

それからずっと骨のある魚フライはなるべく食べないようにしてきた。
アジフライなどを食べ出して「旨い」と思ったのは大人になってからである。


(ネットで探したイメージ写真)
https://matome.naver.jp/odai/2136945200257776801/2136946269760074203

さらにカレーについて。

今のカレーでもカレーシチューでもなく黄色い粉っぽいカレー。

当時は給食はパンだけでコッペパンの日と食パンの日があった。
どちらにもマーガリンが付いていて家のバターより柔らかく塗りやすかった。

ある日、カレーを先割れスプーンですくったらトリの目玉と目が合った。
驚いてよく見ると、それはトリの頭の片側半分で、赤いトサカまで付いている。

大変驚いたが、なぜか自分が悪いような気がして、それだけ残してあとは食べた。
残したら叱られるかも知れない・・という思いのほうが強かったのだ。

今から思うとホラーのような場面である。女の子なら卒倒していたかも。

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これは私の長兄の小学校一年生の時の話。

私の長兄の滋は未熟児で生まれたのと1月生まれのせいでクラスでは小さかった。
小学校の低学年は大阪の船場に住んでいて、通っていたのは今は無き芦池小学校。
小さいので給食のパンは食べきれない。それを机の引き出しに入れていたらしい。

何やらおかしいと思った女の先生が長兄の引き出しを開けたところ、
中に潜んでいたネズミがその女先生の腕を駆け上って逃げていったらしい。
先生は驚いて気絶してしまい学校をあげての大騒ぎとなった。
「学校でネズミを飼っていた」と母親がこっぴどく叱られたという話。

当時は私は3才だったと思うが、なぜかこの話はよく憶えていて、
「ぼくも学校へ行ったらネズミ飼ってみたい」と密かに思ったのを憶えている。

----------------------

余談だが、低学年の頃は、世間一般に栄養失調児も多かったのか、
給食か何かの時に肝油が一粒配られた時期があった。
甘くてとてもおいしくて嬉しかった。

あと、高学年の時だが、虫下しの丸いチョコレートが配られた事がある。
当時は水洗トイレで無い地域も多く、田んぼの片隅には肥え溜めがあった時代だ。
回虫やギョウ虫のいる子供も多く、毎年ギョウ虫検査の検便を行う。
検便はマッチ箱に入れて提出する。ビニールに包むとはいえカバンに入れるのがイヤだった。

虫下しチョコは全員に配られた。
虫のいる子だけで良いはずなのだがイジめ防止のためでは無いだろうか?

甘いものに飢えていた私達子供に虫下しチョコは大変美味だった。
すぐに食べなくちゃいけないのに隠し持って放課後ゆっくり食べた事もあった。
チョコは誰かが「チロルチョコ」と呼んでいた。調べたがそうでは無い。名前は不明である。

四角い虫下しチョコの箱を、音楽の時間中にオルガンの鍵盤で弾いて飛ばしていたら、
ちょうど文部省か何かの視察の時で問題になり学校上げての大事件になってしまった。
確か、私を入れて4人だったと思うが、全員、親を呼び出された。しくしく泣いていているヤツもいた。
私は「これぐらいのことで怒るなよな」とうそぶいていた。チョコのちょっと苦~い思い出だ。
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捨てる牛乳やパンを持って帰ったら罪になるのか・・・

2019年12月26日 | 食べ物の話など


【2019.12.25 19:00 産経新聞】
給食の残りのパン、牛乳31万円分を持ち帰る 堺市教委、高校教諭を減給処分
https://www.sankei.com/affairs/news/191225/afr1912250034-n1.html
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 堺市教育委員会は25日、廃棄予定だったパンなど学校給食の残食総額約31万円分を自宅に持ち帰っていた60代の市立高校教諭を減給3カ月の懲戒処分としたと発表した。教諭は同日付で依願退職した。

 市教委によると、教諭は平成27年6月ごろから今年6月にかけ、廃棄予定だった給食の残食(パン約千個、牛乳約4,200本)を自宅に持ち帰っていた。用務員の男性に自分のカバンやあらかじめ用意した発泡スチロールの箱に詰めるよう指示していたという。

 今年6月、市教委に告発文書が届き発覚。市教委の調査に、教諭は「廃棄するのがもったいないと思った」「用務員が廃棄する手間を少なくしようと思った」と動機を話した。教諭は11月、持ち帰ったパンと牛乳の実費分約31万円を市に弁済している。
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【2019.12.25.19:42 ABCテレビ】
「家族で食べた」廃棄処分の給食の食パンと牛乳 高校教師が31万円分持ち帰り減給処分
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191225-00024457-asahibcv-l27
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給食で廃棄処分されるパンと牛乳、約31万円分を4年間にわたって持ち帰ったとして、62歳の男性教師が減給処分を受けました。

堺市教育委員会によりますと、市立堺高校に勤めていた男性教師は、2015年6月ごろからことし6月まで、4年間にわたり、廃棄される給食のパン約1,000個、紙パックの牛乳約4,200本を自宅に持ち帰って、家族で飲食していたということです。男性教師は「もったいない」と思う気持ちから廃棄処分を担当する業者に依頼し、1回あたりパン5、6個、牛乳10本程度を用意した箱やかばんに入れて持ち帰っていました。堺市教育委員会は「学校教育の信用を著しく失墜させた」として、男性教師を減給処分にしました。男性教師はすでに持ち帰った給食の代金約31万円を市に返還していて、25日付で依願退職しました。
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う~ん、これはどうなんだろう。
確かに一見卑しい行為には違いないが、捨てる運命のパンや牛乳を持ち帰ったこと自体は、
それほどの悪いことには思えない。私も同じ立場ならやってると思う。

私の小学校(奈良女子大学文学部附属小学校)では給食だった。
給食当番は各自のアルマイトの食器にひしゃくで惣菜を配分する。
これがなかなか難しく、最初は少なめ、あとのは多目となりやすい。
途中で足りなくなったら大変だからと余裕を持って配分する。
最後のほうが多くなるのも不自然なので惣菜は余る。たくさん余る場合もある。

いつの頃からか「余った分は欲しい人が貰って良い」ということになった。
私と、親友のO村君、F川君などは大食らいなので、毎日おかわりを貰った。
給食を残すという事は恥だという時代だった。
食べ切れなかったパンなどは紙に包んで持って帰るのが当たり前だった。
食べ物を捨てるなんてトンでも無い時代だったのだ。

この先生の行為は、行為自体はこれと同じことである。
しかし隠れて(かどうか知らないが)、自分だけ持ち帰るような行為をしたため、
報道だけ見ると一見卑しい行為になってしまったことは否めない。


(第13回全国学校給食甲子園で優勝した兵庫県、養父市学校給食センターの給食)

給食だって少なくとも税金の補助があるはずだ。
余ったからと言って捨てて良い道理は無い。
これは納税者としても納得がいかない。

いやその前に、食べられる食べ物を捨てるという事自体がどうなのか?
日本には食事の前に「いただきます」と言う。これは食物の命への感謝だ。
自分が生きていく上で、他の生物の命を奪ってしまう事への感謝が「いただきます」だ。
そこには「食べ物を粗末にしてはならない」という思いがある。

余ったパンや牛乳があるなら自由に持ち帰って良いルールにすれば良い。

食中毒など問題が起こったらどうするのだとか、
厚かましい一部の者だけが得をするから良くないだとか、
持って帰って再販する者も出てくるのではないかだとか、
必ず文句を言うヤツが出てくるのだが、それは枝葉末節の議論である。

依願退職した62才の男性教諭と言えば私と同世代である。
この男性教諭の親は戦中戦後を育ち、食べ物のありがたさ、大切さを、
小さな頃からこの男性教諭に厳しく教えてきたはずだ。

私の小さい頃はご飯粒一つ残しても叱られたものだ。
教育とは何だ?ただ単に読み書き勘定を教える場では無い筈だ。

余って捨てる物を持ち帰って何が悪い?と言いたい。
堺市教育委員会の「学校教育の信用を著しく失墜させた」は的外れだ。

食べ物に対する感謝を忘れ「もったいない」という美徳を忘れた教育は教育では無い。
ともかく、堺市教育委員会は、この件で、今後どうするのかを示して欲しい。
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子供の頃、勘違いしていた食べ物の一覧

2019年12月18日 | 食べ物の話など
子供の頃、勘違いしていた食べ物一覧

①きつねうどんのかやく
幼稚園に通っていた頃は心斎橋の店(ホワードの前身のフタバヤ)の二階に住んでいた。
月に一度、棚卸しの時に全社員にきつねうどんが振舞われるのが恒例だった。
全社員が全商品を1枚1枚、手作業で数える棚卸しは遅くまでかかるのでお腹が空く。
だから営業終了後に社員食堂で、社員が順番にきつねうどんを食べるのだ。
幼稚園児だった私は、時々お邪魔して、きつねうどんにありついていた。

うどんの丼には木の蓋がしてあって、その上に割り箸が置いてある。
割り箸には紙で包んだ七味唐辛子がはさんであって、
それには「かやく」と大きくひらがなで書いてあった。
大人たちが七味唐辛子をかけるのを見て「大人は火薬を食べるのだ」と思っていた。

②かやくごはん
上の続きのような話。
店の近くのうどん屋の品書きに「かやくごはん」と書いてある。
これは火薬の入った恐ろしく辛いご飯の事だと思っていた。
「かやく」は「火薬」で、火薬と七味唐辛子が同じ物だと思っていたのだ。
だから七味唐辛子を火にくべると爆発するものだと信じていた。
なぜそんな危険な物が食えるのかとずっと疑問を持っていた。

実際には、かやくごはん(炊き込みご飯)を度々食べていたのだが、
それが、かやくごはんだとは思っていなかっただけのこと。

かやくごはんと言う呼び名も関西特有の言い方だと知ったのも、
かやくが「加薬」だと知ったのも、ずっとずっと後のことである。

③たいやき
不二子藤雄の漫画(パーマンだったかな?)で、たいやきを食べるシーンがあった。
当時は関西にたいやきは無かった(少なくとも自分の周りには無かった)のだ。

マンガで見たたいやきを見て、
本物の鯛の姿焼きの、腹の中に餡が入っていると思ってしまったのだ。
味を想像して「なんて気持ちの悪い食い物なんだろう」と思ったのを憶えている。

④あんかけうどん
単純に「餡を乗っけたうどん」だと思っていた。
ああ気持ち悪い・・・

⑤すうどん
素うどん。関東で言う「かけうどん」のこと。
すうどんは「酢うどん」だとずっと思っていた。
酢の味の効いたうどんなんてまっぴらごめんこうむりたい。
で、小さい頃は、きつねうどんばかり頼んでいた記憶がある。



⑥おそ松くんの、チビ太のおでん
上の三角がコンニャク、真ん中の丸がガンモ、下の四角がナルトが標準だそうだが、
コンニャクはわかるが、真ん中はジャガイモだと思っていた。
ナルトはラーメンの具としてしか認識が無く、ずっとゴボウ天だと思っていた。

話は違うが、ちくわぶ(竹輪麩)は18才で東京に出るまでは食べた事が無かった。
元は東京の下町の庶民的な食べ物らしいがおいしいと思ったことは無い。

⑦ウインナーコーヒー
生クリームを乗っけた「ウィーン風コーヒー」のことだが、
文字どおり「ウインナーソーセージを入れたコーヒー」だと思っていた。
コーヒーはブラック専門で、ウインナーコーヒーはいまだに頼んだことは無い。

⑧メンマ
これはけっこう大きくなって(高校生の頃かな?)からの話。

メンマは竹を長時間煮込んだものだと思っていた。
竹は煮込めば柔らかくなると思っていたのだ。
剣道の竹刀の割れたのを、のこぎりで短く切り長時間煮込んでみた。
いくら煮込んでも、まったく柔らかくならないので違うものだとわかった。

⑨かつお節
小さい頃、かつお節削り器でよく削らされた。
かつお節が小さくなると指を削りそうで怖かった。
削るかつお節を見て、何か特殊な食材用の木だと思っていた。
大工さんのカンナくずも煮れば食べれるのではないかと思っていた。

⑩味の素
幼稚園の頃だと思うが、同居の祖父の粕井信一が、四角い赤い缶入りの味の素を開け、
付属の小さなスプーンで「これ食べると頭ようなるんやで」と食べさせてくれた。

小学生の頃、「味の素はなあ、石油から作ってあって食べ過ぎると頭悪うなるんやで」
次兄にそう聞かされ、確認することも無く「味の素は身体に悪い」とずっと信じていた。

NHKが番組の中で「味の素」という商品名が使えず、
「化学調味料」と言ってしまったので変な誤解が生じたという話らしい。

実際は、味の素はサトウキビを発酵して作った天然調味料であり、
いくら使っても健康にまったく影響の無い優れものである。

料理にこだわる人は味の素を馬鹿にする傾向があるが、
下手にダシを取るよりよほど美味いので私は重宝している。



⑪オリーブとカラスミ
小学校の低学年だと記憶しているが、
台所の流しの下にオリーブの瓶詰が置いてあった。
ずっと長い間置いてあるので「これいつ食べるん?」とお袋に聞いた。
「ほなら開けよか」と開けてもらって食べたら不味くて吐き出した。
今はオリーブはおいしく食べるが、子供の口には合わなかったのだ。

同じように冷蔵庫の扉の棚にカラスミがあった。
高価な美味しい物だと聞いていたので食べる時を楽しみにしていた。
お客さんが来た時か何かに薄く切ったのを一切れ食べたが、
固くて塩辛くって、ひとかじりしただけだった。
これも子供の口には合わなかった例である。

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今ならネットで簡単に何でも調べられるが、昔は誰かに聞くか、
図書館で調べるか、メンマのように自分で実際に試してみるしか無かったのだ。

しかしながら、今でも勘違いしている事は多いのだろうなあ。。。
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【思い出】お母んの春菊のおひたし弁当

2019年10月12日 | 食べ物の話など
中学校の時は弁当を毎日持っていった。
お腹の空く年頃で、朝食べて、昼はお袋の弁当を食べて、
授業が終わったら学食でパンかうどん食べて部活して、お腹ぺこぺこで帰宅していた。

当時の小遣いは月に300円。
パンは小さい物でも10円、素うどん(かけうどん)は30円で、
いつも慢性的な金欠でお腹が空いていた記憶がある。

何より昼食の弁当が楽しみで、前の晩の残り物中心の弁当でも、
育ち盛りの私にとっては昼食の時間が何より待ち遠しい毎日だった。

その頃の弁当箱は市販のアルマイトの弁当箱で、
ご飯とおかずが簡単な仕切りで仕切られた普通のもの。
しかし市販の弁当箱ではかなり大き目の弁当箱だった。

私は小さい頃から野菜が嫌いで、特に春菊(菊菜)のように、
少し香りのある野菜はほとんど食べないことが多かった。
晩御飯に出てきても食べないでいて母親に叱られることが多い。


(Wikipediaよりお借りした春菊の画像)


(クラシルからお借りした春菊のおひたし画像)

弁当にも野菜の煮付けなどが時々入るが、まあ我慢して食べていた。
ある日、楽しみの弁当箱を開けたら、おかず入れの3分の1が春菊のおひたしだ。
反抗期だった私は「こんなもん食えるか」とそのまま残して帰った。
叱られるかも知れないと思っていたのに何も言われない。

翌日、弁当箱を開けたら、おかず入れの半分が春菊のおひたしだった。
頭にきて、その日も春菊のおひたしを残して持ち帰った。
やはり母親は何も言わない。

その翌日、弁当箱を開けたら、おかず入れの全部が春菊のおひたしだった。
春菊の緑とご飯の白のコントラストは衝撃的で、生涯で一番驚いた弁当だろう。

いつも友人たちと一緒に食べる弁当だったがその日は一人で食べた。
誰にも見られたくなかったのだ。春菊は我慢して全部食べた。

無条件全面降伏である。家に帰って母に詫びた。
「これからは残しませんので普通の弁当に戻して欲しい」と。

晩年の母に聞いてみたら「憶えてへんなあ」と言う。
私にとっては忘れられない衝撃的な事件だったのに。
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【餃子対決】大阪王将と餃子の王将はどちらが旨い?

2019年08月31日 | 食べ物の話など
以前から気に気になっていたこと。
大阪王将の餃子と餃子の王将の餃子はどちらが旨いのか?

店に行って食べるとどちらも旨い。
大阪王将へ行ったら「やっぱり大阪王将が旨い」と思うし、
王将の餃子へ行ったら「いやいや王将の餃子のほうが旨いかも」と思う。
どちらも旨いのだが、はたして食べ比べたたらどちらのほうが旨いのか?

で、両方のお店に行き、餃子の持ち帰り。2人前ずつ。





餃子の王将のほうが気持ちだけ安い。
箱代が10円と20円で倍も違うぞ!










大阪王将は6個で140グラム。



餃子の王将は6個で150グラム。



左が大阪王将、右が餃子の王将。
大阪王将のほうがラー油が少し多い。



大阪王将。比較的、肉が多い感じがする。



餃子の王将。比較的、白菜(キャベツ?)が多そう。


【結論】

最初のうちは味の違はわからない。どちらも旨い。
食感は大阪王将はもちもち、餃子の王将のほうがシャキシャキした感じ。
大阪王将の皮はモチモチ感がある。最初は大阪王将のほうが辛勝かな?

食べ続けると、大阪王将は若干の肉の臭みが感じられるようになった。
餃子の王将は比較的あっさりしているのか臭みはまったく無かった。
もちろん、両方とも、ニンニクの臭いと味はそこそこある。

結論としては、少し安いのと、ちょっぴし量が多く、
最後まで飽きの来ない「餃子の王将」の餃子の勝利だった。

でも、お店に食べに行くなら、
大阪王将のほうが総合的に旨いような気がする。

以上、個人的な感想なので、悪しからず。

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余談だが、冷凍の「餃子の王将」対「味の素の餃子」対決もやった。
こちらは「味の素の餃子」が一般受けする普通の餃子で、
ガツンとした旨さを味わえるのは「餃子の王将」だった。

同じ餃子でも、自家用車とSUVの違いぐらい差がありジャンルが違う。
よって味の好みは分かれると思う。
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