渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

先角磨き 〜シャフトの手入れ〜

2023年02月16日 | open


スポーツでも武道でも、道具は
使ったら手入れをしてあげまし
ょう。
ビリヤードのキューの先角は、
象牙以外の人口樹脂はどうして
も疵だらけになってしまいます。
プレー後に清拭した後、帰宅後
には磨いてあげましょう。
ペーパーがけを#1000から始めて
#2000から上はフィルム#4000。
番手が万までは必要なく、4000
番のフィルムでもこれだけ光り
ます。

使用の前に完璧に研いでおく。
板前の包丁と同じです。
力は入れません。緩く巻くだけ。
帯状態にペーパーを切って、巻い
て、シャフトを腿の付け根の上で
平手で押して回転させるだけです。
それでピカピカになります。






ポケット台をキャロム台に変更するアタッチメント

2023年02月16日 | open
 

1980年代、プール台をビリヤード
台に変更するポケットに嵌め込む
アタッチメントがあった。
日本国内でも時々見た。
 
これこれ。
これは戦前のアメリカの広告だ。
西部開拓時代の1880年に特許を
取ったようだ。


実は米国も戦前から戦後1960年
あたりまではキャロム大国で、
プール(アメリカン・ポケット)は
ビリヤード(キャロム)よりは格下
に見られていた。
プールは賭け玉のギャンブルであ
り、本格的な本式ビリヤード
とはキャロムの事を指した。
完全に人気とスタンダードが逆転
したのは、1961年の映画『ハス
ラー』が公開されて大爆発人気と
なってからだ。
日本では、やはり映画の影響で
戦後第一次ビリヤードブームが
訪れたが、日本では四ツ球が主
で、東京などではプール台を
置くビリヤード場のほうが少な
かった。
だが、25年後の『ハスラー2』に
よって、日本にもプールが爆発人
気となった。
空前絶後の第二次ビリヤードブー
ムのバブル時代では、台待ち8時
という記録まで出た。
日本のバブル時代は、首都圏や
大阪の人間は、男子が20人いた
ら19人は玉撞きをした事がある、
という位にポケットビリヤード
がはやった。
 
ただ、キャロム台をポケットに
改造するのはおおごとだが、
内をポケット台だけにして
回転
させ、かつ旧来からの
キャロム客の
要求も満たす事も
行なわれた。
そこで活躍したのが、穴塞ぎの
器具だった。
ちゃんとクッションゴムもラシャ
もあるので、ピタリと嵌め込む
とポケット台で四ツ球もできた。
私も南阿佐ヶ谷の駅上のビリヤ
ド場でそれで四ツ球を撞いた
がある。
全くノーマルキャロム台と遜色
無かった。
 
このアタッチメントは、今はもう
ほぼどこであっても見かけない、
歴史的な絶滅種だろう。

緑のそよ風

2023年02月16日 | open


これぁいいぜ。
なかなかよく切れる。
20年程前に購入。


馬脚を現しはじめた広島市

2023年02月16日 | open
 


 
本性がそろそろ剥き出しになって
きた。

 

昭和末期の横浜

2023年02月16日 | open
 


横浜。
近所の玉撞き場。

マジシャンの手筋

2023年02月16日 | open

Efren Reyes - Shot of the Day (10-Ball)

なぜエフレンが「マジシャン」と
呼ばれるか。
トーナメントの試合の最終ラック
で点玉の10番を通常考えられない
ポケットを指定して確実に入れる。
勿論、観客ファンサービスだ。
そういう事をやって実現させるの
がプロフェッショナル。プロ選手。
ただただ玉入れだけに必死になっ
て自分の事しか考えていないのは
プロスポーツの選手ではない。
エフレン・レイエスは真のプロ。
日本の撞球のプロたちも、もっと
エンター
テイメント性を磨いて、
観客を大いに
沸かせるプレーを
してほしい。
プロ野球選手たちはやっている。


都会に多いビリヤード場

2023年02月16日 | open
 


東京にはビリヤード場がゴマンと
あった。
東京や大阪の良い点は、玉屋が
とても多くて、どこにでも行け
る点だ。
地方だと、ビリヤード場が少ない
とかではなく、ビリヤード場自体
が市内に存在しない事も多い。
かつて辻を曲がれば撞球場という
状態だった東京も、今はかなり玉
屋が減った。
恐ろしい程に減った。
 
これが東京の典型的なビリヤード
ホールだ。昔から大型店はこんな
感じだった。
ここは新宿ACB(アシベ)。
大昔からこの床だった。
多分50年以上前からこれでは。

こちらはお馴染みの有名どこ、
田馬場(たかたのばば)の
山水。
アシベと同じ床。建築
業者が
同じなのでは。


私が生まれたとこのそばの店。


山手地区にあるので駅前から
の路地の坂の途中にある。
かつては、権之助坂の反対側
にあったが移転した。その名
も山手。名人がずらりといる。
ここは以前の場所の店舗の時
によく行った。


東京郊外を西に行くと、まだ
箱台を置く店もある。


ザ・昭和だ。


玉屋の雰囲気バリバリ(笑


激渋なのである。
まだこういう店も残っている。
30数年前はこうした店が数え
切れない程あったが、今は殆ど
消滅した。
ビリヤード場の床は板張りが
感じいい。


映画のロケ地

2023年02月16日 | open



『道頓堀川』(1982)

これにはやられた。
なぜなら、この作品に出てきた
ビリヤード場を大阪で探しまく
ったからだ。
無い。
あるわきゃない。
作品にビリヤード場は3軒出てく
るが、すべて東京の松竹のセット
だったのだ。
当時のキネ旬にも映画パンフにも
書いてないので、てっきりロケか
と思っていた。

どう見てもモノホン。


昭和末期の玉屋だ。
昭和末期時代の私のホームもこれ
に似た玉屋だった。
これは「天王寺ビリヤード」。


こちら「ビリヤード紅白」。


確か同名の玉屋は横浜の日吉
もあった。おばちゃんがやって
た店。


こちら「ビリヤードミナミ」。
これもセットだ。




唯一のロケが、店の外見だけ
借りて作った建物。
現在は簡易ホテルになっている。
隣りのうなぎ屋はまだ健在。

深作監督にしてやられた。
完璧に全てロケかと思っていた。
DVDが発売されて即購入したが、
ボーナストラックで撮影秘話を
プロデューサーが話していて、
ビリヤード店舗内はすべてセット
と知った。

道頓堀界隈を探しまくっていた
時、よい玉屋を見つけた。
店員さんも常連さんもとてもフレ
ンドリーで良い店だった。
今はもう無い。


けた下2.2Mの場所はどこだ?

2023年02月16日 | open




2023年現在確認できる「けた下
2.2M」は自由が丘のここだけ。

1986年4月公開映画のここは別
場所かもしれない。




道のレイアウトが違うから。




ヒップバッグ

2023年02月16日 | open


これは雑誌のオマケのショルダー
ポーチ。
それをウエストポーチ用にスト
ップを改造した。

大き過ぎず小さ過ぎず、ヒップ
バッグとして使えて便利。


走る時も邪魔にならない。


一般的なウエストバッグは大き
過ぎるきらいがある。
これは丁度いい塩梅。




コルト

2023年02月16日 | open



コルトがかっこいい。
個人的な好みだが、どうしても
リボルバーはS&Wよりもコルト
が好きだ。

昔の日活映画ではこれがよく
登場したが、あれは実銃を使
っていたのではなかろうか。
小林旭や宍戸錠が使っていた
のは。
赤木桂一郎のコルト・ウッズ
マンは明らかに実銃だった。
戦後、リボルバーは警視庁が
実銃を映画撮影に貸し出しを
していた時代もあった。