渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

史上最高額!ウイン5

2021年01月11日 | open


JRA中央競馬WIN 5で史上最高額が出た!
投票はたったの1票!
本日のWIN 5は、100円買って払い戻し
金額が4億8178万3190円!
これは凄い。
買いはしないだろうが、もし1000円買っ
いたら、48億1783万円!
千円が48億円!
まず買わないだろうけど(笑)。
いや〜、それにしてもすげえ。

税関たんまり取られるけどね(笑)。
2016年には大阪の固定資産税課職員が
ウイン5を2回で4億以上取って、6500万
の税金納めず脱税で摘発された。
一般馬券でも50万円以上の払い戻しには
課税されるので、皆さんもご注意を。

粕汁

2021年01月11日 | open


新宿の刀術の先輩が送ってくれた石川県の
清酒に入っていた酒粕で粕汁をかみさんが
作ってくれた。
これは!うまし!!

かみさんは自分用に甘酒を作っていた。
それまた、うまそう。に飲んでた(笑)。


古い東京の風景

2021年01月11日 | open

1960年代末期の新宿。旧東京市牛込区。
江戸時代に天然理心流の試衛館道場が
あった牛込柳町のあたり。

私が生まれ育った東京は、電車も地下鉄
も走っていたが、街並みは江戸時代に毛
の生えたようなものだった。
その街の姿が大きく変わったのは、昭和
が終わりかけ、バブル経済さ中の平成時代
を迎える頃だった。
東京ぢゅうの風景が一変した。
明治元年から120年目あたりの事だった。
現在の21世紀の東京の景観作りの原型は、
1980年代末期に開始された。

けん銃を携帯した白バイ隊員

2021年01月11日 | open

(2010年5月)

2010年5月、白バイ隊員がけん銃を携帯
しているのを初めて見た。
この頃から婦人警官もスカートをやめて、
けん銃を携帯し始めた。

この銃はかなり大きい。
ニューナンブでもない。
多分、旧式のM10、.45ミリポリなので
は。アル・カポネの時代の。
現在は、全てライトウエイトのS&W通称
サクラになっているようだ。
エアソフトガン並みに軽いアルミフレー
ム。
多分、.38SPLでもフルロード弾だと20
m離れたら中らない。
銃を軽くし過ぎて、反動制御が困難だか
だ。

なお、職務執行中の警察官を撮影しても、
肖像権侵害の要件は満たさない。

画法のタッチ

2021年01月11日 | open

江戸期幕末慶應年間の三原城絵図の
一部。藩校吾往館があった西之築出。


この水彩画のような透明感はどうやって
江戸期に出したのだろう。


こちら別物の写し。
こちらは色はベタ塗りの浮世絵風だ。


肉眼で見比べると色調の違いは明白。


コロナ感染最小から死亡者最大に 〜岩手県〜

2021年01月11日 | open









医療関係者が20人の会食で感染、それ
さらに感染拡大。
自分の患者さんにまで医師が感染させて
る。
なんだかなあ。人死んでるのに。
年末、大パーティーを開催して開き直って
いるデヴィ夫人とか、よくやるよなあ。
いかんともしがたい。

国内の感染拡大は、まず止まらないと
思いますよ。
これだけ危機感が叫ばれていても、集まっ
てワイワイやっちゃうんだもの。
まあ、国のトップの総理大臣がトラベル
企画中止発表の夜にそれだものね。
国民が真似して宴会やるのも仕方ないけ
さ。
デヴィ夫人なんて、経済的にいいことやっ
てるんだ、みたいに言ってるし。
パーティーで集めた金を医療機関や介護
機関に寄付でもしたら?
そっちのほうがいいことのように思える
けど、今の時期、人を一堂に集めての行為
だから、やっぱりダメだと思うよ。
あかんて、ほんま。今の今、それは。

新宿コマ劇場

2021年01月11日 | open

新宿コマ劇場(1979年)。
私が大学1年の時の新宿コマだ。

コマ劇場では3才の時に時代劇を観劇した。
剣士が対峙して劇場内が水を打ったように
静まりかえる中、私は思わず「ター!」と
場内に響きわたる大声で叫んでしまった。
観客からこっぴどく叱られた。
母が周囲に謝りながら私を引きずるよう
に外に連れ出した。
母にも叱られたが、「最後まで観たかった
のに」と母がかなり不機嫌だったのをよく
覚えている。
ドラマ「隠密剣士」の真似は、時と場所
を選ぶものだと知った。

隠密剣士の気合いの発声は、確か「うー、
りゃー、たーっ!」だったと記憶して
いる。
2才時に熱狂的ファンで、よく観ていた。
断片的ではあるが、過去の記憶は1才頃か
らの記憶がある。

ドラマ「隠密剣士」(1962)


映画の中のおかしい点 『初恋』(2006)

2021年01月11日 | open


映画『初恋』(2006年)は秀作だ。
三億円事件を扱った作品で、当時の世相
と時代背景と街と若者を映像描写として
極めて正確に描いていた。
物語も切なく、心に残る作品だった。
最後のラストは、殆ど政治権力サスペンス
となる描写だ。権力に楯突いた者は、どん
どん消されて行く。

時代の真の姿と視覚的な映像表現は実に
正確な作品だ。
オープニングの学生たちのデモの様子は
実際の中核派全学連の映像を重ねていた。
(多分、小川プロの「怒りをうたえ」の
映像)

しかし、映像表現には齟齬もみられる。
「単車が好きか?」
新宿の街でT大生の岸に言われて、主人公
の女子高生みすずは頷く。
みすずが馴染みになるバイク屋がある。
このバイク屋は福岡県の古い自転車屋を
借り切って、看板を新たに製作し、壁や
軒に時代付けをして1968年の新宿の街の
店として撮影された。
看板の住所は実際には存在していない。
西大久保は4丁目までしか存在していな
かった。
それは架空だからよい。
だが、どうしても当時には一般化して
ない事がここで描かれてしまっているの
だ。
それが、このバイク屋の看板と窓にある
「バイク」という単語だ。
1968年当時、バイクという日本固有の
呼称は一般化していない。ほぼ「オート
バイ」(日本語造語)だ。もしくは「
車」、「二輪(車)」である。
単車という呼称は、側車付二輪車に対す
る日本語で、単独のオートバイの事を指
す。西日本では今もその古い呼称が使わ
れている。
オートバイは完全な日本語の造語。外国人
には100%通用しない。
バイクという日本固有の使用法の呼称が
一般化するのは1970年代に入ってからだ。
東京でまず単車という単語が廃れ、旧来
からあったオートバイが再度復活し、さら
に70年代の「つっぱりブーム」とともに
アメリカンテイストの「バイク」という
呼称が使われ始めた。
私が中高の頃にそのムーブメントが起き
た。
自動二輪をバイクと呼ぶのは元々は米語
の俗語だった。英語では正式にはモーター
サイクルもしくはモーターバイクといっ
た。バイクというと自転車のこと英語圏
では指していた。バイカーという言葉さえ
一般的には使われていない。使うのは、
米国の二輪ギャングたちのみ。また、バイ
カーとは彼らの事を指した。
現在では、バイクという呼称ではなくモト
というイタリア語がバイクという呼称に
代わるものとして世界的に台頭しつつあ
る。
モトGP、モトショップ、モトなんとか。
モトが溢れ出して来た時代がちょうど21
世紀初頭の今だ。
乗り物の呼称は時代とともに変化する。
今の呼称がずっと昔から使われたものか、
あるいは新語なのかは見極めないと、時代
物の表現では、小説にしろ映画にしろ、
錯誤を生じさせてしまう。

この『初恋』では、そのあたりの時代考証
に僅かな穴があったのだろう。
看板と窓の表示は「オートバイ」か「単
車」にすべきだっただろう。
もし、タイムマシンがあって、1968年に
行けたとしたら、当時の世界に降り立って
「バイク」と口にしても「はあ?」と人々
に言われるのは確実だからだ。
「よろめき」は今では死語だが、江戸期を
描いた作品で「よろめき」や「有閑夫人」
と言っても、江戸期の人には通じない。
そうした、時代を正確に捉えた表現描写は
時代物では極めて重要になる。
かといって、江戸期を描いた作品で、すべ
て江戸期の言葉でセリフを構成したら、
現代人にはちんぷんかんだ。
だが、表現活動においては、そのあたり
の描写の線引き設定と、その時代に存在
していない物理的な物を出してしまうの
とは別問題の事である。



この点だけは実に惜しい。
将軍吉宗の背後に江戸城天守が出てくる
ようなお粗末さと同種になってしまうから
だ。

この石階段の雰囲気などは、もろに新宿
南口そのものかのような良い場所でロケ
している。
こうした、秀逸なロケハンをした製作者
に頭が下がるが、ロケの殆どは北九州市
で行なわれている。
この階段もセットではなくロケだ。
1968年ジャスト当時の新宿南口を知る
からしたら、初見で思わず唸った。

当時の新宿駅南口。


都電新宿駅前。
新宿の都電は1970年に廃止。


新宿中央公園。1968年春開園。
この子どもたちは私と同年代。


歌舞伎町コマ劇場前。1979年、私が
大学1年の頃。コマ劇場も今は無い。
コマの裏横の噴水広場の突き当たりに
「名画座ミラノ」があり、高校時代に
よく映画を観に行った。


『初恋』では、新藤の石階段だけではな
く、街の様子も喫茶店も人の服も、全て
が「1968年」を描き切っていた。
唯一、みすずがオートバイに乗る事を覚え
るモータースの文字の描写だけが惜しい。

柏田モータースの主人も国家権力によって
消される。
唯一、ノーマークだったみすずだけが生き
残る。
やがて、みすずは大学に進学するのだが、
みすずの為に岸が借りていたアパートに
みすずは住む事になる。
目の前から突然消えていなくなった岸の
帰りをそこで待ちながら。
そして、その部屋でみすずは岸の書いた
日記を発見する。
その時、みすずは初めて岸の気持ちを知っ
て泣き崩れるのだった。
初恋。
この映画は小説が原作だが、この題名以外
にはあり得ない。
秀作というよりも良作。素晴らしい映画
作品として仕上がっている。
心に残る深い作品だ。
時代の中で強引に消されたもの、生き残る
もの、その大切なもの。
未見の方は、ぜひご覧ください。
宮﨑あおいさんのみすずが最高です。

ところで、どうして日本は「モータース」
という単語が昔は多かったのでしょうか?
1950年代あたりから。
流行りなのだろうけど、背景は戦後米国
の影響かな。
似たようなのに「エンタープライズ」と
いう社名が一気に増えた時期があった。
最近では「ホールディングス」というのも
多い模様。
横文字にするとハイカラ(死語)風味になる
のでしょうかね。
あと多いのが「ベンチャー」ね。
意味わがんね。あれ、英語では意味が全く
通じないだろうに(笑)。
「ナイター」みたいなもんなんだろうな
あ。

懐かしい風景 〜虎ノ門〜

2021年01月11日 | open


昔の職場の近くの交差点の今。
職場は稲葉殿の屋敷跡に建つビルの中に
あった。
建物と道の幅員は変われども、基本的に
東京は江戸時代から道割りは変わっては
いない。


正面は霞ヶ関ビルだ。日本で一番古い
「超高層ビル」である。1968年に竣工。
もう53年前になる。
ベトナム反戦運動で世界が揺れた年。
日本の高度経済成長はまだ全く陰りを
見せなかった。
虚飾のテーマ「人類の進歩と調和」を
基調とした大阪万博はこの2年後に開催
された。日本に高速道路が出来てから
まだ数年の事だった。