バイブルサロン

礼拝説教、聖書を読んで感じた事

牧師という賜物

2020-11-14 09:01:11 | 礼拝説教
2020/11/15 礼拝説教
【テーマ】  教会を立て上げる
【説教題】 「牧師という賜物」
【聖書箇所】 エペソ4:11-13
4:11 こうして、キリストご自身が、ある人たちを使徒、ある人たちを預言者、ある人たちを伝道者、ある人たちを牧師また教師としてお立てになりました。
4:12 それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためです。
4:13 私たちはみな、神の御子に対する信仰と知識において一つとなり、一人の成熟した大人となって、キリストの満ち満ちた身丈にまで達するのです。

○ 神は全てのクリスチャンに賜物を与えてくださいました。その中で今日は牧師について見ていきましょう。
 
Ⅰ.牧師とは?
A.神が立てられた人達
1.今日のテキストに 使徒 預言者 伝道者 牧師・教師 のことが書かれています。「教会とは何か?」とはクリスチャンの大きな課題かと思います。その教会に神が立てられたのがこれらの職種・奉仕だと言います。
2.これらの働きをする人達を神がお立てになったのです。一般的に「献身」と言われてしまいますが、では、その献身はどのようにしてするのでしょうか? 聖会やキャンプで献身者が募られたりして立ち上がるということが多いですが、自分で決心して立ち上がるのです。

B.神が与えた賜物で
1.現代はこれらの職種が全てあるのでしょうか? またそれぞれの定義も簡単ではありません。「使徒」(遣わされて、新しいクリスチャンの群れを生み出す人たち」、「預言者」(神の言葉を語る人たち)、「伝道者」(福音を語る人たち)、「牧師}(教会を牧会する人たち)、「教師」(福音の真理について教える人たち)という簡単な説明がありました。
2.これ以外に「監督」という言葉もあります。
  使 20:28 あなたがたは自分自身と群れの全体に気を配りなさい。神がご自分の血をもって買い取られた神の教会を牧させるために、聖霊はあなたがたを群れの監督にお立てになったのです。
  この「監督」は、現代の私たちには「牧師」とも言えます。が、もちろん現代の牧師と全く一致していたわけでもないでしょう。それぞれの時代にふさわしい賜物が与えられたということです。

C.AG教団の教職
1.アッセンブリー教団では、正教師、補教師という名称があります。正教師を牧師と呼び、補教師を伝道師と呼んでいます。その他には海外宣教師がいます。教団総会では何度か「補教師」というのを無くそうという話もありました。過去には「準教師」という制度もあったと聞きます。
2.アッセンブリー教団では中央聖書神学校を卒業した者か、それと同等の学びをしてきた者が、試験と面接を受けて補教師になり、4年後に正教師試験を受ける資格が与えられます。
3.大事なことは キリストご自身が・・・お立てになりました という部分です。勝手になれるのでは無いということです。ですから、私たちは「召命を受けた」ということを大事にしています。

Ⅱ.牧師の働きとは?
A.聖徒達を整える
1.では、牧師は何のために立てられているのでしょうか? それが12節に書かれています。 それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためです。 ということです。 使徒 預言者 伝道者 は、教会を建て上げるために働く人達ですが、あちこち地方を巡ります。一方、 牧師・教師 は特定の教会で働く人達です。
2. 聖徒たちを整えて とはどのように整えるのでしょうか? もちろん御言葉によって整えます。しかし、御言葉は聖霊が働かれてこそ力があります。真の牧会者はイエス・キリストであって、私たちの内側で御言葉を生きたものとしてくださるのが聖霊です。牧師はそのための協力者です。
3.人は聖書を自分勝手に読み込みやすいものです。それがため時にはとても学問的になりすぎたり、またスピリチュアルになってしまったりしやすいのです。聖書はそういう要素を持っていますが、それが中心ではないので、そこを整えるのが牧師・教師の大事な仕事です。

B.奉仕の働きをさせ
1.イエス・キリストによって救われた人は当然キリストのために働きたくなるのです。しかもそれは「奉仕」であって、対価をを求めないものですし、人からの賞賛を求めるために行うものでもありません。
2.私たちの教会にも色々な奉仕がありますが、誰も対価を求めていませんし、人から賞賛されようとも思っていません。そして、自分に与えられた賜物に応じて奉仕をしています。ただ、このコロナ禍の中ではなかなか奉仕できないのも現状で、きっとうずうずしておられることと思います。私たちは主のために奉仕しないとおかしくなるのです。

C.キリストの体を建て上げる
1.それは キリストのからだを建て上げるため だからです。その働きを留められると辛いのです。かつて、バビロン捕囚からエルサレムに戻ることが許されたイスラエル人は喜び勇んで神殿、城壁を造ろうとしたのですが、やたら妨害が入り再建が進まず、意欲を失ってしまったことがあります。そこに預言者たちが使わされ、神の言葉が語られてまた意欲を湧かすのでした。私たちも今、コロナのために色々なことが中断されて意欲さえ失っているとしたら、もう一度御言葉によって励まされ、歩み出すべきでしょう。
2.牧師が中心になって御言葉から励ましを与えるべきでしょう。また、牧師に限らず、御言葉から励まされた皆さんが他の信徒を励ますのも大事なのです。

Ⅲ.牧師と信徒とは?
A.一つとなる
1.教会は牧師のものではありません。信徒のものでもないのです。牧師も信徒も一つとなることが大事なことです。私たちがひとつとなってキリストの体を建て上げることです。
2. 私たちはみな、神の御子に対する信仰と知識において一つとなり、一人の成熟した大人となって、キリストの満ち満ちた身丈にまで達するのです。 ここが目標地点です。牧師も信徒もそれぞれの賜物に応じて奉仕し、一つとなるということです。キリストの体を分断することはできません。

B.共に健全な教会を立て上げていく
1.初代教会の頃から異端がありました。単なる神学の違いだけでは異端と呼びませんが、救いに関して聖書から外れるのは異端です。「イエス・キリストは神である」「イエス・キリストは十字架に死なれたけれども三日目に復活された」「イエス・キリストを信じるだけで救われる」ということを外すと異端です。
2.異端ではなくても教会がカルト化しているところもあります。人が人を支配してはいけません。こうしたことから守られるために牧師が働くのですが、牧師がカルトの長になると大変です。信徒の皆さんがしっかり成長して一緒に健全な教会を立て上げていくのです。

★ 教会は牧師と信徒が一致一丸となって立て上げていくもので、キリストの姿を目ざすのです。そのために信徒を整えるのが牧師の働きです。


最新の画像もっと見る