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礼拝説教、聖書を読んで感じた事

私たちに与えられたすばらしい賜物

2020-11-07 17:45:12 | 礼拝説教
2020/11/8 礼拝説教
【テーマ】  賜物
【説教題】 「私たちに与えられたすばらしい賜物」
【聖書箇所】 エペソ4:7-10
4:7 しかし、私たちは一人ひとり、キリストの賜物の量りにしたがって恵みを与えられました。
4:8 そのため、こう言われています。「彼はいと高き所に上ったとき、捕虜を連れて行き、人々に贈り物を与えられた。」
4:9 「上った」ということは、彼が低い所、つまり地上に降られたということでなくて何でしょうか。
4:10 この降られた方ご自身は、すべてのものを満たすために、もろもろの天よりも高く上られた方でもあります。

○ 「私はとても役員にふさわしくない」と思う方が多いと思います。「私こそ役員にふさわしい」と思う人はこの教会にはいないようです。それが健全な考えだと思います。ただ、そのためになかなかなり手がないので困るのですが・・・神は人それぞれに賜物を与えてくださっていますので、また教会における奉仕も色々違うのです。
今日はその賜物を与えてくださった方に着目して見ていきましょう。
 
Ⅰ.賜物をくださった方、イエス
A.それぞれにふさわしい賜物
1.体は一つでも様々な器官があってそれが相互に助け合って成り立っています。教会も同じだと言われます。皆さんはそれぞれ各器官です。それぞれが独特のすばらしい器官であったとしてもバラバラでは役に立ちません。
2.奉仕は違って、みんなバラバラのように見えても、みんなには一つの使命があります。それは神が崇められ、神の計画が進められることです。そのために私たちはキリストの体としてお仕えするのです。そして、それにふさわしい賜物をいただいているのですから、人と比較するものではないのです。自分にとって最善の賜物が用意されたということです。

B.キリストのお考えによって与えられた
1. キリストの賜物の量りにしたがって というのは、キリストのお考えに従ってということです。つまり教会を建て上げていくために、それぞれにふさわしい働きを考えてくださったのです。そのお考えに従って、みんなに違った賜物を分け与えてくださいました。
2. 恵みを与えられました というのは、神のご好意によってこの仕事が与えられたということです。私たちは本来、神様のために働くなんていうことはとてもできない罪人だったのです。とても賜物・プレゼントなんていただける者ではなかったのです。なのに、その賜物を与えられたということはエペソ人への手紙1~3章で語られてきたように、神の恵みを受けたということです。
3.その神の恵みがわかればこの奉仕はただただ感謝なことで、その奉仕は力無い私たちにも出来るというわけです。これは神の恵みによるのですから、奉仕をしたからといって当然私達が誇るようなものではありません。

C.十字架の勝利の結果の賜物
1.この多種多様な賜物を与えてくださったのはキリストです。キリストは天に帰られましたが、教会に奉仕の賜物を恵みとしてお与えになったのです。 「彼はいと高き所に上ったとき、捕虜を連れて行き、人々に贈り物を与えられた。」(詩篇68:18の引用) とありますが、昔の戦いでは勝利を治めた軍は戦利品や捕虜を持ち帰り、国民に分け与えました。そのようにキリストが十字架で勝利を治めたので、その勝利の結果、教会(クリスチャン)に、プレセント(賜物)が与えられたのです。
2.多くの人は十字架を敗北と考えます。いつの時代にも、キリスト教の教祖イエスは宗教的弾圧によって十字架で殺され、彼はいなくなったと考えています。その3日後の復活を信じません。しかし、聖書は当時の弟子達が復活のイエスに会い、さらに聖霊を受けてイエスが天に帰られてから爆発的に宣教に乗り出しています。これが十字架の勝利であり、この宣教のために賜物が与えられました。

Ⅱ.天と地をつないだ方、イエス
A.悪魔の支配を断ち切った
1. 4:9「上った」ということは、彼が低い所、つまり地上に降られたということでなくて何でしょうか。 と、パウロはイエスが人となってくださった神であることを語っています。イエスが ヨハネ3:13 だれも天に上った者はいません。しかし、天から下って来た者、人の子は別です。 と、言われたように、人間は誰も自らの力で天に上った者はいないのです。それはアダムとエバが神に対して罪を犯してエデンの園を追い出された時から神と人とは切り離されてしまったからです。だれも神のおられる「天」に近づけなかったのです。
2.しかし、神が人となられたイエスだけは別でした。このお方は敢えて上(天)から下(地)に来てくださいました。私たちが天に帰ることができるためにです。キリストが天と地をつないでくださったお方なのです。
3.この地上の支配者であるサタンは私たちを天から切り離して喜んでいました。しかし、イエスはその罪に縛られていた私たちを十字架で解放し、私たちの本来の居場所である神の膝元に導いてくださったのです。

B.天の祝福をくださった
1.そしてこのイエスは 4:10 この降られた方ご自身は、すべてのものを満たすために、もろもろの天よりも高く上られた方でもあります。 と言われるように最高の位置におられる神ですから、全ての霊的祝福をお持ちです。私たちはこの地上にあっては確かに苦しいものなのですが、イエスは霊的祝福を私たちに与えてくださるお方なのです。
2.それは幻想ではなく本物です。ただ私たちはこの地の、また肉の世界の物質にあまりに目が行きすぎているので、いわゆる霊的祝福というものがわからないのです。それをわからせてくださったのが聖霊です。全てのクリスチャンに共通の最高の賜物は聖霊です。

C.天国の広がりが期待されている
1.聖霊は神の計画を実現するために私たちの内側にあって力と愛と慎みを与える神です。お金や物、健康、学歴という世のものにしか目が行ってなかった人でも、聖霊に満たされると価値観が変わります。なぜか? 天国の価値観をお持ちの聖霊が私たちを満たすからです。
2.神は 使徒1:8 しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。 という御言葉の実現を望んで聖霊を私たちに与えてくださいました。その世界宣教は教会を造ることで実現していくのです。

● 教会は具体的には色々な奉仕で成り立っています。牧師だけの教会は有り得ません。牧師のいない教会はあります。みんなでキリストの体を建て上げるのです。礼拝の司会、奏楽等々はもちろんですが、子どものための働き、掃除等々もそうです。私は個人的に嬉しく思う賜物があります。すばらしい笑顔で人を迎える賜物、人の悲しみ・苦しみ・辛さに共感し話を聴く賜物、何も言わないのにそこにいてくれるだけで落ち着くという賜物、まだまだありそうです。神はそういう賜物を与えてくださっていると思います。

★ あなたにも賜物が与えられています。天と地が繋げられたのですから、この地のものではないすばらしい賜物が与えられているのです。大いに感謝し、神の望まれる宣教のために活用しようではありませんか。

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