2014/8/24礼拝説教
【テーマ】 聖霊が住んでいる人
【説教題】 「イエス様、大好き!」
【聖書箇所】 ローマ8:5-11
8:5 肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。
8:6 肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。
8:7 というのは、肉の思いは神に対して反抗するものだからです。それは神の律法に服従しません。いや、服従できないのです。
8:8 肉にある者は神を喜ばせることができません。
8:9 けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。
8:10 もしキリストがあなたがたのうちにおられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、霊が、義のゆえに生きています。
8:11 もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。
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○ 幼子たちがお父さんやお母さんに抱きついて「パパ(ママ)だいすき」と言っているのをよく見ます。とても嬉しい光景です。お父さんたちも最高の気分でしょう。神の子としていただいた私たちはストレートに「イエス様、大好き!」と言っているでしょうか。
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Ⅰ.肉に従う者
A.肉の思いは死
1.恋愛中のカップルは周りの忠告も受け入れないほど互いのことだけを思っていて、とても幸せそうです。幼子はお母さんのことばかり思っていて、これまた平安に満ちています。
2.私たちの心が何に集中しているか、何に従うかで、その気持ちも変わり、幸・不幸まで変わるようです。
3.そこで、パウロは 肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますと言い、肉の思いは死であると言っています。
B.肉にある者は神を喜ばせることができない
1.肉というのは「世」でもあり、私たちがイエス様を信じるまで支配されていた罪の世界です。ですから、ここで 肉に従う者 というのは、イエス様を信じること無く生きている人のことと思われます。しかし、もし、クリスチャンがそのように生きるとしたら悲しいことでしょう。
2.肉の思いは神に対して反抗するものだからです。 肉にある者は神を喜ばせることができません。 とパウロが言うように、自己中心に生き、世的な考え方で生きるなら、それは神様と反対方向の生き方だということです。
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Ⅱ.御霊に従う者
A.御霊による思いはいのちと平安
1.パウロは 肉に従う者 に対して 御霊に従う者 を対比的に出します。 肉の思いは死であ ることに対して、御霊による思いは、いのちと平安です と、肉に従う者と御霊に従う者とは正反対であることを示しています。
2.私たちが何を信じるか、何に従うかで、私たちの人生は死かいのちというような大きな開きができるということです。聖霊・神様は私たちに いのちと平安 を与えようとなさっているのです。
B.この肉体の限界を超える人生
1.イエス様を信じる人は永遠の天国が保障されています。だからと言って死後を期待して生きるだけではいけません。11節に もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。 とあるのです。ここでは「もし」と書いていますが、ここは「イエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるので、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。」としてよい言い方なのです。
2.死ぬべきからだではありますが、この地上にいる間も、イエス様の助けによって、死んだ生き方から、神様に喜ばれる生き方に変えていただけるとしたら何とすばらしいことでしょうか。
3.確かに復活の体はまだいただけませんが、ガラテヤ5:19-23にあるように肉の行いから離れ、御霊の実を結ぶ人になるのです。
5:19 肉の行いは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、 5:20 偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、 5:21 ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。 5:22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、 5:23 柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。
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Ⅲ.御霊を持つ者
A.御霊の中にいる
1.この地上にあって、この肉体を持ちながら、御霊の実を結んでいくのがクリスチャン人生ですから、その基本は 8:9 けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら なのです。ここも「神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるので」と訳してよいのです。間違い無く、聖霊はイエス様を信じる私たちの中に住んでくださっています。
2.それは同時に あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです ということです。私たちもまた神様の中にいるのです。クリスチャンになったのに、神様の中にいない、神様がそばにいないなんていうことは無いのです。私たちの中に聖霊がおられ、聖霊の中に私たちがいるというのがクリスチャンの生き方です。
B.キリストのもの
1.聖霊をいただいたからクリスチャンです。 キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。 のとおりです。パウロはイエス様を信じる者は誰でも救われること、救われたということは聖霊がその人の中に住んでおられて、その人は キリストのもの となったと教えているのです。
2.8:10 もしキリストがあなたがたのうちにおられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、霊が、義のゆえに生きています。 と、この肉体の不自由さがあったとしても、私たちの霊は生きているのです。 いのちと平安 をいただいているのです。
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● 子どもは親の愛を受けるから心の中に愛が湧き、「お母さん(お父さん)大好き」と言うようになるのです。そして、子どもの中に来た愛は心の中にあるだけでなく、子どもはいつも愛の中にあるのです。聖霊が私たちの中にお住まいになり、私たちはいつも聖霊の中にいるのです。
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★ 聖霊をいただいたら、私たちは「イエス様、大好き!」と言うようになるのです。