今日のうた

思いつくままに書いています

悲しみのミルク

2015-01-27 21:09:14 | ④映画、テレビ、ラジオ、動画
2009年公開のペルー映画。
監督・脚本はクラウディア・リョサ(1976年生まれ)

(暗闇に語りのような即興の歌が聴こえてくる。
 その声は哀愁を帯びてはいるが、のびやかで涼やかだ)

 きっといつの日にか お前も分かるだろう
 ならず者たちに向かって 泣きながら言ったこと
 ひざまずいて 命乞いしたことを
 
 あの夜 私は叫んだ
 山はこだまを返し 男たちは笑った
 痛みと闘いながら やつらに言い返した

 狂犬病のメス犬から生まれた男たちよ
 だからお前たちが吸ったのはー
 メス犬の乳だ
 今度は私を飲み込むがいい
 今度は私を吸えばいい
 母犬の胸でしたように
 今歌っているこの女はー

 あの夜捕えられ 手込めにされた
 男たちは気にも留めなかった
 おなかの中に娘がいることを

(ここで画面が明るくなり、美しい歌声は死に瀕した老母のものだということが分かる)

 あの恥知らずたちはー
 娘が見ている中 手と肉棒で犯した
 それだけでは飽き足らず
 殺された夫のものを口に押し込んだ
 哀れないちもつは火薬の味がした

 あまりの苦しみに 私は叫んだ
 いっそのこと 殺して欲しい
 そして夫と一緒に埋めるがいいと
 この世は分からぬことばかり

(画面に娘の横顔が現われ、歌いだす)

 思い出すたびに 涙を流す母さん
 悲しみの涙と汗が ベッドに染み込む
 何も食べていないのね
 要らないならそう言って
 食事は作らないから

老母の歌
 お前が歌うことで 乾いた記憶がー
 よみがえるのなら 何か食べよう
 思い出せないのは 死と同じだから

娘の歌
 さてと 起きて
 まっすぐ 座ってよ
 じっと寝てたら 小鳥の死骸みたい
 少しだけ シーツを直すから

(その後、老母は亡くなり、娘は鼻血を出して失神する。おじが病院に連れていくと
 医師は入院を勧める。娘の膣にジャガイモが入っていて、直ぐに取り出さないと
 危険だという。だが娘は拒絶する)

おじ「村ではつらい時期を過ごし、テロの時代に生まれた。
   母の恐怖が母乳から伝わったんです。
   そういう子を恐乳病と呼んでいます。
   恐怖と一緒に 魂を土に埋めている
   鼻血は恐乳病のせいだ」

娘 「テロの時代に近所の人もしていた。
   気味悪がらせて レイプされないように
   賢い方法だと思った」

おじ「今は時代が違う」

娘 「母さんから聞いた」

娘の歌
 母さん、おじさんは分かってくれない
 身を守るためなのに
 私は全部 見てたもの
 連中がやったことも 母さんの苦しみも
 これは盾であり ふたでもあるの
 なぜって 強烈な不快感だけがー
 下劣な男たちを止められるから

 母さんの服をー
 しっかり洗わなきゃ
 私と一緒にー
 村に帰ったとき 悲しみがにおわぬように

(老母を村に埋葬するためのお金を稼ごうと、娘は音楽家のメイドになる。
 娘は兵士の写真を見るや吐いてしまう)

娘の歌
 さあ 歌うのよ
 楽しいことを歌わなきゃ
 恐怖心をまぎらわし
 こんな傷なんて
 ありもしないふうに
 悟られないように
(娘は伸びたジャガイモの芽を切る)

(娘はひとりでは町を歩くことができない)

娘「村では壁に寄り添って 歩かなきゃならない
  浮遊霊に捕まって 死んでしまう
  兄もそれで死んだ
  がりがりにやせ細って
  霊を無視したからよ
  とてもお腹が痛いと言ったわ

  母さんは畑仕事をしていた
  おじいさんは町で 家畜を売っていた
  形見は病院から戻った胃の写真だけ」

娘の歌
 村の人は 気づくかな
 変わり果てた 母さんの姿に
 今度は私が おぶって行く
 子供の頃 してくれたように
 これで父さんも
 土の中でも1人じゃない

(音楽家は、即興で歌う娘の歌に心惹かれ、一曲歌うごとに真珠をひと粒あげると約束する)

音楽家は、娘の歌をうたう
 昔から 私の村に伝わる話ではー 
 音楽家が人魚と 契約を結びました
 人魚との約束が いつまで続くのか
 もしも彼らが 知りたければ
 暗い畑に行って 拾ってくるのです
 人魚のために 片手1杯のキヌアを

 人魚はすぐに数え始めます
 その人魚が言うには
 ”この1粒が 1年分よ”
 人魚は数え終わったとき
 彼を連れ去り 海へ放つでしょう 

娘が続きを歌う
 だけど母さんは言った
 キヌアは数えるのが 難しい
 人魚は数えのに 疲れてしまう
 おかげで音楽家はー
 永遠の才能に恵まれました ※につづく

娘を慕う庭師「君には慰めがいる」

娘「どうして」

庭師「こんなにたくさんある花からー
   ヒナギクを選んだから
   人が言えないことも 花は教えてくれる
   茎は指紋と同じ
   植物の命が入っている記憶装置だ
   
   時々土は掘り起こして 入れ替える
   同じ所に太陽が当たるとー
   かさぶたみたいに 土が硬くなってー
   植物が乾いてしまう」

娘の歌
 小さな ハトさん
 迷いバトさん
 おびえて 逃げ出して
 魂を落としてしまった 
 ハトさん
 
 お母さんハトが 産気づいたのは
 おそらく戦争中のこと
 きっと驚いた拍子にー
 生まれ落ちたのよ

 たとえそこで つらい目に合っても
 それは泣きながら 進むためじゃない
 苦しみながら 進むためでもない
 さあ 探すのよ
 落としてしまった魂を
 闇の中を探しなさい
 土の中を探しなさい
(娘は伸びたジャガイモの芽を切る)

(音楽家は、娘にさっきの歌の続きを促す)

※娘の歌
  暗い畑へ行って 拾ってくるのです
 人魚のために 片手1杯のキヌアを
 人魚はすぐに数え始めます
 その人魚が言うには
 ”この1粒が・・・” (中断)

(娘は庭師に尋ねる)

娘「ここはゼラニウム、ツバキ、ヒナギク、全部あるのに なぜ ジャガイモはないの」

庭師「君はなぜ 1人で道を歩くのが怖いの?」

娘「決めたから」

庭師「俺だって同じ そうしたいだけ」

娘「怖くないわ 私の意志だもの」

庭師「死だけは人間の義務だが それ以外は自分の意志だ」

娘「レイプされて殺された その死も意志だと言うの?」

(音楽家は娘がうたった歌をコンサートで演奏し、大成功を収める。
 だが約束の真珠は与えず、娘を放り出す)

(おじは寝ている娘の口と鼻を塞ぐ。娘は必至でその手を振りほどこうとする)

おじ「見ろ こんなにはっきり息をしてる。 なのに 生きようとしない」

娘「(喘ぎながら)おじさん 放して」

おじ「(泣きながら)だったら生きろ しっかり息をして」

(娘は町をさまよい、音楽家の家に行き 片手1杯の真珠を取り返す。
 その後娘は気絶するが、庭師が助ける。娘は庭師の腕の中で叫ぶ)

娘「(泣きながら)お願い 取って 取ってちょうだい 私の中から」

(娘は老母の亡骸(なきがら)を村に運ぶ。老母を背負い、砂丘を超え、海に来る)

娘「母さん 見てごらん 海に来たよ」

ある朝、娘の家の門の前には、鉢にしっかり根づき、花を咲かせたジャガイモが置かれていた。

全篇をながれる哀しみをおびた旋律、うつくしい即興歌、そして
娘役の、生命力あふれるマガリ・ソリエルは、ずっと私の中に残ることだろう。

この映画は80年代から90年代のペルー内戦が背景になっている。
戦争は酷い。2014年7月13日の私のブログ「ゆくゆきて、神軍」にも書いたが、
戦争をしていることさえ忘れるほどの飢餓。
その中で、人間として赦されない行為があったという事実。

戦争は多く語られ、本にも映画にもなった。
だが語られない、記録されない事実の方が多い。
わずかな知識で歴史を判断し、永年にわたり人々が築きあげてきた「歴史認識」を
変えようとすることは、為政者の傲慢だと、私は思う。
まだまだ知らないことがたくさんある。
語りたくても語れないことがたくさんある。
歴史に対して私たちは、もっと謙虚であるべきだ思う。




(画像はお借りしました)



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