2014年2月14日の私のブログに、「この民の知性」を載せている。
2月14日の朝日新聞 「声」 に後藤乾一氏が、「大東亜戦争」 の直前に
南原繁氏が詠んだ短歌を紹介している。
あまりに一方的なるニュースのみにわれは疑ふこの民の知性を 南原 繁
そして 「メディアに課せられた重い責任と、政治に向かう市民一人ひとりの知的勇気が、
今ほど試される時はない」 と結んでいる。
(引用ここまで)
最近の【正義】を振りかざす風潮や、物事を単純に考えようとする傾向をみると、
後藤乾一氏が投稿された時より更に、市民一人ひとりの知的勇気が試されているように感じる。
半藤一利著 対談 『昭和史をどう生きたか』に興味深い言葉があった。
野中郁次郎氏との対談より
野中:「半藤さんは司馬遼太郎さんとお親しかったと思いますが、
『坂の上の雲』を例にとっても、明治維新の頃の人々は非常に深く考えていますね、
謙虚に。ああいう深さはというものはどこから来たのでしょうね」
半藤:「当時、国民の知的レベルが相当高かったからではないでしょうか。
私がなぜ『ノモンハンの夏』を書こうかと思ったのかと言いますと、
もしあの時点で反省し、教訓を学んでいれば、その後日本を滅ぼすような
ことはなかったのではないか、と思ったからです。ところが、実際に
本を読まれた方々はそうした教訓よりもむしろ、現在の日本と似ていると
思われたようなのです。
戦争の時代になぜ、いい意味のインテリゲンチャがいなかったのだろうか。
リーダーの中に知性の欠けている人が多いのはどうしてか。
現在もリーダーに本来の意味での知的人物がいないのはどうしてだろうか、
と聞かれることが多くなりまして、それで私も考えました。
その結果、国民全体の教養レベルが低い時には、どうしてもいいリーダーが
出ないのじゃないか、と。幕末から明治維新にかけての国民の知的レベルは
相当に高かった。それでいいリーダーが出て、明治維新も成功したのでは
ないかという気がしています」
野中:「太平洋戦争の頃は、新聞、マスコミの知のレベルも低かったのですね。
逆に戦争を煽(あお)っていますからね。極めてプリミティブな攻撃性と
申しますか、情緒的な知が支配していた、ということが問題ですね」
半藤:「そう、情緒的な知、いまとあまり変わりませんな(笑)」
野中:「もう一つ感じましたのは、『坂の上の雲』などでは、本質を見抜く哲学的な思想が身
についている。しかも彼らは美しい言語で概念と言いますか、コンセプトを出せる。
経験知が深いということは、西田哲学で言えば純粋経験ということに
なるのでしょうか、我を超えてまさに対象と一体化する、非常に深い暗黙知が
そこにはある。これが私たちの直観、まさに道を究めるスキルを磨くわけです。
単なる直観を超えた自覚と言い換えてもいい。
この自覚に至るためにはどうしても経験知が形式知と相互作用しなくてはいけません。
そこで日本の軍人、とくにノモンハンなどの失敗を見ていますと、
経験は積んでもそれを言語とか概念に捉え直すということがないのですね。
言語にしませんと私たちの経験を自覚的に捉えることができませんから、
反省を欠きますね」
半藤:「なるほど、たしかにそうですね。正確な言葉にして教訓を残していない」・・・
「おっしゃるとおりで、日本の組織にいちばん欠けているのは自己点検による
自己改革。さらに言語化。これができないんです」・・・
「簡単に言えば、組織の名誉を傷つけるな、という言葉が集団を縛るのですね。
『日本陸軍の恥辱になる』という言葉の前に立つと、正論が消えてしまう」
野中:「今日は大変興味深いお話をいただきましたが、とくに、本当に知的なリーダーを生み
出すには時代が知的でなければいけない、というご指摘が胸にこたえました。
まさしく現代と似ているな、と感じました」
半藤:「歴史をまったく知らない国民がこれだけいい気になっているのですから。
そこからすごいリーダーが出るなんてありえない。
平成32年、42年くらいを目指してもう一度日本をやり直したほうが
よろしいのじゃないでしょうか」
野中:「たしかに歴史をどんどん捨てていますからね。いま見ていますと過去の否定だけで、
極めて建設的なものが出にくい世論になっています。まさしく歴史を学び、
歴史を超えていくビジョンが必要な時だと思います」 (引用ここまで)
太平洋戦争にしろ、福島第一原発事故にしろ、時の為政者に都合の悪いことは隠され、
あるいは破棄される。目を向けないどころか、むしろ無かったことにしたいようだ。
大分前の話だが、タモリさんが出演された番組「世にも奇妙な物語」に心底怖い話があった。
テレビから、新聞から、書物から、教科書から、戦争の記録が全て無くなっているのだ。
そのことに気づいた主人公が、家族や友人、先生に聞いても、みんな
「そんな戦争はなかった」と言う。
図書館で調べても、あらゆる手段を尽くして調べても、どこにも「戦争」という言葉が無い!
私はこの話を時々思い出し、その度に自分だったら・・・と怖くなる。
私は、学校で現代史を習わずにきて60歳を過ぎた。
現代史のところはいつも時間切れで「自分で読んでおくように」と言われた。
大学ではパレスチナゲリラという言葉を耳にしたが、よく分らずに来てしまった。
原発のことも、難しいことには目を背けてきて3・11に遭った。
あまりにも歴史を知らないで来てしまったと思う。
きちんと遺すべき歴史は書き残し、国民は面倒なことにも目を逸らさずに
歴史を受け入れていかないと・・・
「太平洋戦争?そんなものは無かったよ」 あるいは、
「太平洋戦争で日本は勝利したんだ」
「原発事故?そんなこと聞いたこともないよ」
という時代を、未来の人たちが迎えることになりかねない。
国民が変わらなければ、国は変わらない。
2月14日の朝日新聞 「声」 に後藤乾一氏が、「大東亜戦争」 の直前に
南原繁氏が詠んだ短歌を紹介している。
あまりに一方的なるニュースのみにわれは疑ふこの民の知性を 南原 繁
そして 「メディアに課せられた重い責任と、政治に向かう市民一人ひとりの知的勇気が、
今ほど試される時はない」 と結んでいる。
(引用ここまで)
最近の【正義】を振りかざす風潮や、物事を単純に考えようとする傾向をみると、
後藤乾一氏が投稿された時より更に、市民一人ひとりの知的勇気が試されているように感じる。
半藤一利著 対談 『昭和史をどう生きたか』に興味深い言葉があった。
野中郁次郎氏との対談より
野中:「半藤さんは司馬遼太郎さんとお親しかったと思いますが、
『坂の上の雲』を例にとっても、明治維新の頃の人々は非常に深く考えていますね、
謙虚に。ああいう深さはというものはどこから来たのでしょうね」
半藤:「当時、国民の知的レベルが相当高かったからではないでしょうか。
私がなぜ『ノモンハンの夏』を書こうかと思ったのかと言いますと、
もしあの時点で反省し、教訓を学んでいれば、その後日本を滅ぼすような
ことはなかったのではないか、と思ったからです。ところが、実際に
本を読まれた方々はそうした教訓よりもむしろ、現在の日本と似ていると
思われたようなのです。
戦争の時代になぜ、いい意味のインテリゲンチャがいなかったのだろうか。
リーダーの中に知性の欠けている人が多いのはどうしてか。
現在もリーダーに本来の意味での知的人物がいないのはどうしてだろうか、
と聞かれることが多くなりまして、それで私も考えました。
その結果、国民全体の教養レベルが低い時には、どうしてもいいリーダーが
出ないのじゃないか、と。幕末から明治維新にかけての国民の知的レベルは
相当に高かった。それでいいリーダーが出て、明治維新も成功したのでは
ないかという気がしています」
野中:「太平洋戦争の頃は、新聞、マスコミの知のレベルも低かったのですね。
逆に戦争を煽(あお)っていますからね。極めてプリミティブな攻撃性と
申しますか、情緒的な知が支配していた、ということが問題ですね」
半藤:「そう、情緒的な知、いまとあまり変わりませんな(笑)」
野中:「もう一つ感じましたのは、『坂の上の雲』などでは、本質を見抜く哲学的な思想が身
についている。しかも彼らは美しい言語で概念と言いますか、コンセプトを出せる。
経験知が深いということは、西田哲学で言えば純粋経験ということに
なるのでしょうか、我を超えてまさに対象と一体化する、非常に深い暗黙知が
そこにはある。これが私たちの直観、まさに道を究めるスキルを磨くわけです。
単なる直観を超えた自覚と言い換えてもいい。
この自覚に至るためにはどうしても経験知が形式知と相互作用しなくてはいけません。
そこで日本の軍人、とくにノモンハンなどの失敗を見ていますと、
経験は積んでもそれを言語とか概念に捉え直すということがないのですね。
言語にしませんと私たちの経験を自覚的に捉えることができませんから、
反省を欠きますね」
半藤:「なるほど、たしかにそうですね。正確な言葉にして教訓を残していない」・・・
「おっしゃるとおりで、日本の組織にいちばん欠けているのは自己点検による
自己改革。さらに言語化。これができないんです」・・・
「簡単に言えば、組織の名誉を傷つけるな、という言葉が集団を縛るのですね。
『日本陸軍の恥辱になる』という言葉の前に立つと、正論が消えてしまう」
野中:「今日は大変興味深いお話をいただきましたが、とくに、本当に知的なリーダーを生み
出すには時代が知的でなければいけない、というご指摘が胸にこたえました。
まさしく現代と似ているな、と感じました」
半藤:「歴史をまったく知らない国民がこれだけいい気になっているのですから。
そこからすごいリーダーが出るなんてありえない。
平成32年、42年くらいを目指してもう一度日本をやり直したほうが
よろしいのじゃないでしょうか」
野中:「たしかに歴史をどんどん捨てていますからね。いま見ていますと過去の否定だけで、
極めて建設的なものが出にくい世論になっています。まさしく歴史を学び、
歴史を超えていくビジョンが必要な時だと思います」 (引用ここまで)
太平洋戦争にしろ、福島第一原発事故にしろ、時の為政者に都合の悪いことは隠され、
あるいは破棄される。目を向けないどころか、むしろ無かったことにしたいようだ。
大分前の話だが、タモリさんが出演された番組「世にも奇妙な物語」に心底怖い話があった。
テレビから、新聞から、書物から、教科書から、戦争の記録が全て無くなっているのだ。
そのことに気づいた主人公が、家族や友人、先生に聞いても、みんな
「そんな戦争はなかった」と言う。
図書館で調べても、あらゆる手段を尽くして調べても、どこにも「戦争」という言葉が無い!
私はこの話を時々思い出し、その度に自分だったら・・・と怖くなる。
私は、学校で現代史を習わずにきて60歳を過ぎた。
現代史のところはいつも時間切れで「自分で読んでおくように」と言われた。
大学ではパレスチナゲリラという言葉を耳にしたが、よく分らずに来てしまった。
原発のことも、難しいことには目を背けてきて3・11に遭った。
あまりにも歴史を知らないで来てしまったと思う。
きちんと遺すべき歴史は書き残し、国民は面倒なことにも目を逸らさずに
歴史を受け入れていかないと・・・
「太平洋戦争?そんなものは無かったよ」 あるいは、
「太平洋戦争で日本は勝利したんだ」
「原発事故?そんなこと聞いたこともないよ」
という時代を、未来の人たちが迎えることになりかねない。
国民が変わらなければ、国は変わらない。