このところ私は、「息苦しい」とか「生きづらい」という言葉に
過剰に反応してしまう。新聞の新刊広告に次の言葉があった。
「 この国はなぜ僕には息苦しいのか? 」
高齢者の私にとって、この国は生活面だけでなく精神的にも非常に息苦しい。
若い人にはどのような息苦しさがあるのかを、どうしても知りたかった。
そして5分後には図書館に電話していた。(キャッチコピーの力です)
私の住む市の図書館はとても親切で、リクエストすると大体買ってくれる。
作者の方には申し訳ないが、もう何十冊も買ってもらっている。
自分で買えば自分しか読まないが、図書館で買ってもらえば他の人も読むといった、
自分なりの理屈もあるのだが、年金生活で余り買えないのが一番の理由だ。
いつものように、「検討して後日結果を連絡します」ということになった。
楽しみに待っていたのだが、思わぬ結果だった。
「タレント本はたくさんあるので、今回は見送ります」
「ちょっと待ってください。彼は自分の考えを発信していて、政治にも
とても興味のある人ですよ」
「ええ、でも……決まった事なので……」
私は以前、『ロンドンハーツ』をよく観ていた。
最近の田村淳は口調が高圧的で、笑いのためなら何でもするといった態度が鼻に付いていた。
だが彼が発信する言葉には興味があった。
早速、アマゾンではなく(安易にアマゾンを利用するのを止めた)街の本屋さんに
買いに行った。ところがどこを探してもない。
それこそタレント本だったら、一番前に平積みになっているのではないか?
お店の人に調べてもらうと、一番奥の新書コーナーにひっそりとあった。
それがこの本、ロンドンブーツ1号2号の田村淳さんの『日本人失格』です。
非常に読みやすく教訓に富んでいる。タレント本と侮(あなど)るなかれ!
彼の生き方を通して、今の日本という国が見えてくる。
年齢に関係なく、この国で生きていくのは息苦しい、ということが分かった。
私はせいぜい10年我慢すればいいが、若い人たちは何十年もこの国で
生きていかなくてはならない。
そんな若者へのエールとして、是非、図書館に置いて欲しい本です。
だがどんな内容の本を出しても、「タレント本」として一括りにされてしまうことに、
大いに違和感がある。(図書館は数多くの本を扱うので仕方がないが)
テレビ番組では、「東大卒」「京大卒」「有名私大卒」と過剰に放送する。
一般的には、学歴は18、19、20歳の能力に過ぎない。
それからの人生の方が長く、学ぶことが多いはずだ。
それをいつまでも学歴で視聴率を取ろうとするテレビ局、そして学歴だけで生き延びている
タレントを観ていると、レッテルだけで判断しようとすることに、この国の危うさを感じる。
気に入った文を引用させて頂きます。
(1)どうして日本の組織は、個性よりも、みんなと同じような行動することを
求めるのだろう。
あるいは大勢がよってたかって、”個”を攻撃し、潰しにかかるのはなぜなのか。
考えてみると、これらの傾向は会社や組織に限ったことではなく、この国全体に
蔓延(まんえん)している気がする。
(2)今やどのテレビ局の番組スタッフも、芸能人に牙を剥(む)かせない
均質化を求めている。
BPO(放送倫理・番組向上機構)の影響力が強まっているせいかもしれないけど、
番組スタッフは自分たちが面倒なことに巻き込まれないように
「 安心・安定の番組作り 」
という箱の中に芸能人を無理やり押し込めている。
逆に、その箱からポンッと飛び出そうものなら、排除しようとさえするのが、
テレビの現状なのだ。
(ここ5、6年、テレビが特につまらない!
年がら年中、食べてばかりいる。
年がら年中、健康番組を放送する。
年がら年中、同じコメンテーター(芸人か元スポーツ選手)が出ている。
年がら年中、学歴(しかない?)タレントがクイズ番組に出ている。
年がら年中、おいひ~の旅番組ばかり流している……)
(3)では、なぜ日本の企業は”個”を認めないのか。
その原因のひとつに、上司の「自己保身」があると思う。
部下に新しいことや思いもよらない提案をされてもよくわからないし、
それを許可して失敗した時に、自分が責任を取らされるのがイヤなのだ。
それを避けるため、「前例がない」という言葉で部下のチャレンジ精神を
萎えさせてしまう。
「前例がない」ところにビジネスの金脈が眠っているかもしれないのに、
前例を継承させ、部下に過去の成功体験を押しつけようとする。
(4)となると、小学校くらいから、
自分という”個”をきちんと認識させ、
大事にする教育 が
必要かもね。自分の好きなもの、嫌いなもの、得意なことをわからせて伸ばしていく。
人に合わせなくても、自分を殺さなくてもいいんだと思えるようにしていかないと、
上から言われたことをひたすら従順にやったり、まわりを見て動くだけの社会人に
なってしまうんじゃないか。
(5)今の先生たちって自分に自信が持てないせいで、子供らにいろんな道を
示してあげる前に、
波風立たないような、子供たちの冒険心を削(そ)ぐような 、
画一的な授業や指導しかできないんじゃないかと思う。
あとは親や教育委員会から突っ込まれないように、ビクビクと
その場をやり過ごそうとするとか。
あるいは、問題が起こらなそうな道を提示しておけば、余計な気苦労もしなくて済むし、
子供たちを把握しやすくもなると勘違いしているのかもしれない。
結果、子供たちは”均一化された、いい子ちゃん”に育っていく。 2につづく
過剰に反応してしまう。新聞の新刊広告に次の言葉があった。
「 この国はなぜ僕には息苦しいのか? 」
高齢者の私にとって、この国は生活面だけでなく精神的にも非常に息苦しい。
若い人にはどのような息苦しさがあるのかを、どうしても知りたかった。
そして5分後には図書館に電話していた。(キャッチコピーの力です)
私の住む市の図書館はとても親切で、リクエストすると大体買ってくれる。
作者の方には申し訳ないが、もう何十冊も買ってもらっている。
自分で買えば自分しか読まないが、図書館で買ってもらえば他の人も読むといった、
自分なりの理屈もあるのだが、年金生活で余り買えないのが一番の理由だ。
いつものように、「検討して後日結果を連絡します」ということになった。
楽しみに待っていたのだが、思わぬ結果だった。
「タレント本はたくさんあるので、今回は見送ります」
「ちょっと待ってください。彼は自分の考えを発信していて、政治にも
とても興味のある人ですよ」
「ええ、でも……決まった事なので……」
私は以前、『ロンドンハーツ』をよく観ていた。
最近の田村淳は口調が高圧的で、笑いのためなら何でもするといった態度が鼻に付いていた。
だが彼が発信する言葉には興味があった。
早速、アマゾンではなく(安易にアマゾンを利用するのを止めた)街の本屋さんに
買いに行った。ところがどこを探してもない。
それこそタレント本だったら、一番前に平積みになっているのではないか?
お店の人に調べてもらうと、一番奥の新書コーナーにひっそりとあった。
それがこの本、ロンドンブーツ1号2号の田村淳さんの『日本人失格』です。
非常に読みやすく教訓に富んでいる。タレント本と侮(あなど)るなかれ!
彼の生き方を通して、今の日本という国が見えてくる。
年齢に関係なく、この国で生きていくのは息苦しい、ということが分かった。
私はせいぜい10年我慢すればいいが、若い人たちは何十年もこの国で
生きていかなくてはならない。
そんな若者へのエールとして、是非、図書館に置いて欲しい本です。
だがどんな内容の本を出しても、「タレント本」として一括りにされてしまうことに、
大いに違和感がある。(図書館は数多くの本を扱うので仕方がないが)
テレビ番組では、「東大卒」「京大卒」「有名私大卒」と過剰に放送する。
一般的には、学歴は18、19、20歳の能力に過ぎない。
それからの人生の方が長く、学ぶことが多いはずだ。
それをいつまでも学歴で視聴率を取ろうとするテレビ局、そして学歴だけで生き延びている
タレントを観ていると、レッテルだけで判断しようとすることに、この国の危うさを感じる。
気に入った文を引用させて頂きます。
(1)どうして日本の組織は、個性よりも、みんなと同じような行動することを
求めるのだろう。
あるいは大勢がよってたかって、”個”を攻撃し、潰しにかかるのはなぜなのか。
考えてみると、これらの傾向は会社や組織に限ったことではなく、この国全体に
蔓延(まんえん)している気がする。
(2)今やどのテレビ局の番組スタッフも、芸能人に牙を剥(む)かせない
均質化を求めている。
BPO(放送倫理・番組向上機構)の影響力が強まっているせいかもしれないけど、
番組スタッフは自分たちが面倒なことに巻き込まれないように
「 安心・安定の番組作り 」
という箱の中に芸能人を無理やり押し込めている。
逆に、その箱からポンッと飛び出そうものなら、排除しようとさえするのが、
テレビの現状なのだ。
(ここ5、6年、テレビが特につまらない!
年がら年中、食べてばかりいる。
年がら年中、健康番組を放送する。
年がら年中、同じコメンテーター(芸人か元スポーツ選手)が出ている。
年がら年中、学歴(しかない?)タレントがクイズ番組に出ている。
年がら年中、おいひ~の旅番組ばかり流している……)
(3)では、なぜ日本の企業は”個”を認めないのか。
その原因のひとつに、上司の「自己保身」があると思う。
部下に新しいことや思いもよらない提案をされてもよくわからないし、
それを許可して失敗した時に、自分が責任を取らされるのがイヤなのだ。
それを避けるため、「前例がない」という言葉で部下のチャレンジ精神を
萎えさせてしまう。
「前例がない」ところにビジネスの金脈が眠っているかもしれないのに、
前例を継承させ、部下に過去の成功体験を押しつけようとする。
(4)となると、小学校くらいから、
自分という”個”をきちんと認識させ、
大事にする教育 が
必要かもね。自分の好きなもの、嫌いなもの、得意なことをわからせて伸ばしていく。
人に合わせなくても、自分を殺さなくてもいいんだと思えるようにしていかないと、
上から言われたことをひたすら従順にやったり、まわりを見て動くだけの社会人に
なってしまうんじゃないか。
(5)今の先生たちって自分に自信が持てないせいで、子供らにいろんな道を
示してあげる前に、
波風立たないような、子供たちの冒険心を削(そ)ぐような 、
画一的な授業や指導しかできないんじゃないかと思う。
あとは親や教育委員会から突っ込まれないように、ビクビクと
その場をやり過ごそうとするとか。
あるいは、問題が起こらなそうな道を提示しておけば、余計な気苦労もしなくて済むし、
子供たちを把握しやすくもなると勘違いしているのかもしれない。
結果、子供たちは”均一化された、いい子ちゃん”に育っていく。 2につづく