第三章 孤独であること
(2)無力感をしっかり受け止め、無力な自分の中にしばらく浸っていられるだけの体力、
気力を養っておきましょう。さんざん無力だ、なにもできないと感じて、
少しくらい腐ってもいい。そのあと自分のやるべきことを考え、
しっかり頭を上げて実行に移すのです。
第四章 なぜ読書が必要なのか
(1)仕事や世間の奴隷にならず、くだらない流行から逃れ、そして孤独に耐えるためには、
本を読み続けなければいけない。そう固く信じるからです。
わたしの半生において、本を読むことは何物にも代えがたい、最大最強の支えでした。
わたしは読書から多くの滋養を得て今日まで生きてきたし、
それはこれからもそうでしょう。
どんな境遇や職業の人でも、書物に触れること抜きに、生きる手ごたえはつかめない。
わたしはそう考えます。
いまあなたがいる世の中は、あなたの頭の中だけで完結しているのではなく、
外にはそれと価値観の異なる無数の世の中がある。外にはあなたの思考や発想と大きく
かけ離れた価値体系がある。読書はあなたにそのことを知らしめてくれる。
あなたが現状に窮(きゅう)しているのであれば、すなわち奴隷になって
いるのであれば、本の世界に浸る孤独な時間は、無数の選択肢をもたらし、
希望の光となる。滞っていた思考を耕してくれる。
読書とは奴隷に陥らないための、奴隷状態から逃げ出すための、
手引きにもなりえるのです。
(2)みずから積極的に手を伸ばしてつかんだ言葉でなければ、充分な用をなしません。
日々意識しないと、言葉は本当に目減りして、やがて枯渇してしまうのです。
するとどうなるか。言葉はわたしたちの考える素(もと)です。
行動を決めるのも言葉です。枯渇すれば、能動的に活動することが
ままならなくなる。……
それは思考停止を意味する状態であって、あなたは望まない環境に閉じ込められても、
それに抗(あらが)えない奴隷となります。
言葉は本来の自分を保つための武器なのですから、ゆめゆめ疎(おろそか)に
してはいけません。
出世して責任ある仕事を任せられ、あなたはそれにやり甲斐をもって
取り組めていたとしても、いつでも孤独の中で思考を重ねられるような心構え、
いってみれば心の闇のようなものを抱えていたほうがいい。
現状に満足するあまり、社会に順応しすぎるのはどうかと思います。
順応しているつもりが、気づけば馴致(じゅんち)させられていた、という事態は
往々にして起こりえますし、それが奴隷化のメカニズムのひとつであることは……。
いくら順風満帆であっても、内面に孤独をいくらか確保しておくのは、
奴隷にならずに生き抜くうえで大切なことです。
第六章 職業とは
(1)とはいえ、傍目(はため)からは怠惰な暮らしに違いありません。母からもたまに
「なんとかしなさいよ」くらいは言われましたが、叱られはしなかった。
母のそうした態度があったからこそ、わたしは作家になれたともいえます。
母が「この子はあまり会社でばりばり働かないほうがいい」と思っていたのでしょう。
「なるようになるだろう、死ななきゃいい」くらいに考える図太さが
母にもあったわけです。
わたしにとって、そういう環境はありがたかった。
(2)さらに言えば、生まれてきたこと自体が棚ぼたみたいなもの。
棚の上にいつもぼた餅は載っている。そこに気づくかどうかです。
こんな過酷な状況にいて、自分は耐えるしかない身だと思ってばかりいると、
棚の上にぼた餅があることすら気づきません。
棚の上にぼた餅があることに気づき、その下に移動して皿を構えるくらいのことは
やれるはずです。それもやらないようでは怠慢と言われても仕方がない。
あるいは、それもできないような状況にいるのなら、きつ過ぎるので、
すぐに逃げ出す算段をしたほうがいいでしょう。
(2)無力感をしっかり受け止め、無力な自分の中にしばらく浸っていられるだけの体力、
気力を養っておきましょう。さんざん無力だ、なにもできないと感じて、
少しくらい腐ってもいい。そのあと自分のやるべきことを考え、
しっかり頭を上げて実行に移すのです。
第四章 なぜ読書が必要なのか
(1)仕事や世間の奴隷にならず、くだらない流行から逃れ、そして孤独に耐えるためには、
本を読み続けなければいけない。そう固く信じるからです。
わたしの半生において、本を読むことは何物にも代えがたい、最大最強の支えでした。
わたしは読書から多くの滋養を得て今日まで生きてきたし、
それはこれからもそうでしょう。
どんな境遇や職業の人でも、書物に触れること抜きに、生きる手ごたえはつかめない。
わたしはそう考えます。
いまあなたがいる世の中は、あなたの頭の中だけで完結しているのではなく、
外にはそれと価値観の異なる無数の世の中がある。外にはあなたの思考や発想と大きく
かけ離れた価値体系がある。読書はあなたにそのことを知らしめてくれる。
あなたが現状に窮(きゅう)しているのであれば、すなわち奴隷になって
いるのであれば、本の世界に浸る孤独な時間は、無数の選択肢をもたらし、
希望の光となる。滞っていた思考を耕してくれる。
読書とは奴隷に陥らないための、奴隷状態から逃げ出すための、
手引きにもなりえるのです。
(2)みずから積極的に手を伸ばしてつかんだ言葉でなければ、充分な用をなしません。
日々意識しないと、言葉は本当に目減りして、やがて枯渇してしまうのです。
するとどうなるか。言葉はわたしたちの考える素(もと)です。
行動を決めるのも言葉です。枯渇すれば、能動的に活動することが
ままならなくなる。……
それは思考停止を意味する状態であって、あなたは望まない環境に閉じ込められても、
それに抗(あらが)えない奴隷となります。
言葉は本来の自分を保つための武器なのですから、ゆめゆめ疎(おろそか)に
してはいけません。
出世して責任ある仕事を任せられ、あなたはそれにやり甲斐をもって
取り組めていたとしても、いつでも孤独の中で思考を重ねられるような心構え、
いってみれば心の闇のようなものを抱えていたほうがいい。
現状に満足するあまり、社会に順応しすぎるのはどうかと思います。
順応しているつもりが、気づけば馴致(じゅんち)させられていた、という事態は
往々にして起こりえますし、それが奴隷化のメカニズムのひとつであることは……。
いくら順風満帆であっても、内面に孤独をいくらか確保しておくのは、
奴隷にならずに生き抜くうえで大切なことです。
第六章 職業とは
(1)とはいえ、傍目(はため)からは怠惰な暮らしに違いありません。母からもたまに
「なんとかしなさいよ」くらいは言われましたが、叱られはしなかった。
母のそうした態度があったからこそ、わたしは作家になれたともいえます。
母が「この子はあまり会社でばりばり働かないほうがいい」と思っていたのでしょう。
「なるようになるだろう、死ななきゃいい」くらいに考える図太さが
母にもあったわけです。
わたしにとって、そういう環境はありがたかった。
(2)さらに言えば、生まれてきたこと自体が棚ぼたみたいなもの。
棚の上にいつもぼた餅は載っている。そこに気づくかどうかです。
こんな過酷な状況にいて、自分は耐えるしかない身だと思ってばかりいると、
棚の上にぼた餅があることすら気づきません。
棚の上にぼた餅があることに気づき、その下に移動して皿を構えるくらいのことは
やれるはずです。それもやらないようでは怠慢と言われても仕方がない。
あるいは、それもできないような状況にいるのなら、きつ過ぎるので、
すぐに逃げ出す算段をしたほうがいいでしょう。