先に結論を申し上げると,古書店で入手できるようだが,買うのは見送ることにした,である。
数理論理学の研究者であった前原昭二氏 (1927--1992) の晩年の著書『線形代数と特殊相対論』(日本評論社,1993 年)の巻末の「文献案内」に,1922 年から 1923 年にかけて改造社から出版された『アインスタイン全集』なるものが挙げられているのが目に留まった。
前原氏は,これは非売品であるが,1947 年か 1948 年に古本屋で求めたという。
この非売品というフレーズと,改造社という,聞いたことがあるような内容な出版社名が気になり,まずは国会図書館デジタルコレクションで検索してみた。
その結果,「送信サービスで閲覧可能」というステータスで所蔵されていることが分かった。
訳者の一人である石原純氏はちょうど 1947 年に亡くなっている。前原氏が古本屋で見つけたのは,石原氏の遺品だったのではなかろうか,などとつい妄想を逞しくしてしまう。
ところで,翻訳書の著作権というものがどのような扱いなのか知らないのだが,仮に著作者が石原氏であった場合,死後 70 年が経過しているので,著作権保護期間は満了していそうなものである。けれども,国会図書館の判断は「まだ満了ではない」もしくはその確認が取れていない,ということのようだ。
訳者は他に二名いるので,それらの方々に由来する著作権保護期間満了がまだ先のことなのかもしれない。
あるいは,原著者に相当する Einstein 氏が亡くなったのは 1955 年のことで,著作権者を Einstein 氏に帰するということならば,満了は来年あたりということになりそうである。
非売品であったという話はとある古書店のブログ記事にも記されていた。そこの在庫は売り切れたようであるが,ネットの検索結果によると,4 巻セットが税込みで 25,000 円あたりが相場らしい。税込み 19,800 円というものもあった。ビミョーに手が届くお値段ではあるが,買うのは,うーん,やめておこう。
どうでもいいが,前原氏の『線形代数と特殊相対論』と同時に手に取った本は彌永昌吉氏の『幾何学序説』であるが,前原氏の「文献案内」に『幾何学序説』が挙げられており,氏がかつて彌永氏の,その『幾何学序説』の下地となった講義に出席していたとの思い出が語られている。2 冊とも B5 版であるので,重ねて私のカバンに詰めたのだが,その偶然をこれら二氏の霊はどう感じられたであろうか。
さて,改造社という気になる会社のことも調べたところ,例によって Wikipedia の解説記事に目を通すこととなった。そこには確かに改造社の招きでアインスタイン博士が来日したとある。さらには,湯川秀樹氏がその際にアインスタイン氏の講演を聞き,それがきっかけで理論物理学の道を志したとある。
はて,そんなドラマティックな話だったっけな?
Wikipedia のそのくだりにはなんの出典も示されていない。だが,私は湯川氏の手になる『旅人 ある物理学者の回想』(もとは朝日新聞社から刊行され,現在は角川ソフィア文庫の一冊として出版されている)の「波と風と」の章にアインシュタイン来日の話を記しているが,
とはっきり述べている。このように当人がはっきり述べているのだから,Wikipedia の記載は明白な誤謬である。それもそのうち正さねばなるまい。
なお,後に三高で湯川氏の同期生となった数学者小堀憲(あきら)氏は講演を聞いたそうである,とも述べているが,そちらはアインシュタイン氏の講演を聞いたにもかかわらず,理論物理学ではなく数学の道に進んだのであるから,講演に感銘を受けた当時の日本の青少年が理論物理学を志すという「アインシュタイン効果」のほどがますます怪しくなってくる。
湯川氏と同世代の物理学者といえば朝永振一郎氏がすぐに思い浮かぶが,幼少期の思い出を記した文を探すのは少し手間がかかりそうであるので,その作業は保留にしたい。
近年,ノーベル物理学賞を受賞した南部陽一郎氏は 1921 年生まれで,アインスタイン博士来日は大正十一年の十一月,つまり 1922 年のことであるから,1 歳ほどの幼児がそもそもアインシュタインの講演を聞いたとは思われない。一般ゲージ理論の生みの親である内山龍雄氏といえども 1916 年生まれで,6 歳,現在でいえばちょうど就学児童になるばかりの頃に講演を聞いて早々に将来の道を決めたとはありそうにないことである。
そんなわけで,日本物理界のどんな大御所が実際にアインスタイン効果を受けたのか,という別の興味が湧いてくるが,今流行りの AI の助けを借りるなどすれば調査がはかどるであろうか。
数理論理学の研究者であった前原昭二氏 (1927--1992) の晩年の著書『線形代数と特殊相対論』(日本評論社,1993 年)の巻末の「文献案内」に,1922 年から 1923 年にかけて改造社から出版された『アインスタイン全集』なるものが挙げられているのが目に留まった。
前原氏は,これは非売品であるが,1947 年か 1948 年に古本屋で求めたという。
この非売品というフレーズと,改造社という,聞いたことがあるような内容な出版社名が気になり,まずは国会図書館デジタルコレクションで検索してみた。
その結果,「送信サービスで閲覧可能」というステータスで所蔵されていることが分かった。
訳者の一人である石原純氏はちょうど 1947 年に亡くなっている。前原氏が古本屋で見つけたのは,石原氏の遺品だったのではなかろうか,などとつい妄想を逞しくしてしまう。
ところで,翻訳書の著作権というものがどのような扱いなのか知らないのだが,仮に著作者が石原氏であった場合,死後 70 年が経過しているので,著作権保護期間は満了していそうなものである。けれども,国会図書館の判断は「まだ満了ではない」もしくはその確認が取れていない,ということのようだ。
訳者は他に二名いるので,それらの方々に由来する著作権保護期間満了がまだ先のことなのかもしれない。
あるいは,原著者に相当する Einstein 氏が亡くなったのは 1955 年のことで,著作権者を Einstein 氏に帰するということならば,満了は来年あたりということになりそうである。
非売品であったという話はとある古書店のブログ記事にも記されていた。そこの在庫は売り切れたようであるが,ネットの検索結果によると,4 巻セットが税込みで 25,000 円あたりが相場らしい。税込み 19,800 円というものもあった。ビミョーに手が届くお値段ではあるが,買うのは,うーん,やめておこう。
どうでもいいが,前原氏の『線形代数と特殊相対論』と同時に手に取った本は彌永昌吉氏の『幾何学序説』であるが,前原氏の「文献案内」に『幾何学序説』が挙げられており,氏がかつて彌永氏の,その『幾何学序説』の下地となった講義に出席していたとの思い出が語られている。2 冊とも B5 版であるので,重ねて私のカバンに詰めたのだが,その偶然をこれら二氏の霊はどう感じられたであろうか。
さて,改造社という気になる会社のことも調べたところ,例によって Wikipedia の解説記事に目を通すこととなった。そこには確かに改造社の招きでアインスタイン博士が来日したとある。さらには,湯川秀樹氏がその際にアインスタイン氏の講演を聞き,それがきっかけで理論物理学の道を志したとある。
はて,そんなドラマティックな話だったっけな?
Wikipedia のそのくだりにはなんの出典も示されていない。だが,私は湯川氏の手になる『旅人 ある物理学者の回想』(もとは朝日新聞社から刊行され,現在は角川ソフィア文庫の一冊として出版されている)の「波と風と」の章にアインシュタイン来日の話を記しているが,
アインシュタインが折角京都で講演したのに、私は聞きに行かなかった。
とはっきり述べている。このように当人がはっきり述べているのだから,Wikipedia の記載は明白な誤謬である。それもそのうち正さねばなるまい。
なお,後に三高で湯川氏の同期生となった数学者小堀憲(あきら)氏は講演を聞いたそうである,とも述べているが,そちらはアインシュタイン氏の講演を聞いたにもかかわらず,理論物理学ではなく数学の道に進んだのであるから,講演に感銘を受けた当時の日本の青少年が理論物理学を志すという「アインシュタイン効果」のほどがますます怪しくなってくる。
湯川氏と同世代の物理学者といえば朝永振一郎氏がすぐに思い浮かぶが,幼少期の思い出を記した文を探すのは少し手間がかかりそうであるので,その作業は保留にしたい。
近年,ノーベル物理学賞を受賞した南部陽一郎氏は 1921 年生まれで,アインスタイン博士来日は大正十一年の十一月,つまり 1922 年のことであるから,1 歳ほどの幼児がそもそもアインシュタインの講演を聞いたとは思われない。一般ゲージ理論の生みの親である内山龍雄氏といえども 1916 年生まれで,6 歳,現在でいえばちょうど就学児童になるばかりの頃に講演を聞いて早々に将来の道を決めたとはありそうにないことである。
そんなわけで,日本物理界のどんな大御所が実際にアインスタイン効果を受けたのか,という別の興味が湧いてくるが,今流行りの AI の助けを借りるなどすれば調査がはかどるであろうか。
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