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数列の極限と実数の連続性。

2019-05-16 11:25:22 | mathematics
数学的な概念としての「実数」の特性を表す公理としてはいろいろな形のものが知られている。その中で,比較的シンプルであって感覚的に受け入れやすいのではないかと思えるものは「上に有界(ゆうかい)な単調増加列は収束する(つまり極限値を持つ)」という公理である。

数列 (a[n]) が上に有界であるとは,ある実数 A があって,番号(自然数)n によらず常に a[n]≦A が成り立つことをいう。

数列 (a[n]) が単調増加である(単調に増加する)とは,どの番号 n に対しても a[n]≦a[n+1] となっていることをいう。この条件は,二つの自然数 m と n について m≦n ならば a[m]≦a[n] となっていることと同値である。こちらの述べ方は一般の関数が単調増加であることの定義と同じものである。また,a[n]<a[n+1] もしくは m<n ならば a[m]<a[n] であるというように等号を許さない場合を狭義(きょうぎ)単調増加,等号入りの不等号のバージョンを広義(こうぎ)単調増加と呼んで両者を区別することもある。

さて,この公理は一見素朴でそれほど強力ではないような気がするかもしれないが,あらかじめ極限値がわかっていない,いかにも収束しそうな数列が本当に収束しているのだと明確に言い切っているので,意外と大胆かつ極めて強力である。

その強力さは,この公理を用いてとある定理が証明できることから感じ取れるのではないだろうか。その定理とは次のものである。


【定理】(Archimedes の原理)

自然数の集合は上に有界ではない。言い換えると,どんな実数に対しても,それより大きい自然数が必ずある。


・・・え?そんなこと当たり前じゃない?それってわざわざ証明しなきゃいけないようなことなの?

という声が聞こえてきそうである。そう言ってくる人がいたら私は逆にこう尋ねよう。これって本当に当たり前のことなんですか,と。もし当たり前なのだとしたら,それはなぜですか,と。

まずは次の区別を明確にしておこう。どんな自然数 n も,それよりも大きな「その次の数」n+1 がある。したがって,自然数にはいくらでも大きいものがあるといえるが,それは自然数という閉じたグループの中だけでの話であって,いわば井の中の蛙(かわず)なのである。とあるスポーツ選手が霊長類最強だったとしても,霊長類とは異なる別の哺乳類,例えばクマやゾウ相手に素手で勝てるかどうかはわからない。ましてやもっと範囲を広げて,あらゆる生物の中で頂点に位置するかもわからないし,ロボットなどの機械,自然現象までも含めたら最強である保証はほぼゼロであろう。つまりそういう話なのである。自然数だけの集合という井戸の中だけで自然数はいくらでも大きなものをとることができるかもしれないが,実数全体という大海(たいかい)に旅立ったら,あらゆる自然数を超越した神のごとき大きさの実数があるかもしれないのである。

「自然数にはいくらでも大きなものがある」という口当たりの良いフレーズが,実はきちんと分析してみると上のような大事な観点がごっそり抜け落ちたあいまいな表現であることをまず認識することが実数論への第一歩である。

とはいえ,

・・・え?でも,何か実数があったとしたら,それは例えば 3.141592... という感じになってるだけだろうから,これより大きい自然数,この場合は 4 とか 5 とかがあるのは見てすぐわかるんじゃない?

という次の疑問が湧くかもしれない。そしてやはり私は逆に尋ねよう。その実数とやらが 3.141592... と表せるのはなぜですか,と。実数がそのような数字の羅列として表されるのはいかに保証されるのですか,と。

この問答は,どちらかといえば実数論の第零歩として最初に取り上げるのがふさわしいものであった。そもそも実数というのは 3.141592... のように有限または無限小数で表される何かである,ということを公理に据えて実数論なり数列の極限なりを論じる立場もあるだろう。小数で実数を表すことは幼いころから教わっているし,日常的にも数といえばそのように表された数値を使うのがほとんどなので,こちらの立場の方が一般にはより受け入れられやすいであろう。このような立場に立った微分積分の教育はおそらくかなり以前から行われていると思われるが,私自身はそれをきちんと学んだことはない。良い機会なので,自分でこの観点に基づいた実数論の再構成を試みてもいいかもしれない。その際は二進数を使うのが合理的なように思われる。

ここまでの話で問題の所在ははっきりしただろうか。ここらで上の定理の「証明」を述べよう。背理法を用いる。

自然数を小さい順に並べ,それ自身を数列 (a[n]) とみなすことにする。つまり a[n]=n である。そうすると (a[n]) は単調増加である。ここで,この数列が上に有界である,すなわち,ある実数 A があって,あらゆる自然数 n に対して n≦A が成り立っていると仮定しよう。このとき,数列 (a[n]) は収束するということになっているので,その極限値を b とおく。そうすると,数列の極限の定義(本稿では省略する)により,特に a[m]>b-1 をみたす自然数 m が存在する。すなわち,b<m+1 である。ところが,やはり数列の極限の定義から すべての自然数 n に対して n≦b であることも導けるから,m+1 も自然数であることから m+1≦b でなければならない。したがって b<b でなければならないが,これは矛盾である。以上で証明は完了した。


たったこれだけのことを証明するために,大学で初めて学ぶ(かもしれない)数列のεN論法を用いて初めて確立される収束する数列の基本的な性質をいくつか必要とするので,手ごろな演習問題である。自然数の集合が上に有界でないということは,どんな小さな努力でもコツコツ毎日続ければ無限のかなたにある輝かしい未来に手が届く,という,初学者を励ますメッセージを含んでいるとも解釈できよう。
コメント
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