黒川信重,オイラー、リーマン、ラマヌジャン 時空を超えた数学者の接点,岩波科学ライブラリー126,2006.
本書を貫いているのは「素数」という大テーマである。
ピタゴラスの数学から話が始まり,「ゼータの統一」という壮大な夢が語られて話は終わる。
ゼータというのはゼータ関数と呼ばれる関数のことで,素数と密接な関係があることが知られている。
著者は「ゼータ研究所」で日夜ゼータを研究している,日本,否,世界で屈指のゼータの専門家である。
著者の紹介文を見ると趣味は夢想だそうで,ゼータに関する壮大な野望(ゼータ統一のさらに先にある絶対数学の夢まで)が語られる。
表題は3人の著名な数学者の名前で,ゼータに関する彼らの研究のほんの一端が紹介されている。
著述のスタイルは基本的に平易なのだが,後半には「鑑賞」する他ない数式がいろいろ出てくる。
僕をはじめとする一般の読者にとっては,「はあ,そーゆーのもあるんかね」くらいに了承するしかないようだが,細部にこだわらず,「ゼータの旅」を楽しもうという心がけに徹すれば,これらの数式を理解できないことを苦痛に思う必要はなく,「すげーな,こんな風に数式に表せてしまうのか!」とか,「数学者はこんな式からあんな事実を引き出してしまうのか!」などと,おのぼりさん気分で気楽に楽しんでしまえばよい。
というか,気になる行間を埋めようなどとまじめに考えてしまうと大変なことになるだろう。
とはいえ,意欲的な高校生ならば理解できるだろうという程度の内容については,証明や比較的簡単な計算が本文中に示されていたり,付録で詳しく解説されているので,ただの鑑賞では物足りない読者をも満足させるような配慮もなされている。
本書で紹介されている数式はどれもこれもとてつもない数学的センスで導かれているものばかりである。それらの一部の証明を見ると,見事としか言いようがない。とても等しいとは思えない二つの数が,思いもかけない方法で等しいことが示される様は,まるで魔法を見せられているようで,僕などは,感動どころか戦慄すら覚えるほどである。
この本を手にした人は,そうした高度な数学理論に感嘆するだけでなく,「ゼータは生き物だ」という『トンデモ』な主張に出会って面食らうことだろう。
僕も数年前にその手の主張に初めて出会ったときには「何ぶっ飛んだことを言ってるんだろう」と強い違和感を抱いたものだが,本書を読み終えて,「ゼータは生き物」というとらえ方が少し理解できた気がした。
僕の仕事は数学を教えることだが,数学が出来ないと嘆く学生が数学が出来るようになる秘訣は何だろうかと,あれやこれやとよく考えている。そして最近編み出した秘訣は「数学のことを四六時中考えること」である。
某サッカー漫画に「ボールはトモダチ」という名セリフがあるが,それと一緒で,数学のことを『肌身離さず』常に考え続けていれば,しだいに数学のことが少しずつわかってきて,その結果,数学に親しみも湧くだろうし,慣れてくるだろう。
ただのクラスメートであれば名前どころか顔すらほとんど覚えられないものだが,友達になって四六時中一緒にいれば相手のことがよくわかってきて親しみが増し,名前や顔(だけでなく,もっと細々とした個人データまでも)を苦もなく覚えてしまうものである。
それと同じで,数学をわかりたければ,数学に対する『親密度』をアップするのが効果的ではないか,と思うのである。
そして,「ゼータが生き物である」という表現は,まさに,ゼータ関数の全てを知りたくて日夜ゼータのことを考え続けた結果芽生えた『親密感』から生まれ出たものなのではないだろうか。
逆に,ゼータのことを眺める新しい視点を編み出すことによって,ゼータの理解がより深まる可能性もある。そこで,「ゼータは○○である」という構文を利用して新機軸を生み出そうということなのかもしれない。
いずれにせよ,著者は持てる夢想の力の全力でもってしてゼータ関数を理解しようとしているのだろう。
数学とのつきあい方というのは人それぞれであり,各々が思い思いの方法で数学とつきあっていけばいいのだ,という『自由かつ柔軟な精神』を目の当たりにできることこそが,本書の最大の魅力かもしれない。
最後に,本書 p.32 に掲載されている
という不等式の,高校の数III風証明を以下に(白字で)記しておく。
エレガントな証明は本書の付録にあるから,完全なる蛇足なのだけれど。
【証明】
f(x)=(1-x)10x とおくと,
f ' (x)=10x((1-x)log10-1).
ここで x の範囲に注意すると 1-x≧1/2 であり,10>32>e2 だから log10>2.
ゆえに (1-x)log10>1 なので f(x) は単調に増加する。
よって f(x)≧f(0)=1.
これより示すべき不等式が得られる。
なお,等号は x=0 のとき,またこのときに限り成立する。q.e.d.
本書を貫いているのは「素数」という大テーマである。
ピタゴラスの数学から話が始まり,「ゼータの統一」という壮大な夢が語られて話は終わる。
ゼータというのはゼータ関数と呼ばれる関数のことで,素数と密接な関係があることが知られている。
著者は「ゼータ研究所」で日夜ゼータを研究している,日本,否,世界で屈指のゼータの専門家である。
著者の紹介文を見ると趣味は夢想だそうで,ゼータに関する壮大な野望(ゼータ統一のさらに先にある絶対数学の夢まで)が語られる。
表題は3人の著名な数学者の名前で,ゼータに関する彼らの研究のほんの一端が紹介されている。
著述のスタイルは基本的に平易なのだが,後半には「鑑賞」する他ない数式がいろいろ出てくる。
僕をはじめとする一般の読者にとっては,「はあ,そーゆーのもあるんかね」くらいに了承するしかないようだが,細部にこだわらず,「ゼータの旅」を楽しもうという心がけに徹すれば,これらの数式を理解できないことを苦痛に思う必要はなく,「すげーな,こんな風に数式に表せてしまうのか!」とか,「数学者はこんな式からあんな事実を引き出してしまうのか!」などと,おのぼりさん気分で気楽に楽しんでしまえばよい。
というか,気になる行間を埋めようなどとまじめに考えてしまうと大変なことになるだろう。
とはいえ,意欲的な高校生ならば理解できるだろうという程度の内容については,証明や比較的簡単な計算が本文中に示されていたり,付録で詳しく解説されているので,ただの鑑賞では物足りない読者をも満足させるような配慮もなされている。
本書で紹介されている数式はどれもこれもとてつもない数学的センスで導かれているものばかりである。それらの一部の証明を見ると,見事としか言いようがない。とても等しいとは思えない二つの数が,思いもかけない方法で等しいことが示される様は,まるで魔法を見せられているようで,僕などは,感動どころか戦慄すら覚えるほどである。
この本を手にした人は,そうした高度な数学理論に感嘆するだけでなく,「ゼータは生き物だ」という『トンデモ』な主張に出会って面食らうことだろう。
僕も数年前にその手の主張に初めて出会ったときには「何ぶっ飛んだことを言ってるんだろう」と強い違和感を抱いたものだが,本書を読み終えて,「ゼータは生き物」というとらえ方が少し理解できた気がした。
僕の仕事は数学を教えることだが,数学が出来ないと嘆く学生が数学が出来るようになる秘訣は何だろうかと,あれやこれやとよく考えている。そして最近編み出した秘訣は「数学のことを四六時中考えること」である。
某サッカー漫画に「ボールはトモダチ」という名セリフがあるが,それと一緒で,数学のことを『肌身離さず』常に考え続けていれば,しだいに数学のことが少しずつわかってきて,その結果,数学に親しみも湧くだろうし,慣れてくるだろう。
ただのクラスメートであれば名前どころか顔すらほとんど覚えられないものだが,友達になって四六時中一緒にいれば相手のことがよくわかってきて親しみが増し,名前や顔(だけでなく,もっと細々とした個人データまでも)を苦もなく覚えてしまうものである。
それと同じで,数学をわかりたければ,数学に対する『親密度』をアップするのが効果的ではないか,と思うのである。
そして,「ゼータが生き物である」という表現は,まさに,ゼータ関数の全てを知りたくて日夜ゼータのことを考え続けた結果芽生えた『親密感』から生まれ出たものなのではないだろうか。
逆に,ゼータのことを眺める新しい視点を編み出すことによって,ゼータの理解がより深まる可能性もある。そこで,「ゼータは○○である」という構文を利用して新機軸を生み出そうということなのかもしれない。
いずれにせよ,著者は持てる夢想の力の全力でもってしてゼータ関数を理解しようとしているのだろう。
数学とのつきあい方というのは人それぞれであり,各々が思い思いの方法で数学とつきあっていけばいいのだ,という『自由かつ柔軟な精神』を目の当たりにできることこそが,本書の最大の魅力かもしれない。
最後に,本書 p.32 に掲載されている
0≦x≦1/2 のとき 1/(1-x)≦10x が成り立つ
という不等式の,高校の数III風証明を以下に(白字で)記しておく。
エレガントな証明は本書の付録にあるから,完全なる蛇足なのだけれど。
【証明】
f(x)=(1-x)10x とおくと,
f ' (x)=10x((1-x)log10-1).
ここで x の範囲に注意すると 1-x≧1/2 であり,10>32>e2 だから log10>2.
ゆえに (1-x)log10>1 なので f(x) は単調に増加する。
よって f(x)≧f(0)=1.
これより示すべき不等式が得られる。
なお,等号は x=0 のとき,またこのときに限り成立する。q.e.d.