地表から見た天体の動きを映し出すスクリーンとして「天球」というものを考えるが,なぜスクリーンの形状を『球面』にするのだろうか。
これまで,空をドーム状に表現することになんの疑問を抱かなかったが,ふと球面で表す必然性があるのかと疑問を抱いた。
青空を仰ぎ見ても,そこにはただ青い空間が広がっているだけである。
頭上のはるか遠く,手が届かない領域が,ただ,青い。
平面状に広がっているのか,曲がった球面状なのか,じっと見つめていても,あちこち見渡してみても,さっぱりわからなかった。
どうやら空のカタチは僕の知覚能力ではなんとも捉えられないモノらしい。
こうしてみると,どうやら天球という概念は,平面の角の大きさを測る(というか,定義する)のに,ある一点から見て「等方的」な図形である円を使用するのと同様に,星が観測者という『中心』から見てどの方角にあるのかを,方角に関して均等な球面を使用するという理論的な産物のようである。
すなわち,地表から見た空のカタチが球面であるように感じられるというよりも,地表の地理的な位置を示すのに使われる緯度と経度に相当する,天体の位置を示す座標である方位と高度という球座標が使われているというのが本当のところなのかもしれない。
これまで,空をドーム状に表現することになんの疑問を抱かなかったが,ふと球面で表す必然性があるのかと疑問を抱いた。
青空を仰ぎ見ても,そこにはただ青い空間が広がっているだけである。
頭上のはるか遠く,手が届かない領域が,ただ,青い。
平面状に広がっているのか,曲がった球面状なのか,じっと見つめていても,あちこち見渡してみても,さっぱりわからなかった。
どうやら空のカタチは僕の知覚能力ではなんとも捉えられないモノらしい。
こうしてみると,どうやら天球という概念は,平面の角の大きさを測る(というか,定義する)のに,ある一点から見て「等方的」な図形である円を使用するのと同様に,星が観測者という『中心』から見てどの方角にあるのかを,方角に関して均等な球面を使用するという理論的な産物のようである。
すなわち,地表から見た空のカタチが球面であるように感じられるというよりも,地表の地理的な位置を示すのに使われる緯度と経度に相当する,天体の位置を示す座標である方位と高度という球座標が使われているというのが本当のところなのかもしれない。