担当授業のこととか,なんかそういった話題。

主に自分の身の回りのことと担当講義に関する話題。時々,寒いギャグ。

<読書感想文08020>歯車

2008-09-13 23:58:19 | 
芥川竜之介,歯車 他二篇、岩波文庫 緑70-6,2005(第49刷).


本書には,芥川竜之介の最晩年の作品「玄鶴山房」,「歯車」,「或阿呆の一生」が収められている。

・「玄鶴山房」

淡々とした筆致であるが,登場人物の心理描写にはどことなく神経に応えるようなところがある。
何人かの登場人物を通して物語が描かれており,そのような立体的かつ複眼的な構成が面白い。
そのため,登場人物の心理が事細かに書かれているわけではないので,一文一文を丁寧に分析しないと,
登場人物の心情などを読み違えてしまいそうに思われる。
そのような浅い理解でも僕は気にしないことにしようと思うが,登場人物それぞれの人物像と,
互いに相手をどう思っているか,といった人々の関係図を明らかにしようと試みれば
読みが深まるのではないかと期待される。
そういえば,そういった作業がつまるところ国語の授業で指導されることなんだっけかな。


・歯車

自分が発狂するという恐怖に神経をすり減らしていた晩年の芥川が自身の心象風景を描いた作品。
全編に独特の緊迫した不気味さが漂い,目にした何気ない物事のひとつひとつに怪しい符牒や予感を感じ,意味や理由を見出そうとしてしまう張り詰めた神経の働きが赤裸々に綴られている。
特にラストはなんだかたまらない心持になる。
以前に読んだときにも思ったことだが,この作品をぜひ映像化してみたいと思う。


・「或る阿呆の一生」

これは遺稿とのことで,一種の自叙伝らしく,登場人物は実在したようだ。
誰か僕の下世話な好奇心を満足せしめるためにそれぞれが誰なのか注釈をつけてくれるものはないか?


三篇とも,言い知れない迫力に満ち満ちている。

これらの作品から,晩年の芥川は,精神が研ぎ澄まされる一方,鈍くなっていくことも感じ取っていたようにうかがえる。
つまり,身の回りの些細な出来事に不吉な前兆を読み取るという異常なまでの敏感さを発揮しているにもかかわらず,催眠薬などの影響のせいか,頭がはっきりしないことを苦しんでいたようなのである。

もっと若い時分に読んだときには,「歯車」や「或る阿呆の一生」,「河童」などの作品が発する暗黒のオーラにわずかながらも同調する部分が僕の心の中にもあったような気もしているが,今この歳になってから読んでみてもほとんど共感できた部分はなかった。いや,生活という営為に対する諦念のようなものは共感できたかもしれない。

いずれにせよ,これらの作品を改めて読んで強く残ったのは,自分が鈍くなってしまったという,どことなく残念で寂しい思いである。

歳を経るごとに鋭くなるのではなく鈍くなっていく。
最近,そんな当たり前のことがなんだかいちいちこたえるのである。
コメント
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