今日の新聞にバブル紳士の、その後、が載っていた。平家物語の昔から栄華の花が咲き続ける筈が無いのだが、
町がきれいになった。バブルは一つの幻想であり、そこから勢いが生まれた。そのパワーのお陰で古いと感じていた家や建物を立て替えたり改装したり、金をかけた。
これは時の勢いに乗っで出来たことだ。当時は誰もが儲かっている気になっていた。だから財布の紐は緩く築後50年は経とうとする住まいに金をかけたことは自然なことであった。
こんな田舎でと思われるような地方のちいさな駅前でも、瀟洒なアパートが建っている。バブル後にたてられた建物はあか抜けしていて、きれいなものが多い。そんな設計になってしまっているから、戦後の遺物としての昔のような文化住宅は建てようがない。
山の麓の奥までブルドウザーが入り込み木々や竹をなぎ倒し住宅地にしてしまった。バブル経済を立て直すための実需を生み出すために、政府が住宅ローンの金利を下げて住宅建設に力を入れた結果、開発はさらに進んだ。おそらくその辺りに住んでいた狐狸達は住み難くなったことだろう。
負債の整理がそのまま10年や20年ですむとは思えない。国民全体が新たなローンを抱え込んだようなものだ。この返済が生活に重くのしかかって来る。その重圧が取り除かれたときに日本の経済はもとの元気を取り戻す。
元々こういう実態=実際の価格、とかけ離れた訳の分からないものに投機するというのは健全な考えかたではない。ばくちは人の生活を破壊し、だめにする。
バブルによって誤った経営をして倒産をした会社が多いし、人生を狂わせた個人も多い。だが、人は己の過ちを認めたがらない。認めると自分が惨めに成るだけだから。
欲を深くしないで従来の同じ生活を続けた者にはバブルの恩恵に浴さなかった代わりに負の遺産を背負い込む事もなかった。しかし娑婆に生きている人間が金に目もくれないで
座してバブルのあの熱気見るだけというのは、世捨て人的感覚の持ち主出なければ出来ないことで,常人には出来ない相談である。