日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

マニラ空港にて

2007年11月02日 | Weblog
(1) 
トランジットのために、はじめてフイリッピンの土地に踏んだ。空港内には土産品の免税店があるが、何もほしいものはない。
 トイレには行っても行かなくても良いという感じだったが、念のためと思って行ったら満員だったから、ロビー内を1周してから再びに行った。今度はすいていて、職員とおぼしい青年が2人いた。

 用を足して手洗いに行くと、青年が手招きして、蛇口をひねってくれた。なかなか親切な所もあるものだと思い、ありがとうと言って出ようとしたら、呼び止められて、マネーと言われた。

1瞬何の事やら分からず、キョトンとしていたらマネーと催促された。やっと意味が飲み込めた。私は蛇口をひねるだけで料金を取るなんて、せこ過ぎると思いながらも財布を取り出した。しかも2人がかりで、と言うよりは1人が蛇口をひねり、もう1人が金を受け取るシステムになっているような感じがした。

苦々しく思いながらも私は財布から金を取り出した。運悪くバーツはない。日本円でしかも1000円札しかない。それを渋々彼に渡した。
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(2)
どう考えてもペテンである。トイレを出てからむかむかした。こんな輩が空港職員か
。こういうインチキをしていると誰も来なくなるぞ。私は心の中で叫んだがそれは犬の遠吠えにも似て、怒り狂う感情の吐露には程遠い。

この場に居るとむかむかするので足早に立ち去ることにした。金持ちケンカせずか。腹立ちが収まりかけると苦笑いとなった
         
(3)
あんな汚らしいベッドでわずか200バーツで身を売っているという娘に倍の400バーツあげても、ちっとも惜しくは思わない、善意と見せかけて、金を要求する雲助まがいの奴らに、半ば強制的に金を巻き上げられるのは、どうしても納得できない。いや何よりも腹立たしい。私は真剣に怒った。

この空港の雲助よ。お前たちがしていることの意味をよく考えてみよ。お前たちの貧しい行いが1層我が身を貧しくすることになるということに気がついていないのか。
心ない一握りの人間がする行為でもその国全体のイメージをどれほど悪くしているか。早い話が私はフイリッピンにこようとは思わない。まずくることはないだろう。
私は一人ごちた。腹の虫が収まらない私は、ある日、友達にこの体験を話してみた。
         

(4)
 「こんなことはよくある話じゃないか。お前の気がたるんで居た証拠だよ。貧しいと、こんなことでもして金を巻き上げるものなんだよ。つまり日本人は日本の感覚で、ものを計り考えるが、広い世界にはいろいろの価値観があってね。

例えば金持ちから金をもらうことは当然だと考えて居る奴はいくらもいるさ。たとえその手段が良かろうと悪かろうと、そんなことは問題じゃなくて。
良い奴も居るが悪い奴も居る。それが人間社会というもので、どこだって同じだよ。わずか1000円で良い経験をしたじゃないか。これは授業料だよ。要はお前の注意力が足りなかっただけのことさ。

例えわずかな労力でも私はあんたの為に水道の蛇口をひねって上げたではないか。これは立派なサービスだ。その代価として金を要求しても、なんらおかしいことはない。いやならそう言えばいいじゃないか。俺たちは当然の事をして金を要求して受け取ったまでのことだ。多分彼らはそう言うだろう。身勝手な理屈ではあるが、彼らの言い分はこんなところだろう。」 ・
         
(5)
友人の見方はそれなりに理解できない訳はないが、釈然としない。頭では解っていても、感情がついて行かないのだ。

それにしてもだ。日本だけが通用するルールではなくて人類に共通して通用する普遍の法則がある筈である。私は特別日本人を意識して、日本人のルールにしがみついている訳ではないのだが。私に言わせれば、日本人は金持ちだから吹っかけたっていいとか、金持ちから巻き上げてやれというのは、納得がいかないてんである。
金銭の授受というのは、それ相応の理由がある時に、なされるものであるからだ。そしてそれにはそれにふさわしい物やサービスがあったときに、金銭は支払われるというのが1番自然ではないか。どんな理屈があろうとも、私は今回の件には納得しない。

何故なら彼らのしたことには、私を納得させるだけの根拠が無いからだ。要するに私はフィリピンには行かない、行きたくない。それだけだ。

いろいろ思うところはことはあるが、私はやはりフイリッピンに行こうとは思わない。
思い出すと今でもむしゃくしゃするから。