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モスラとは何であったのか/『モスラの精神史 (講談社現代新書)』

2010-04-19 02:13:19 | 読書
モスラの精神史 (講談社現代新書)
小野 俊太郎
講談社

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 子どもの頃、怪獣ブームは映画から始まった。といっても、映画館には、めったに行けなかった。子ども同士で繁華街に行くことは禁止されていた。それでも、びくびくしながら、6年生の時に級友たちをこっそり映画館に、怪獣映画を見に行った。その時は、ゴジラとラドン、キングギドラが登場する作品で、モスラは出ていなかった。併映の「エレキの若大将」が大ヒットしたのを記憶している。

 当時は、テレビで野球中継が中止になると、代わりの番組として、東宝の怪獣映画が良く放送された。そのため、いつも、テレビ欄で中止の時の演目を見るたびに、その日に大雨が降ることを祈っていた。

 さて、モスラは、映画以前に少年雑誌の付録についていた漫画の小冊子の「モスラ」」を読んだのが先であった。漫画を読みながら、イメージを膨らませながら映画館に行きたいと思っていた。

 モスラは、子どもから見ても、ゴジラなどの怪獣とは性格の違う存在であった。今回読んでみた「モスラの精神史」は、知的好奇心を刺激する著作であった。

 まず、中村 真一郎,福永 武彦,堀田 善衛の3人の文学者が、分担して原作になる小説「発光妖精とモスラ」を書いていたというのは、初めて聞く驚きであった。この原作を読みたくても、レアなものと化しているようだ。

発光妖精とモスラ
中村 真一郎,福永 武彦,堀田 善衛
筑摩書房

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 「モスラ」に関して、様々な視点からの著者の解析である「モスラの精神史」は、読んでいてわくわくとするものであった。単なる怪獣映画以上の意味を持った作品であることの解明は、大いに、知的好奇心を刺激し、知的冒険の世界を旅することが出来た。蛾の怪獣である必然性を、民俗学的観点から、日本の養蚕業と結びつける最初の展開から、この1冊には、たくさんの意味が込められていた。

 モスラの誕生したインファント島の場所の特定の試みも面白く、南洋の海洋文化と、古代日本との関連性なども、作品の背景となっていたという。ザ・ピーナツの歌う「モスラの歌」が、インドネシア語によるものだということも初めて知った。

 また、映画は小説とは違って、日米合作による娯楽映画の要素が強いものであったが、それでも、背景には、原水爆禁止運動や、日米安保条約との関連性を見ることができる。モスラが東京タワーを目指したコースも、小河内ダムから、横田基地を破壊して進むという面が、アメリカを意識したものとの指摘等は、さもありなんと感じられるものであった。

 原作では、「ロシア」+「アメリカ」から「ロシリカ」、映画では、「ロリシカ」はアメリカを指す国であるが、モスラが最後は、アメリカの都市を破壊する事になるのは、日本への空襲に対する思いが込められる結果となった。当初は、日本国内での話の展開が、アメリカ側の意向で、9.11以前の破壊を描くことになったのは、皮肉な結果であった。幻の風船爆弾のように、静かに空中を飛びながら、一度も敵国から攻撃を受けた事のないアメリカへと進むモスラの姿は、どんな思いが込められていたのだろうか。

Mosura trailer


モスラの歌(Mothra's Song)・・・ザ・ピーナッツ


 なお、「モスラ」の併映作品は、坂本九主演の「アワモリ君売り出す」であったが、この封切りの7月の後、8月にスキヤキこと上を向いて歩こうが、海を越えてアメリカでヒットしたことも紹介されている。モスラと共に、アメリカに飛び立ったのである。

mosura 九ちゃんモスラを起動 kyu sakamoto 坂本九


坂本 九 上を向いて歩こう






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