トッペイのみんなちがってみんないい

透析しながら考えた事、感じた事。内部障害者として、色々な障害者,マイノリティの人とお互いに情報発信したい。

障害と文学 謡曲「蝉丸」

2008-04-05 00:45:50 | 文学
 障害者の視点からの、歴史研究の分野で通史の編纂が為されれば良いと思っている。いずれ、障害者の研究者の登場で「障害者歴史大全」なる書物が著されるかもしれない。

 日本では、仏教では、因果応報の思想から障害者は、前世の業因の結果と理解されていた時期がある。神道では、けがれという概念が影響しているのかもしれない。日本神話では、国創りの神、イザナギ、イザナミ2神の最初の子は、「蛭子(ひるこ)」と呼ばれ、3歳になっても脚が立たず、海に流し捨てられたという。

 障害者が、その時代にどう捉えられていたか、文学を通して理解できるかもしれない。

 大学生の時、おいらは演劇が好きで、能・狂言を観るために能楽堂に良く通った。その中で、異様に感じられた作品があった。それが、謡曲「蝉丸」であった。

 内容は、次の通りである。

 醍醐天皇の第四皇子蝉丸の宮は、幼少の時から両眼とも見えなかった。帝は家臣の清貫に命じて、皇子を逢坂山に捨てさせる。皇子はこれも前世の業因を救わんとする父帝の慈悲であると諦める。清貫は、皇子の頭を剃り、衣装も粗末な蓑、笠、杖の姿に変えて都に帰っていく。一人残された蝉丸は、藁屋に住み、得意の琵琶をひいては泣き暮らすのであった。
 醍醐天皇の第三皇女の逆髪の宮も、前世の業因で精神を病んでいて、髪の毛が名前の様に、逆さまに生え上がっていた。狂い狂いの状態で都を出て、やがて逢坂山にたどり着く。そこで、藁屋の中から妙なる琵琶の音が聞こえてくるので、立ち寄ってみると、そこに弟の姿を発見する。二人は、お互いの身の不幸を嘆くが、やがて逆髪は蝉丸の許を立ち去った。

 高貴な生まれにもかかわらず、1人は盲人、もう1人は精神病者で社会から疎外される。周りの人間も本人たちも、仏教の因果応報の考えから、それは前世の因縁だど諦めている。当時の観点からも、現代の観点からも意味は違うが、悲劇であることには間違いない。

 おいらは、文学作品を通して障害者の歴史の一点が見えてくるのではないかと思っている。


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3 コメント

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Unknown (くるみ)
2008-04-05 08:37:59
私の弟も生まれつき足が悪いんです。

兄は仕事で心の病になっちゃいました。

障害を持って生まれてきた事が前世の因縁だと考えられてる時代があったなんて…知りませんでした。。。

悲しいですね。
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僕の父も障害者です。 (ムツ兄)
2008-04-06 00:14:39
こんばんは。僕の父は、生まれた時から右耳が全然聞こえず、左の耳に補聴器をつけてかろうじて生きてきました。そして、今、認知症でまったく会話が成立しないような状態です。
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初コメント (ら族)
2008-04-06 00:22:33
くるみさん、現代でもその考えは変わりませんよ。
私もわずか4歳ぐらいで障害者を見たときに
「あのひとは悪いことをしたからあーなんたんだね
」と
祖母に話した記憶があります。
きっと、「悪いことをすると体が不自由になる」と
しつけの一環で教え込まれたのでしょう。

だから、戦後直後までは、「障害者は一家の恥」
として家に閉じ込めていました。
今は、核家族化で家でみることが不可能になったことや
障害者の人権等で外に出てこれるようになりましたが。

今も、障害者=前世で悪いことした人、以前悪いことをした人
という考えは残っていると思います。
当の本人にならなければこの考え方をもったまま、
一生を終え、なおかつ次の世代に伝えていくんでしょうね。
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