手話も生きている言葉ですが、新しい言葉には必ずしも対応する手話が存在するとは限りません。新しい言葉は、指文字や、字を書いて説明することがありますが、それでは通訳をしている時間には足りません。また、専門用語などは、手話表現でその内容を説明する必要がありますが、これも説明に時間をかけることのできない場合などには大変不便なことです。5月からは、いよいよ裁判員制度が始まりますが、障害者も裁判員に選ばれた場合、条件が整えば裁判員となって裁判に参加することになります。聴覚障害者の場合は、その人に合った方法で情報保障がされることになります。たとえば、手話を使うろう者の場合には、手話通訳が付けられることになります。しかし、裁判においては、専門用語が使われることが多く、その用語に対応した手話がない場合が少なくありません。また、「禁固」と「懲役」という表現をした場合でも、その内容の違いは聴者でも必ずしも完全に理解している人は少ないでしょう。もし、その二つの違いを説明するとしたら、刑務所での労役の有無ということをさらに手話で表現する必要が出てきます。
※なお、このことに関連して、今後は手話通訳士にも専門分野に分化する必要が出てくるでしょう。ちょうど、医学において、医師に一般医と専門医がいるのと同様に、手話通訳士にも一般的な通訳のほかに、医療分野に精通している者、化学関係に深い知識を持っている者、法律分野に知識を持っている者のように、専門分野化する必要が出てくるでしょう。今回の裁判員制度や刑事・民事裁判の当事者に聴覚障害者がなった場合には、法律分野の専門通訳士が求められることが理想的と言えます。
さて、法律用語を新しい手話に置き換える試みが、全国手話研修センター(京都市)の日本手話研究所で開発されています。3月2日付朝日新聞夕刊の「裁判員時代」に、そのことに関する記事が載っています。同研究所の標準手話確定普及研究部では、厚生労働省の委託を受けて医療、政治分野などで日々生まれる新しい日本語に対応する手話の開発を担っています。
今回、開発対象となったものは、「法廷用語の日常語化」を目指す日本弁護士会のプロジェクトチームが取り上げた「共謀共同正犯」「未必の故意」などの62語です。これらの言葉は、そのままでは、法律学を学んだ人以外はよく分からない概念でしょう。「証拠」「弁護人」などの言葉は、これまでも使われていたこともあって手話表現がすんなり決まりました。しかし、法律上の概念を表現する言葉を手話に直すのは困難を伴ったそうです。
例えば、責任能力を表す「心神喪失」と「心神耗弱」の場合。前者は、「心神」は、「心」+「神」で、「喪失」な「失う、なくなる」という手話表現を組み合わせることで表現することが出来ました。しかし、「心神耗弱」においては、「耗弱」は「弱い」ではなく、「落ち込む」という表現を使うことにより、判断能力が十分でない状態をよく表わせると判断されました。
このように、法律用語を手話に直す作業はかなり困難の伴うものでした。直訳ではなく、丁寧な説明でもなく、適切な表現に直せたのは、委員会の期間の延長にもかかわらず50語だけでした。「中止未遂」「反抗を抑制する」など残りの12語は、次回に持ち越されることになったそうです。
ここで決まった手話表現も、今後、聴覚障害者が実際に使ううちに、より適切な表現に変化する可能性もあります。
なお、同研究所のホームページでは、今回の新しい手話表現を、1月から少しずつ紹介しています。動画を通じて、手話表現を知ることができます。
http://www.newsigns.jp/