トッペイのみんなちがってみんないい

透析しながら考えた事、感じた事。内部障害者として、色々な障害者,マイノリティの人とお互いに情報発信したい。

blogramランキング参加中

blogram投票ボタン

『チョコラ!』「透析患者初の映画監督」

2009-03-07 19:00:28 | 映画
チョコラ! - goo 映画チョコラ! - goo 映画

 全国腎臓病協議会の機関誌「ぜんじんきょう」№232の記事の中に、ドキュメンタリー映画監督の小林茂氏からの映画「チョコラ!」公開の告知があった。

 小林監督は、2002年5月に腎不全から脳梗塞で倒れ、治療をしながら、重症心身障害者の心象を描いた「わたしの季節」を制作、劇場公開された。この作品は、2004年度の毎日映画コンクール・文化庁映画大賞・山路ふみ子映画福祉賞などの各賞を受けている。
 
 2006年の春には腎機能が停止間近の状態で、ケニアでの「チョコラ!」制作の長期取材に出発した。命がけの取材であり、透析導入の前に是非とも成し遂げようとする監督の強い思いからであった。透析に入れば、海外での取材は無理だろうとの判断があった。万が一の場合を想定して、動脈と静脈をバイパスするシャントを作る手術を先にして現地入りした。

 無理を押しての現地での取材が終了し、帰国後容体が悪化して、すぐに透析導入に至った。2年前のことであった。

 映画の編集は、2007年~2008年に東京で透析を受けながらなされ、ドキュメンタリー映画「チョコラ!」(スワヒリ語で「拾う」を意味する)が完成した。

 ケニアのごみクズを拾って生活するストリートチルドレンの生活を描いた作品である。内容説明等はgoo映画からリンク出来る。また、gooリンクから映画の公式サイトへもリンクすることができる。

 全国順次公開に先駆けて、5月に東京ユーロスペースで公開されることになった。
是非、機会のある方は、「チョコラ!」をご覧ください。
 
 「透析患者初の映画監督」の作品は、別の意味で透析患者を励ますことになる。

わたしの季節(2004) - goo 映画わたしの季節(2004) - goo 映画

「日本でいちばん大切にしたい会社」障害者雇用

2009-03-07 01:48:24 | 障害
 景気の悪化は、障害者の雇用解雇の急激な増加を招いている。また、障害者雇用においても、非正規雇用が急増している。そうしたことから、障害者雇用促進法の推進にも、壁が立ちはだかろうとしている。法律では、障害者を1.8%、56人に1人は雇うように求められている。しかし、実際には、ペナルティの金額を払うことで済ませ、積極的に推進している企業は多くはない。
 ユニクロは、障害者の雇用率が8%もあるという。しかし、全従業員74人中55人が障害者、雇用率が74%にも上る会社が注目されている。以前に、新聞で取り上げられたこともあったように記憶している。先日は、テレビで紹介されていたが、番組途中で見たこともあり、詳しい内容は分からなかった。
 時々、聴いているFM局のJWAVEで、この会社のことが取り上げられていた。6日20時からの番組の中であった。いい機会だったので、作業の手を休めて聴いてみた。※CUTTING EDGE!

 この会社は、学校で使用するチョークを作っている「日本理化学工業株式会社」である。チョーク製造のシェアは全国の30%の企業である。本社兼工場は神奈川県川崎市にあり、北海道にも工場を持っている。大山泰弘会長に話を聞くという形で番組は進められた。

 大山氏が専務になってから、昭和30年に教師が知的障害者の就職を頼みに会社を訪れた。教師は、日頃使っているチョークの箱に書かれた会社名を見て、チョークの製造なら知的障害者でもできるのではないかと、飛び込みで会社を訪れた。当時は、知的障害者という言葉は使われずに、別の言葉が使われていた。その言葉から受ける印象から、大山氏は就職の申し出を断った。しかし、障害者の就職先が容易に見つかる時代ではなかったので、2回目も教師がやってきた。よその職場で断られたという教師の言に、よそで断られるくらいなら自社ではとても無理だと再度断った。
 3回目に訪れた時は、教師はほとんどあきらめていたようだった。しかし、当時は学校に高等部がなかったので、大山氏に、もし就職がだめなら、この子は別の障害者施設で生活を送らなければならず、入所したら、おそらく一生労働することもなく施設で死ぬまで暮さなければならないだろうと話した。大山氏は、心を動かされ、実習経験ということで2人を預かることになった。彼らは、労働効率は良くなかったが、その一所懸命働く姿は、他の従業員の気持ちに訴えるものがあり、従業員たちから、彼らの面倒を見るから働かせてやってほしいとの要望が出るようになった。特に中年のおばさん達は熱心に訴えた。その後、何人か新しい子を受け入れるようになっていた。しかし、特に、知的障害者を雇用しようという積極的な気持ちは大山氏にはなかった。
 その頃、大山氏の家で法事があり、禅寺の住職と話をする機会があった。何を話題にしようかと思った時に、知的障害者を雇っていることを住職に話した。その時、住職は、人は金があれば幸せかと大山氏に問うた。否と答えると、住職は、人が幸福だと感じる場合を4つ上げた。人に愛されること。人に褒められること。人の役に立つこと。人に必要とされること。この住職の言葉が大山氏の転機となった。
 知的障害者とは、IQ70以下をいう。その内、50以下は重度とされる。大山氏の所では重度の知的障害者も働いている。字の読み書き、計算のできない障害者のために、色別により作業できるようにするなどの工夫がされている。大山氏の工場で働くための条件として①トイレなど、自分の身辺の動作ができること②できる、できないなどの返事ができること③一生懸命働けること④周りの人に迷惑をかけないことが挙げられている。作業効率は落ちるけれども、一生懸命に働いている。

 チョークの製造は、長い間、景気の動向に左右されにくい産業であったのも、積極的な雇用を支えていた背景の一つであった。しかし、最近は、学校現場での、チョークの需要も減る傾向にある。大山氏は、経営者としても、粉の出ないチョークの開発を番組で宣伝していた。ガラスにも描け、容易に消すことができるチョークだそうだ。幼児の情操教育にはもってこいのアイテムだ。

 大山氏の会社は、「日本でいちばん大切にしたい会社」と呼ばれている。こうした会社の実践が、本当の意味での障害者の自立につながっていく。