かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

秋山の復習

2021-09-16 12:25:15 | 日記

 岳人10月号の秋山特集に「カエデとモミジの紅葉図録」のコーナーがあった。この記事によると、カエデと呼んでいるのは、DNA解析により現在はムクロジ科カエデ属の落葉樹の総称で、本州だけで24種があるそうだ。

コーナーに写真が載っていたのは、

① 梶楓(カジカエデ)

② 羽団扇楓(ハウチワカエデ)

③ 峰楓(ミネカエデ)

④ 板屋楓(イタヤカエデ)

⑤ 山紅葉(ヤマモミジ)

⑥ 瓜膚楓(ウリハカエデ)

⑦ 目薬の木(メグスリノキ)

⑧ 千鳥の木(チドリノキ)

の8種類だが、オイラはカジカエデをのぞいて、これまで目にはしているが、1年も経つとおおむね忘れているので、来週からの秋山に向けて名前と形状の復習を急いでいる。

上記に加えて、②の仲間のコハウチワカエデ、⑤の仲間のイロハモミジ、オオモミジ、それと街路樹にもなっているトウカエデを押さえておけば、東北の山なら、ほとんどのカエデ属の仲間を識別できるにちがいない。

山に出かけたら、落ちている真っ赤な葉っぱを拾って、新鮮なうちに下記の写真のようにならべて記録しよう。なにしろ「押し葉」にしちゃったら形は残るが、鮮やかな赤や黄の色は失せてしまうのだから。

 

 

◎ 2019年10月の焼石山麓で拾い集めたカエデの仲間だが、一目で名前が特定できるようになれればと思う。

    

左上は、イタヤカエデでもちょっと形が違うな。右がオニイタヤか。右上の二枚は、ハウチワカエデとコハウチワカエデか。真ん中あたりは、みんなミネカエデか。左の黄色いのはウリハカエデとすぐ分かる。あとは、ヤマモミジ、オオモミジ、イロハモミジの違いなんだよな。復習しないと。

 


深田日本百名山登頂の思い出     11 八甲田山(1568米)

八甲田山は、1984年から4年間滞在した青森県八戸の山岳会のホームグランドにしていた山域で、厳冬期を除いて月1日ペース、残雪期の春山は、週末にはテントを張つて下手なりにスキー三昧で過ごした。

大雪山と同じように八甲田という山名の山はないが、最高峰大岳(1568)、小岳(1478)、高田大岳(1559)などが鎮座する北八甲田エリア、櫛ヶ峰(1517)、駒ヶ峯(1416)、乗鞍岳(1450)などが鎮座する南八甲田エリアを4年間の間に、さまざまな登山口からひとりだったり、グループだったり覚えていないくらい歩いて、滑った。どの登山口にも魅力的な温泉、とくに酸ヶ湯温泉、猿倉温泉、蔦温泉といった名湯が点在していて、山を下りたら汗を流して、2時間ばかりのドライブで家路についた。

あんなに通った八甲田だが、青森を離れてから30年以上一度も歩いていない。酸ヶ湯温泉に魅力的なキャンプ場があるみたいだ。今年は行けなかったが、花の時期にゆっくり過ごして、機会があれば、老いた山学会仲間との旧交を深めたいと考えている。

 

     

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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GPSアプリを使ってみる

2021-09-15 11:40:25 | 日記

11月に始まるオンラインでのNAHAマラソンは、GPSアプリによる走行記録を提出しなければならないということで、生まれて初めてGPSアプリ(もちろん無料のものを選択)を複数ダウンロードして使い勝手を調べている。

今朝使ったのは、下記のアシックス社のアプリで、なかなかいい。

スロージョグと青葉山への登りの歩きを取り合わせてキロ9分ペースであり、まずまずのスピードか。もちろん、フルマラソン完走ペースのキロ8分には及ばないが、当面は、キロ9分ペースを10k、20kと増やしていきたい。

GPSは、ほぼ正確にキロ数が出るので、明日は、もうすこしコースを延長し、My10kコースの設定をしてみよう。

なかなか便利な世の中になったが、腕時計と感ピューターで走っていた頃とどっちが幸せなんだろう。GPS記録というのも何か軍事衛星から監視されている気がしてならない。ある日、無人ドローンがどこからともなくやってきて、追いかけられてズドーン!(そんな需要人物ではないが)

まあ、オンラインNAHAマラソンまでの間、功罪をたしかめよう。

 

 

 

 

 

     

 


深田日本百名山登頂の思い出  10 岩木山(1625米)

1984年から4年間、青森県八戸市に在住し、市内の山岳会に所属してほぼ毎週のように県内と北東北の山々を歩いたが、例のとおり、日記も記録も存在しないし、山岳会の会報も転勤のたびにどこかに消えてしまって、当時の活動記録はただ思い出として脳内に漂っているだけ。

岩木山には、青森の4年間に一度登っただけ。個人で登ったのか誰かと一緒に登ったのか記憶がないし、どちらのコースを選択したのかもあいまいだが、個人だったら岩木山神社からの百沢コースは外せないので、こちらから登った(ことにしておこう)。ただ、意外に狭い山頂に、スカイラインやリフトを利用したミーハー登山者がたくさん登ってきたので、そうそうに退散した記憶というのは消えていない。

1961年に9合目まで伸びる津軽・岩木スカイラインが開通し、リフトもつくられ、いまや40分足らずで山頂に達することができる山となっていて、大衆登山をきらった深田さんなら苦言をまくしたてたのだろうが、「日本百名山」には、その記載がない。「岩木山」の項を書いたころ(1959年「山と高原」)にはまだスカイラインが開通していなかったからのだろう。

深田イズムの後輩(と勝手に思っている身)としては、秀麗な岩木山は、もう眺めるだけの山で終わるかもしれない。青森に行ったら、足は八甲田や白神方面に向かうのだろう。

 

         

 

 

 

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歩く宝石のこども

2021-09-14 08:27:41 | 日記

青葉城址の遊歩道に虫がのこのこ歩いていた。テントウムシの仲間かと思ったが翅がなさそうなので、カメムシの仲間かと思ってあれこれ検索しても分からなかった。

図鑑.jpという掲示板に「名前を教えてください」と問い合わせたら、二三日あとに親切な方から「アカスジキンカメムシ」の幼虫ではないかとの書き込みがあった。

あらためて昆虫エクスプローラーで「アカスジキンカメムシ」を検索したら、あった!幼虫の五令(5歳か)と姿が重なった。

成虫ばっかり検索していたから、引っかからなかったんだと反省。それにしても、大人の色彩とまったく異なる白黒のデザインには驚いた。成虫は「歩く宝石」と称されているほど緑と赤のコントラストが美しいのに、子供は地味だ。神さまは、何をたくらんだのだろう。

でも、よく見るとなにやら南洋に伝わる仮面のようなオメメとハナとクチがこちらを見ているような・・・野鳥たちもなんか不気味に思って近づかないのかな?

 

 

 

      

 

 

アカスジキンカメムシ(昆虫エクスプローラー)

 

 


深田日本百名山登頂の思い出   9 後方羊蹄山(しりべしやま・1898米)

 

深田久弥さんが選定した北海道の百名山は9座あるが、9番目の後方羊蹄山だけは北海道勤務時代には登っていない。仙台で暮らしていた1995年から2000年の間に、職場の後輩と登った。記憶と記録が乏しいが、深田さんと同じように比羅夫側の俱知安コースを登ったのだろう。なぜ、記憶が乏しいかといえば、深田さんと同じようにただ登り一方で単調だったこと、山頂付近がガスっていて何も見えなかったことなのかもしれない。山頂火口を1周した記憶もあいまいなので情けない。

眺めて美しいコニーデの山は、富士山も含めて若い時はあまり魅力を感じていなかったかもしれない。が、このような単調な登り一方の山は、忙しい日帰りではなく、山頂避難小屋に泊まって、じっくりと山の霊気を感じ、朝晩の光の織りなす光景を目の当たりにすれば、まったくちがった感動を味わえたのかもしれない。

深田さんは、後方羊蹄(しりへ・し)は、日本書紀に記されているれっきとした日本語(万葉語)であって、「羊蹄」は、雑草の「ぎしぎし」のことで、古代は「し」と言っていたとのこと。このように歴史のある「しりべしやま」という名称を安易に「羊蹄山(ようていざん)」と呼ばないように忠告していたが、現在の国土地理院の地図は、難解だという理由で羊蹄山(ようていざん)に改めているとのこと。昭文社の山と高原地図も右に倣えでありさみしい。

ちなみに、なぜ日本書紀にも記されているというこの山を後方羊蹄(しりべし)と呼んだのかは、深田さんの文章をよく読むと、アイヌ語のシリ・ベツ(山・川の意)を聞いた万葉時代の大和の役人が後方(しりへ)・羊蹄(し)という万葉語を当て字にしたものと理解できる。山の形がギシギシでもヒツジの蹄に似ているからではない。

北海道の百名山、利尻(礼文)、大雪・トムラウシ周辺は改めて逍遥することとしたいが、二百名山の天塩岳、暑寒別岳、大沼駒ケ岳、夕張岳、石狩岳は、「登り残しの山リスト」から今だ消してはいない。カムエクは、ちょっと・・・・。

 

 

        

 

  

 

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エフェメラル(かげろう)さんボロボロの死

2021-09-13 14:39:49 | 日記

朝、スロージョグで広瀬川に架かる橋を渡っていると、外灯のたもとの路上に数知れないほどのカゲロウの死骸が散らばっていた。昨夜、大量発生し、街灯の周りを乱舞したものたちだろう。儚い命の代表選手のようなカゲロウだが、1年近くを水生昆虫として幼虫の姿で生活し、数度の脱皮を繰り返して、9月のとある1日、仲間同士がどのような信号を送っているのだろう、一斉に羽化して成虫となって、灯りの周りなどを数千数万の乱舞し、パートナーを見つけ、交尾し、♀は産卵のため水面に戻り、産卵後そのまま溺死するのだという。路上で死んでいたカゲロウは♂のほうだろうか。よおく見るともう紙飛行機のような翅がボロボロ、他の♂とのメスをめぐる戦いのせいなのだろうか。

カゲロウの成虫は、チョウや蚊のように栄養補給のための口という機能を持たないのだという。一夜だけの体力を持つだけで十分と神さまが判断したのだろう。

それにしても、翅も体躯も一夜だけというには、完璧に美しい姿形をしている。オオシロカゲロウという仲間らしい。翅を大きく広げた死の姿は、自らの子孫のために生きた堂々とした証でもあるようだ。一方彼らの存在は、川のさかなや野鳥など他の生き物に圧倒的な栄養源を与えてくれている。われわれは、かれらの生き方に敬意を持たないといけないのだろう。

 

    

 

どこかから金木犀(きんもくせい)の香りが漂いだした。

瑞鳳殿の森から、ツクツクの声がまだ少し聴こえてきた。

 

 

 


深田日本百名山登頂の思い出      8 幌尻岳(ぽろしりだけ・2052米)

日本百名山の中で、一番アプローチが長く、山頂に立つことが困難なのは幌尻岳かもしれない。とりわけ、車を運転しない単独行者には遠い存在なのかもしれない。一般ルートの額平川(ぬかびら)コースだって、まずバスの通わない林道を延々と車を進め、登山口のゲート前に車を止める。現在は、そのゲートまでも交通規制されていて、平取町のとよぬか山荘というところから21k、片道1時間のシャトルバスに乗らないと行きつけない。登山口ゲートで二泊三日(予備日分をプラスα)の食料と寝具をザックを背負って麓の幌尻山荘まで4時間30分の沢登り。もちろん、遡れるのは増水していないことが条件。幌尻山荘から幌尻岳山頂までは登り4時間、下り3時間、幌尻岳から戸蔦別岳を周遊して小屋に戻りたいところだが、6時間もかかり、今でいうトレランスタイルでないと厳しいだろう。

ほかに、深田さんが北大山岳部らと登ったルートに近接して現在の新冠コースがあるが、麓の新冠ポロシリ山荘まで林道10時間50分とあり、足をぬらさないで行けるが、気が遠くなる。そして山荘から山頂まで4時間だ。

幌尻岳には、83年に旭川の山岳会メンバー数人と1度、北海道を離れて数年後に八戸の山岳会の先輩たちと3名で1度、額平川コースから登った。2度目の山行の時、幌尻山荘の同宿者に軽のワゴンに車中泊をしながら全国の百名山に登っているという四国から来た単独行のオバ様がいて、みんなで驚いた記憶がある。

幌尻岳は、稜線にでてやっと山の姿に出会えるような、遠くて大きい存在だったが、日高は、他にも魅力的な山がいっぱいながら、あとはさっきの八戸のメンバーらとペテガリ岳に一度登っただけ。暗闇をスタートし明けてもガスで何も見えなかった。

悲願は、二百名山のカムイエクウチカウシだったが、八戸のメンバーや利尻マラソンで知り合った北大の先生に連れて行ってもらう約束をしていたが、近年のクマ多発情報などに接し実現できていない。

もう、日高全体が遠い存在となっている。NHKBSのグレートトラバースの録画をくり返し眺めて満足するしかないか。(涙)

 

         

 

 

 

 

 

 

 

 

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だんだんサマになってきた復活ジョギング

2021-09-11 13:25:23 | 日記

スロージョギングをはじめたら、思考が前向きになり、「緊急事態宣言解除となる来週からいよいよ秋の野山に出かけよう、ノリサケ弁当を復活させようか、ドイターザック登山デビュー用にテント場に予約の電話を入れようか、トレランスタイルで蔵王や船形エリアの林道をスロージョグしようか、トレランシューズまだ1足健在だよね、きのう21年前にフルマラソンデビューした勝田マラソンの要綱みたけど、来年1月末には6時間で完走できるまで体が復元しているかな、エントリーして試してみようかな、体重減らないから低糖質夕食に切り替えるか・・・」など朝の1時間、走りながらさまざまな脳内会話がなされている。

気持ち、ペースも上がって、息も上がらず、すれ違うランナーに会釈できるまでになってきた。1時間の朝ランの締めは、瑞鳳殿の階段であるが苦にもならない。

耳をすませど、セミの歌が聞こえなくなった土曜日の朝。

 

 

           


深田日本百名山登頂の思い出   6 トムラウシ(2141米)   7 十勝岳(2077)

 

北海道第二の高峰トムラウシにはすくなくとも80年代前半に三度は登った。そのうち、二度は、クワウンナイ川という北海道の山ヤならだれもが知っている美しいナメ滝を遡るバリエーションルートで、最初は山岳会の会山行で、翌年職場の同期採用の山好き二人を誘っての個人山行のスタイルだった。

その二回目のクワウンナイ川は、ちょっとした遭難騒ぎになった。歩いているのはオイラだけで、ガイド役となったオイラは、しっかり沢道を覚えているはずだったが、7月の第1週だったため沢上部にびっしりと雪が残っていてヒサゴの稜線にいたる枝沢が不明になり、道を探すのに相当の時間を要した。結局、その日登頂したら日帰りで天人峡に下るS君が下れなくなり、3人で山頂付近に泊まったため、日帰りのS君の家族が、心配して翌朝警察に連絡した。

我々が、翌朝天人峡方面に下っていると、真上に北海道警察のヘリコプターがやってきて旋回を始めた。ヘリが拡声器で「S君ですか~」と尋ねてきたので、S君は両手で円を描いたら、ヘリはそのまま立ち去った。下りながら、「あとで莫大な捜索費用を請求されるかもな」と心配そうに語り合った記憶ある。帰って確認したら、ちょうどヘリが大雪山のパトロール中だったとのことで、事なきを得た。

携帯電話の普及していない当時の話で、誰も無線機も持っていなかった。オイラの、地図読み能力のなさと、予備日を設けた登山計画を家族に置いてこなかったのが原因である。遥かに遠い日のはずかしい思い出である。

こんなことがあったが、トムラウシは北海道の山で一番好きな山。五色ヶ原の広大なお花畑、氷河を思い起こさせる岩と雪、岩陰から時折姿を見せる愛らしいナキウサギのチッチの声、もう一度歩いてみたい筆頭のエリアである。

 

トムラウシと近接した山域ながら、十勝岳は火山の山で、ゆったりとした円錐の美しい山容は火山性の岩と砂で構成されている。そのため降雪時期には雪崩の心配がありそうなところ。オイラが、北海道を離れて1~2年あと、旭川の山岳会の仲間だったTさんという女性が、会山行でスキー登山をしている最中、雪崩にあって命を落としたと、北海道の同僚が教えてくれた。送ってくれた遭難記事にTさんのさみしそうな顔写真がのっていた。旭川在住時は、なんどか一緒に登った人。無口だったが、山が好きでたまらないという風だった。

旭川から近いので、ふもとの白銀温泉や十勝岳温泉から十勝岳でなく、富良野岳、美瑛岳、オプタテシケと庭のようにあるいた。もう、1、2年旭川に住めていたら、オイラもTさんらとスキー登山に出掛けたことだろう。

 

    

       沼の原から五色ヶ原に到る道はこの世の浄土と思われます

 

    

   旭川の山岳会には、天人峡からトムラウシを日帰りピストンする元気な女性もおりました。

 

 

 

 

 

 

 

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