おとついあたりから、公園の松林を歩くとニィニィ(セミ)の高周波が耳に届きはじめた。
七月初めのニィニィ、七月末から旧盆までのカナカナ(ヒグラシ)、旧盆過ぎのツクツク(ボウシ)、彼らの音響が、幾たびも本州の夏を生きてきたオイラの心を慰めてきてくれたことか。
このニィニィの「岩にしみいる声」と「閑さ」を、芭蕉翁になったつもりで体験したくて、毎年のように7月のはじめ山寺の立石寺にお参りする。
吹き出る汗をぬぐいながら、いくつもの石段を登り、奥の院にお参りした後、五大堂の舞台に立って、夏の風を正面に受けながら、山寺の集落を囲む北蔵王の山々を眺める。この時耳を澄まし、あのニィニィの声を拾う。そして、冥界にいる心地とは、このようであってくれと祈る。
オイラの山寺参りは、この五大堂の舞台で芭蕉翁の蝉音を追体験することで結願する。
山を降りて、いつもの蕎麦屋に入り冷たい生ビールと冷たい肉そばなどをいただきながら、オイラは、この世に舞い戻ったことを自覚する。
今年からは、帰路、作並の立ち寄り湯に入り、「日本の夏の閑さ」を感じようか。あと何年、そんな贅沢ができるかな。
梅雨時なのに、もう真夏日を記録した日の夕焼けは赤く、なにかしら怪しげな気配を見せていた。地震雲でないことを願ったら、20時間たってもその気配がないので安心している。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます