かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

深田日本百名山登頂の記憶を書き留めておこう

2021-09-03 11:22:07 | 日記

2016年9月5日「ウルトラマラソン後遺症」から始まったこのブログもまもなく7年目に入る。山や自然とかかわっているうちは備忘録として続けて行こうと思っているが、健康問題や機器の不調、あるいはすべての電子機器に嫌気がさしてパソコン、携帯をすべて放棄した仙人生活に突入することで、このブログが終わる日も突然やってくるのかもしれない。ただ、6年間何気なく続けたことで、記録癖のないオイラも山をはじめとした旅のおおまかな記録にもなっていることに気づいたので、これからも続けられるだけ続けていこう。

2021年も残り1/3,120日ばかりとなってきたが、今年の目標の一つに57歳までに登頂をはたした深田日本百名山について、「山と渓谷1月号」の付録「日本百名山ルートマップ」を見ながら登ったルートや思い出を呼び戻して記録しておこうというものがあったが、三日坊主癖のため頓挫している。

そこで、このブログの追記的なものとして、今日から1日1座ないし2座を書き込んでおこうと思いついた。ルートマップに歩いたルートを緑の蛍光ペンで色付けし、携帯で撮ってこのページに貼り付けて、思い出を数行綴る。登った年月日は大方不明だが、推定でも記録する。この程度ならばあまり負担にならないので、年内には、100座目の宮之浦岳に到達できるだろう。

 

 

 

 

 


1.利尻岳 (1718米)

利尻山のある利尻島には3度訪れて、利尻山にも3度登っている。すべてメインコースの鴛泊から。深田さんは、沓形コースを登っている。この山には、かつて鬼脇コースというものもあったが、現在は廃道になっている。

はじめて登った年は1983年とはっきり覚えている。季節は6月半ばだったか。覚えているのは、仕事で北海道に住んでいた3年3か月のうち、1983年4月から翌年3月まで滞在した旭川から登りに行ったからだ。スイングバックの車に自転車を押し込んで稚内まで行き、自転車といっしょに船で利尻にわたり、ふもとにテントを張ってから翌日登頂し、登頂した日に八合目の避難小屋に泊まって、翌日下山。下山してから島内を自転車で1周した。元気だった。

翌日、船で花の百名山礼文島に渡り、礼文岳(490米)にのぼり、党内をサイクリングした。礼文島では、どこかの民宿に泊まったと記憶している。当時は、予約制というものではなく、港に船が着いたら、酒場のポン引きみたいに民宿屋さんたちが旅行者の手を引っ張って誘っていた。が、連れていかれた民宿、とてもよい民宿で、海鮮のてんこ盛りだった。某お茶漬け食品メーカーの研究員だという若い二人ずれの女性と深夜まで歓談した。そんなことだけは記憶が鮮明だ。

利尻山に登った残りの2回は、いずれも前日行われた利尻島1周ウルトラマラソン(悠遊覧人G)の翌日登ったもの。6月初めで頂上付近はまだ雪があった。とくに、最後の登頂時は絶好の好天気で、マラソン仲間数人とワイワイおしゃべりしながら登って、360度の洋上パノラマとから樺太方面の雲海に歓声をあげた記憶がある。

その2回の登頂年だが、果たしていつだったか、震災後か震災前か、2000年代なのに、それさえも記憶があいまいである。家のどこかに記録証が眠っていそうで探せば分かるし、SDカードを調べれば当時撮った写真も見つかるはずであるが、・・・・後で調べて このページに書き込んでおくことにしよう。(いい加減なヤツ)

 

礼文と利尻、近いうちに再訪し、のんびりキャンプをしながら花と海鮮を楽しむことにしたい。北海道でクマの心配をせずとも憩える初夏の楽園だ。

 

 

                                     

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