パラマラソンは、NHKのライブでじっくり視聴させていただいたが、女子視覚障害部門の道下美里選手の金メダルにも驚いたが、66歳の西島美保子選手が3:29:12で8位入賞したことにもっと驚いた。オイラとほぼ同年代だ。
オイラは46歳で初完走したフルマラソンを64歳のNAHAマラソンをもって卒業したが、60過ぎたら二度と4時間を切ることがなかった。それを年齢のせいにして、なんら悔しい思いをしなかったが、西島選手には、記録を伸ばそうとする意志とトレーニングさえ積めば、まだまだ60代でもサブフォーで完走できる可能性がありありなんだと教えられた。
考えてみたら、ヒトが老いていくのも「障害」、ヒトはだれでも障害者という立場になるのであって、パラリンピアンには「障害を克服しようとする力への意志」が生じた時点で、克服できる可能性があることを教えられた。
午後、スロージョグを兼ねて図書館に向かう途中で雨が降ってきたので、モンベルのトレッキングアンブレラをさしてジョグした。スロージョグなら傘をさしても空気抵抗がなく、まったく問題なく走れる。
高齢という「障害」、雨降りという「障害」、〇〇という「障害」、パラリンピアンに教えてもらったので、どうやったら克服できるのか・・・・前向きに生きていこう。
深田日本百名山登頂の思い出 3 斜里岳(しゃりだけ)
斜里岳は、釧路勤務時代だから1981年から1982年の2か年間に、たしか2回は登った。3回かもしれないが、一度は職場の仲間たちと登った。沢筋を行く旧道と尾根筋の新道、どちらも歩いたが旧道の方が変化があって楽しい。深田さん親子(妻と小学6年生の次男)も1959年に同じ道を歩いたが、頂上ではガスって何も見えなかったと記している。オイラは、いずれも晴れの頂上を経験したが、当時の写真というものはなく、どんな風景を目にしたのか忘れた。多分北側にオホーツク海が大きく広がっていたのだろ。
新潮社日本百名山に登載されている斜里岳の山容に長いことあこがれていたが、この写真を撮った場所に立ったことはない。何度も行った摩周湖の展望台からは、あのような秀麗な山容ではなかったような気がする。一度でいいから真っ白にお化粧した斜里岳を本の写真の場所から眺めたいと思っている。
新潮社 日本百名山掲載の「斜里岳」