かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

天高し、母なる栗駒山が七ツ森を抱きしめていた

2021-09-19 13:04:44 | 日記

きのうの雨と打って変わって、今朝は朝から快晴。アシックスRunkeeperさんに手伝ってもらい「My10kコース」づくりをおこなう。メインは青葉城址。たかが標高120mの高台であっても北側と東側は展望が開けていて晴れた日は、立ち止まって北西の船形方面と東の朝日に輝く太平洋を眺めると、ささやかながら、ひと山登った充実感がある。

今朝は、よほど空気が澄んでいたのだろう。北側の七ツ森の向こうに栗駒山と思われるなだらかな山容がくっきり臨めた。恥ずかしながら、十数年と青葉山城跡に登っているが、栗駒山が七ツ森を母のように抱いた姿で眺められるとは知らなかった。「ああなんと慈愛に満ちた山、まるで七つの子を羽を広げて守っているお母さんガラスだ」。

宮城県人で仙南(せんなん・仙台より南)の出身者なら蔵王が母なる山だろうが、仙北(せんぽく・仙台より北)の出身者なら、北にになだらかな山容を大きく広げる栗駒山が母なる山。オイラは仙北育ち。

こんなに慈愛に満ちた栗駒の姿を発見してしまったので、新雪のころ、ドンピシャに晴れた朝、このビューポイントに三脚を担いできて、これはという写真を撮りたいな、と思った。今朝の収穫である。

     


深田日本百名山登頂の思い出   13 岩手山(2038米)

東側の盛岡市内からみると「南部富士」という名に違わない見事なコニーデ型の山だが、南の小岩井牧場や北の安比スキー場側からみると「南部片冨士」という名に違わない不均衡な山容で、富士や後方羊蹄のような単純な山容ではない。東北の山ヤなら鳥海山と並んで憧れの2000Ⅿ峰。

深田百名山の本の目次「13岩手山」に、鉛筆で54/8月と記されていたので、1979年、これがオイラのこの山の初登頂の記録なのだろう。大学を留年した後、東京の小さな事務所に就職したが、わずかなお盆休みの日程を利用して登ったのだろうが、はてどの登山口から登ったのか、今と違って、馬返しにでも、焼走りにでも、網張温泉にでも乗り合いバスが走っていたので、馬返しから登って焼走りに下ったのかもしれない。登りは不明だが、薬師岳といわれる山頂を踏んだんだあと好天に恵まれて火口を気持ちよく1周した山頂の記憶は鮮明だ。

その後、80年代後半の八戸在住時代に山の仲間と網張や焼走りから夏・冬の2回、2006年代以降の仙台在住時に七滝コースを登っていて、概ねの一般コースは歩いた。昨年は、キャンプをしていた焼走りからしばらくぶりに山頂を目指したが、強風のため平笠不動で引き返した。賢治さんの心の山であり、憧れの山であることは変わらないので、これからも何度か岩手山に登りに行くのだろう。

少し体が復元されて体力がついたら、賢治さんが青年時代にやったみたいに、盛岡市内から歩き始め、岩手山神社~馬返しコース夜通し歩いて山頂でご来光を仰いでみたい。星の輝いている夜に疲労のため絶命しても、それはそれで本望というものだろう。その折は、銀河鉄道に乗り遅れないようにしたい。

      

                  安比高原から望む岩手山

      

                

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