かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

エフェメラル(かげろう)さんボロボロの死

2021-09-13 14:39:49 | 日記

朝、スロージョグで広瀬川に架かる橋を渡っていると、外灯のたもとの路上に数知れないほどのカゲロウの死骸が散らばっていた。昨夜、大量発生し、街灯の周りを乱舞したものたちだろう。儚い命の代表選手のようなカゲロウだが、1年近くを水生昆虫として幼虫の姿で生活し、数度の脱皮を繰り返して、9月のとある1日、仲間同士がどのような信号を送っているのだろう、一斉に羽化して成虫となって、灯りの周りなどを数千数万の乱舞し、パートナーを見つけ、交尾し、♀は産卵のため水面に戻り、産卵後そのまま溺死するのだという。路上で死んでいたカゲロウは♂のほうだろうか。よおく見るともう紙飛行機のような翅がボロボロ、他の♂とのメスをめぐる戦いのせいなのだろうか。

カゲロウの成虫は、チョウや蚊のように栄養補給のための口という機能を持たないのだという。一夜だけの体力を持つだけで十分と神さまが判断したのだろう。

それにしても、翅も体躯も一夜だけというには、完璧に美しい姿形をしている。オオシロカゲロウという仲間らしい。翅を大きく広げた死の姿は、自らの子孫のために生きた堂々とした証でもあるようだ。一方彼らの存在は、川のさかなや野鳥など他の生き物に圧倒的な栄養源を与えてくれている。われわれは、かれらの生き方に敬意を持たないといけないのだろう。

 

    

 

どこかから金木犀(きんもくせい)の香りが漂いだした。

瑞鳳殿の森から、ツクツクの声がまだ少し聴こえてきた。

 

 

 


深田日本百名山登頂の思い出      8 幌尻岳(ぽろしりだけ・2052米)

日本百名山の中で、一番アプローチが長く、山頂に立つことが困難なのは幌尻岳かもしれない。とりわけ、車を運転しない単独行者には遠い存在なのかもしれない。一般ルートの額平川(ぬかびら)コースだって、まずバスの通わない林道を延々と車を進め、登山口のゲート前に車を止める。現在は、そのゲートまでも交通規制されていて、平取町のとよぬか山荘というところから21k、片道1時間のシャトルバスに乗らないと行きつけない。登山口ゲートで二泊三日(予備日分をプラスα)の食料と寝具をザックを背負って麓の幌尻山荘まで4時間30分の沢登り。もちろん、遡れるのは増水していないことが条件。幌尻山荘から幌尻岳山頂までは登り4時間、下り3時間、幌尻岳から戸蔦別岳を周遊して小屋に戻りたいところだが、6時間もかかり、今でいうトレランスタイルでないと厳しいだろう。

ほかに、深田さんが北大山岳部らと登ったルートに近接して現在の新冠コースがあるが、麓の新冠ポロシリ山荘まで林道10時間50分とあり、足をぬらさないで行けるが、気が遠くなる。そして山荘から山頂まで4時間だ。

幌尻岳には、83年に旭川の山岳会メンバー数人と1度、北海道を離れて数年後に八戸の山岳会の先輩たちと3名で1度、額平川コースから登った。2度目の山行の時、幌尻山荘の同宿者に軽のワゴンに車中泊をしながら全国の百名山に登っているという四国から来た単独行のオバ様がいて、みんなで驚いた記憶がある。

幌尻岳は、稜線にでてやっと山の姿に出会えるような、遠くて大きい存在だったが、日高は、他にも魅力的な山がいっぱいながら、あとはさっきの八戸のメンバーらとペテガリ岳に一度登っただけ。暗闇をスタートし明けてもガスで何も見えなかった。

悲願は、二百名山のカムイエクウチカウシだったが、八戸のメンバーや利尻マラソンで知り合った北大の先生に連れて行ってもらう約束をしていたが、近年のクマ多発情報などに接し実現できていない。

もう、日高全体が遠い存在となっている。NHKBSのグレートトラバースの録画をくり返し眺めて満足するしかないか。(涙)

 

         

 

 

 

 

 

 

 

 

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