かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

吾妻山の秋の色 1

2021-09-27 14:26:13 | 日記

湯治宿の滑川温泉に登り口にして、吾妻連峰の東端にある浄土平のテント場に二泊してきた。静かで快適なテント場だったが、この日曜日をもって閉鎖となるとのこと。秋色まっさかりにしてもったいない話だ。車が入れるのに人気がないのは、コロナのせいばかりではないのだろう。1週間前の予約制、午後3時からの受付、午前9時までのチェックアウトなど、家族や仲間連れがゆっくりと寛げないルール、料金も1泊1600円と、同じ環境省管理の日光湯元よりも高い設定。今年の期間設定や時間ルールは管理を任された山小屋のオヤジの意向もあるのだろうが、来年以降は改善してもらいたい。シルバーウィークの週末ながら、二日間とも23区画中、オイラを含めて3張程度とさみしい限りであった。これまで利用したテント場でも「秀」と評価できる施設でありもったいない。

高気圧に覆われた天気概況だったが、視界が開け青空を仰げたのは1日目の午後と2日目の午後だけで、あとは深いガスに包まれた静かな世界の中を歩いた。最終日は、1日目に登った一切経をへて高湯温泉に下る予定だったが、さらに深いガスに覆われていたので、スカイラインを2時間、ぬかるんだ山道を1時間下り続け高湯温泉に着いた。次のバスの時刻に3時間以上もあったので、日帰り温泉をはしごして体がふやけそうになるまで過ごした。今日になっても、体から硫黄臭がきえない。

吾妻山の秋色は始まったばかり、山小屋のオヤジに高湯まで迎えに行くから来週泊まり来るよう促された。客もあまり来ないので、今年で山小屋の管理をやめるのだというさみしそうなオヤジだったし、この山小屋にはなんだか懐かしさもあったので、安達太良縦走の登山口の野地温泉まで送ってもらうことを条件に約束した。

10月初めの週は、台風一過の秋晴れとなって吾妻や安達太良はより彩度をあげていてくれるだろうか。

   

  テント場の朝、ルリビタキの♀さんが忙しそうにナナカマドの枝を行き来していた。南に帰る準備に忙しいのかな。

    

      ツリバナの仲間だろう、赤い実がはじけていた。

     

 吾妻山のクロマメの木の実(日本のブルーベリー)はとても大きかった。いくつもつまんではタネを遠くに飛ばしたが、環境によろしくないのだろうか。酸味にかけるがやさしいブルーベリーの甘さがした。

      

           鎌沼に生えるナナカマド

       

           ドウダンの葉も真っ赤に色づいていた。

      

      

 1日目に目の当たりにした五色沼の更なる輝きを3日目に楽しみにしていたのに、ガスのためスルーしてしまったのが残念。


深田日本百名山登頂の思い出   17 朝日岳(1871米)

東北に長く住んでいながら、東北のアルプスともいえる朝日連峰と飯豊連峰を歩いたのは数少ない。学生時代だから百名山目次のメモに「51」とあるから昭和51年(1976年)に朝日鉱泉から小朝日~大朝日~以東岳~大鳥池と縦走したのが最初。あとは、90年代に古寺鉱泉から大朝日を日帰りと天狗小屋に泊まって障子ヶ岳で買ったばかりの富士67カメラを使ってみたこと、2000年代に長いマラソンを走る前日にマッターホルン祝瓶山(いわいがめやま)を日帰りしただけ。90年代は、山岳写真に凝っていて、ラムダのザックに重いカメラや三脚を積んで歩いていたっけ。(いい写真が1枚もない。)

なにゆえか鮮明に残っているのは、最初の縦走時、大朝日の雪渓近くにテントを張った時、雪渓にトマトジュースの缶やアズキ缶を埋めておいて、うーんと冷やしていただこうとしていたのに、埋めた場所を何度探しても見つからなかったこと。ビールでないのが可愛いが、いまもその時の無念さはきえていないのだからヒトの性というのはつまらない。それと、大鳥池からの下山中、なんだか首筋がむず痒いとおもって手のひらを当てた時、オイラの血をたらふく吸って手のひら大に膨れたヤマビルを捕まえ失神しそうになったこと。多分樹上から降ってきたやつだろう。

今は、稜線上のテント禁止となった朝日連峰、昨年秋、コロナの心配があるものの、そのせいで空いてそうな山小屋を経由してしばらくぶりに学生時代に歩いたコースをたどろうと朝日鉱泉に予約を入れようとしたが、季節運行のバスが終わっていた。今年の秋ころから、また小屋は混みだすのだろう。思い出登山の日はやってくるのだろうか。大朝日岳近くの草むらに、45年前のトマトジュースのカンカラがまだ錆びて埋もれているだろうか。

    

           2019船形山頂から眺めた残雪の朝日連峰

         

         

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