かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

お月見は月山がいいのだろう

2021-09-22 09:07:10 | 日記

残念ながら、中秋の名月の日、当地の夕刻は雲に覆われていて、戸外でのお月見のチャンスを残した。

酒を飲んだ浅い眠りから目覚めるともう日付が変わっていた。窓を開けてベランダに出ると、南中からやや西に傾いたお月様が雲の間から望めた。暈もすこしかかって虹色を帯びていたが、カメラを取り出して撮影するときには虹色は消えていた。

 

 

      


 

深田日本百名山登頂の思い出   16 月山(1984米)

 

お月見登山は月山でいいのかな。中秋に限らず夏から秋にかけて満月となる日に、毎年月山に出かけるライフスタイルを考えたい。この場所なら、最も間近に星になったヒトビトに出会えるだろう。

月山には、すくなくとも2回登っているが、3回かもしれない。弥陀ヶ原から山頂に立ち湯殿山を往復、強行軍だからおそらく80年後半の八戸時代に会の仲間たちと歩いたのだろう。

いちばん記憶にあるのは、90年代に妻と娘と登ったこと。車で行って、南の姥沢側から往復してきた。家族で山に登るのは数回限りで、百名山を歩いたのは、月山が最初で最後だったのだろう。晴れた月山での1日だった。

地図を見ると、肘折温泉からの長大なルートが気になっていて、遠からず歩きたいと思っている。

 

 

 

    

                  北面白山のお地蔵さまと新雪の月山

 

       

 

       

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中秋の名月はどちらで

2021-09-21 11:31:56 | 日記

中秋の名月の頃合いに、山に登って、亡き人、星になったヒトビトと酒を酌み交わそうと心に決めていたのに、日程やコロナの影響で今年はかなわず。ただ、今日も晴れ模様で、夕方晴れていたらザックにカメラと三脚と酒を忍ばせて、見晴らしのよい高台に出かけてみようか。

今年、来年、再来年、中秋の名月と満月の日が一致するのだという。来年、再来年のその日には、必ず山に登ろう。

さて、明日はドイターザックデビュー山行の準備しようか。

 

 

 

 

            

                           2020.9.5am3:50   岩手山上空の月

 

 


深田日本百名山登頂の思い出  15 鳥海山(2236米)

東北では、尾瀬の燧ヶ岳に次いでの高峰。その姿かたち、登ってみての雪と花の織りなすみずみずしい雰囲気から、オイラにとって東北の山で最も憧れる山だ。70年代半ばの学生時代に単独で登ったのが最初だが記憶があいまい。80年代後半に八戸時代に山岳会のメンバーと鉾立口からと北の矢島口から日帰り、90年代仙台時代に職場の仲間たちと日帰りで。マイカーだと日帰りできるが、この山の良さは山上に泊まってこそ感じ得るのだろう。あこがれだというのに、もう20年ちかくも登っていない。

コロナが収まったら、山頂の小屋をはじめ、山上の小屋を繋いで、じっくりとこの山の魅力を味わいたい。もう登山口にバスが走っていないが、富士のゼロ合目からのぼる感覚で海岸沿いの駅からスタートしてみよう。深田さんが最初に登った時のように吹浦海岸の砂浜を眺めてから。

 

   

         2019年11月面白山から新雪の鳥海を望む。

 

        

        

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今日もお天気、栗駒山だ!

2021-09-20 11:32:10 | 日記

今朝も空気が澄んでいて、仙台城址の展望地から北側の七ツ森の後方に栗駒山が確認された。このポイントから見ると七ツ森のちびっこ🍙山の山頂を栗駒の稜線がつないでいるのが面白い。

昨年は、10月半ばに栗駒山の須川湖にキャンプして栗駒の錦秋を3日間堪能したが、快適なテント場だったので、ことしも出かけてみよう。須川温泉や栗駒山荘の露天風呂もよし。

今朝は、南側にオリオンが大きく輝いていた。秋になって空気が澄んできたあかしだ。昨年の須川湖は、残念ながら雲の多い夜空だったが、しばらく遠ざかっていた星の世界めぐりも楽しみになってきた。バス停からキャンプ地まで20分ほど歩かねばならないが、三脚と一眼担いでのこのこ出かけよう。

       

        「おおい、はやくおいでよ」ふるさとの山、くりこまさんが声を出しているような


深田日本百名山登頂の思い出  14 早池峰(はやちね・1917米)

いまは早池峰山という山名が与えてられているが、深田さんは、単に早池峰と表記していた。峰という漢字も剣が峰や櫛ヶ峰などのように一字で山を表しているので、文学者の深田さんとしては、峰に山を加えるのは許しがたかったろうし、遠野物語をはじめ岩手の伝承・説話も、単に早池峰と表記しているようだ。

早池峰には、84年からの4年間の八戸時代に、主要な3コース、すなわち河原の坊、小田越、門馬登山口を歩いているほか、簡単なバリエーションルートを単独で登っていて、最低3度は山頂を踏んでいる。人気の山なので、いつも登山者でにぎわっていたが、北側の門馬コースは、山岳会のTさんと登ったが、静かで味わいのあるコースだった記憶がある。

仙台に帰ってから残念ながら足が向いていないが、薬師岳や鶏頭山を繋いだコースで再び登ってみたいと思っている。雪解けが早い山域なので、6月から7月の梅雨時季がベストなのだろうが、蛇紋岩は滑るから要注意だ。この2年間は、コロナの影響でバスが走っていないので、マイカーを持たない身には遠い山。

     

      花巻の山口に到る道路から眺めた雪ををいただいた早池峰は秀麗だった。

         

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天高し、母なる栗駒山が七ツ森を抱きしめていた

2021-09-19 13:04:44 | 日記

きのうの雨と打って変わって、今朝は朝から快晴。アシックスRunkeeperさんに手伝ってもらい「My10kコース」づくりをおこなう。メインは青葉城址。たかが標高120mの高台であっても北側と東側は展望が開けていて晴れた日は、立ち止まって北西の船形方面と東の朝日に輝く太平洋を眺めると、ささやかながら、ひと山登った充実感がある。

今朝は、よほど空気が澄んでいたのだろう。北側の七ツ森の向こうに栗駒山と思われるなだらかな山容がくっきり臨めた。恥ずかしながら、十数年と青葉山城跡に登っているが、栗駒山が七ツ森を母のように抱いた姿で眺められるとは知らなかった。「ああなんと慈愛に満ちた山、まるで七つの子を羽を広げて守っているお母さんガラスだ」。

宮城県人で仙南(せんなん・仙台より南)の出身者なら蔵王が母なる山だろうが、仙北(せんぽく・仙台より北)の出身者なら、北にになだらかな山容を大きく広げる栗駒山が母なる山。オイラは仙北育ち。

こんなに慈愛に満ちた栗駒の姿を発見してしまったので、新雪のころ、ドンピシャに晴れた朝、このビューポイントに三脚を担いできて、これはという写真を撮りたいな、と思った。今朝の収穫である。

     


深田日本百名山登頂の思い出   13 岩手山(2038米)

東側の盛岡市内からみると「南部富士」という名に違わない見事なコニーデ型の山だが、南の小岩井牧場や北の安比スキー場側からみると「南部片冨士」という名に違わない不均衡な山容で、富士や後方羊蹄のような単純な山容ではない。東北の山ヤなら鳥海山と並んで憧れの2000Ⅿ峰。

深田百名山の本の目次「13岩手山」に、鉛筆で54/8月と記されていたので、1979年、これがオイラのこの山の初登頂の記録なのだろう。大学を留年した後、東京の小さな事務所に就職したが、わずかなお盆休みの日程を利用して登ったのだろうが、はてどの登山口から登ったのか、今と違って、馬返しにでも、焼走りにでも、網張温泉にでも乗り合いバスが走っていたので、馬返しから登って焼走りに下ったのかもしれない。登りは不明だが、薬師岳といわれる山頂を踏んだんだあと好天に恵まれて火口を気持ちよく1周した山頂の記憶は鮮明だ。

その後、80年代後半の八戸在住時代に山の仲間と網張や焼走りから夏・冬の2回、2006年代以降の仙台在住時に七滝コースを登っていて、概ねの一般コースは歩いた。昨年は、キャンプをしていた焼走りからしばらくぶりに山頂を目指したが、強風のため平笠不動で引き返した。賢治さんの心の山であり、憧れの山であることは変わらないので、これからも何度か岩手山に登りに行くのだろう。

少し体が復元されて体力がついたら、賢治さんが青年時代にやったみたいに、盛岡市内から歩き始め、岩手山神社~馬返しコース夜通し歩いて山頂でご来光を仰いでみたい。星の輝いている夜に疲労のため絶命しても、それはそれで本望というものだろう。その折は、銀河鉄道に乗り遅れないようにしたい。

      

                  安比高原から望む岩手山

      

                

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手塚治虫さんのアニミズム

2021-09-17 13:22:18 | 日記

手塚治虫さんのライフワーク「火の鳥」を復習しようと、今日も角川文庫版5冊を図書館から借りてきた。残り3冊(望郷篇・乱世篇上下)は、貸し出し中であり順番をまつ。

読み終えたら総括をし、手塚さんが60歳という若さでこの世を去ったため構想のままで終わった「大地篇」(小説家の桜庭一樹さんが小説化していて、図書館に予約順番待ち)を読み解くよすがとしよう。

「火の鳥」はオイラが生まれたころから発表されているが、初期作品で50年代に「マンガ少女」に発表された少女向けの「エジプト篇」、「ギリシャ篇」、「ローマ篇」などを読めば、手塚さんが男女ばかりでなく、花から動物まであらゆる命を平等に扱っているアニミストだと分かる。それどころか、鉄腕アトムに代表されるロボットやアンドロイド、クローンといった人工物、無機質的なものにも愛情を注いでいる。これは有機物も無機物も宇宙の創生を根源としており、過去から未来に系統樹として根っこは同じという科学者のまなざしなのだろう。

そこは、「石っこ賢さ」の宮澤賢治さんと共通のものを感じざるを得ない。賢治さんは童話や詩、手塚さんはマンガやアニメーションと表現方法は異なるが、「生と死、あるいは死と再生」というテーマを終生追い求めたふたつの巨星。

巨星の光に導かれて歩みをすすめる子羊のように、トレランザックに二人の作品をしのばせてジョギングしようか。途中、ベンチに座り込んで、巨星たちのファンタジーに時を忘れよう。生きる元気をもらえるかもしれない。。

 

             

 

 


深田日本百名山登頂の思い出    12 八幡平 (1613米)

 

八幡平という山の名前はなく、沼や高層湿原が点在するなだらかなアスピーテ型火山一帯の最高地点が八幡平山頂とされている。沼や湿原は魅力であったが、アスピーテラインなどの観光道路が山頂近くまで走っているので、学生時代は敬遠していたが、八戸在住時の80年代半ばに山岳会の仲間と初めて山頂を踏んだ。あとは、山岳会のメンバーと大深岳や茶臼岳方面にスキーで歩いたりしていたが、絶景という樹氷には悪天候のため出会えていない。若い時から記憶に残るのは、山というよりは、麓の温泉。後生掛(ごしょがけ)、玉川、松川などの濁り湯をとくに愛していた。

その温泉を目的として、昨年の10月、安比スキー場から無人の山小屋を繋いで御所掛温泉まで縦走し、最終日は焼山を踏んで玉川温泉に下ったが、40年近くたっても変わらない御所掛の泥湯に感激しながら長いこと浸っていた。

若かりしとき敬遠した山が、老いた者には優しい山だと気が付いている。ことしも、昨年以上の紅葉や濁り湯への出会いを求めるため、バス時刻などを調べている。

 

 

     

 

     

      

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