20日夕刻、地下鉄仙台駅からイヤホンで大相撲中継を聴きながら家路にたどり、午後6時過ぎにちょうど家のドアを開けようとした瞬間、あのおぞましい「チャンチャアアン チャンチァアアン 緊急地震速報 ♪~」
速報よりちょっとした間をおいて揺れが始まり、玄関に立ち尽くしたまま、しばらく強い揺れにあえぐ。靴箱に並べていたこけしが一本だけ倒れる。
が、じきに揺れは止んで、すかさず家に入りTVをつけると震度5強、マグニチュード6.9、予想1メートルの津波が来るとのテロップ、先月の揺れほど大きくは感じないのに、それからしばらくTVは大騒ぎ。新幹線も、在来線も、地下鉄もみんな止まっているとのこと。
その日の午後は、地下鉄に乗って仙台フィルの定期演奏会に出かけてきたが、つい30分前に地下鉄を降りたばかり。この揺れが、コンサート中だったらと、地下鉄に乗っている最中だったらと、もっと大きかったらと想像すると、また別の物語がつづられていたのだろう。
まったく、この地震というヤツの出現には、地上に生きるヒトビトは無力すぎて、まな板上に横たわる鯉にすぎない。個々の人生において命を脅かすほど巨大なヤツに出会わなければラッキーだと思ってあの世に旅立つしかない。地球規模からみれば、我々に想定外などあつて無きに等しい。
いつ、どこで、なにをしていて、どういう正常性バイアスの心理状態だったか・・によっても、悲劇となるか笑い種となるか、生存譚となるか、物語のエピローグはみんなちがうのだ。
宮城県沖、福島県沖、と10年前の余震だというが、このところ、全国あちこちでまた揺れだしていて、どこかにまたドカーンと大きなヤツがやってこないかと不安になってくる。
こたつに座していても、台所で玉ねぎを切っていても、なにかこう揺れているような。「なんか揺れている」と感じながら生活している今日この頃なのだ。
つり橋を渡る毎日。「揺れとともに生きる。」
加えて、うすら寒い不安は、一向に収まらないコロナという疫病。
家を出てから家に戻るまで着用続けているマスク。半日つけているだけで、汗と息でベトベトになってくる季節になった。アッ・ソウ財務大臣みたいに「いつまでつけていたらいいんだ」とぼやきたくもなる。
そういえば、こないだのNHKスペシャルでは、偏西風にのって大気に漂うプラスチック微粒子のことをやっていたし、砂漠化による黄砂やPM2.5という大気汚染のこともあって、コロナが去つても、外出時のマスクは当たり前の世の中になっていくのかもしれない。
「マスクとともに生きる。」そんな時代か。
仙台フィルの定期演奏会で、没後25年(生誕91年)となった武満徹さんの遺作といってもいい「系図(Family Tree)ー若い人たちのための音楽詩」が演奏された。調性のきいた、武満のうたがちりばめられている、どうしようもなく郷愁に満ちた調べ。詩は、ことし生誕90年を迎えようとしている、いまもなお現役詩人の谷川俊太郎さんの「はだか」から。
最終章の「とおく」の最後の二行
どこからかうみのにおいがしてくる
でもわたしはうみよりももっととおくにいける
この言葉は、あの賢治さんも乗っている銀河鉄道の車窓から地球をなつかしそうに眺めている「ジンルイ」の言葉にしか聞こえない。
itunohikakittoさんのYouTubeから
演奏のはじまる前に舞台上に挨拶に来られた武満徹さんの長女武満眞樹さんが、指揮者の尾高忠明さんとの会話中、尾高さんに「3.11やコロナ禍をまのあたりにしたら、いま武満さんはどんなコメントを発するかな」といったような質問をされて「きっと、人類はなんども苦しみを味わい続けているが、大きな地球の時間の流れではほんのいっときであり、ウィルスも地球の構成員と思うしかない、と言っているのでは、」といったような答えをされた。やはり、武満さんは「宇宙から聞こえる音」を譜面に書いた宇宙からやってきた方だった。
どっちにしろ、そう遠くない将来、オイラも銀河鉄道の乗車券をもらうようになるので、くよくよせず、揺れとマスクとなかよくしていこう。
蔵王にかかる朝の月 2019.5.25 4:30 船形山山頂より