3.11から10年目となる日、散歩をしながら「その時刻」に立ち止まって黙とうしようかなと思って、NHKらじるらじるのR1にイヤホンを当てたら、らじるらじるは、現在の時刻と1分以上のタイムラグがあるので、政府追悼式の黙とう時に時計を見たら「その時刻2:46」ではなく2:47分を過ぎていた。さすが、間が悪く黙とうはやめた。
ラジオでは、1分間の静寂を流すとラジオが故障でもしたと思われるのか、女性アナが「平成23年のこの時刻・・・が起きました・・」というように落ち着いた静かな声で間を持たせていた。
あれから10年、沿岸部の嵩上げや住人から海が見えないほど高いコンクリート防潮堤という公共工事は進んだかのように思えるが、その高い防潮堤による景観の台無しや嵩上げ地の地価の高さでふるさとを捨てた者にとっては、この10年は後退どころか喪失といってよく、深く傷ついた10年であったろう。日本一美しい漁村といわれた宮城県雄勝在住の硯職人は、高い防潮堤ゆえ、ふるさとと仕事を投げ捨てて異郷に旅立ったのだという。
また、福島第一原発の事故による帰還困難地域では、いまも3万人以上のヒトビトがふるさとに帰れずにいて、10年という時計は止まったままである。
止まったままだとまだいいが、家族、地域、耕地や野山、河川や海岸、ペットや家畜といった共同体エリアのなかまが失われたのであるから、福島原発=東電・国(税金を払っているオイラたちも含む)によって突然ふるさとを奪われたのであり、奪われた物は二度ともとに戻れないのである。
今日、国会で答弁に立った東電の社長は、彼らふるさとを奪われたものたちが起こした「ふるさと喪失」訴訟で高裁まで負けながら、まだ上告していて謝らないのだという。その上告理由を問われ、国会で答弁を拒んだ。
拒んだ言葉は、質問した議員によって明かされた。
「ふるさとなどという法益は存在しない」のだと。
言葉を失う。
あの震災でふるさとを奪ったのは、地震や津波などではなく、復興をカネヅルと目論んだヒトビトと、凶悪な原子力をまだ懲りずに捨てようとしないイカレタヒトビトたちなどなのだろう。
遠い日のうつろな思い出か
いまここで目にしている川の流れか
脳内の宇宙船は、歳月の天の川を思いのままに飛び交っている