【所沢ひな祭り】
「一陽来復」願いを込めて!
埼玉県は人形造りの盛んなところで、岩槻・鴻巣などが全国的に
知られている。所沢人形もこれらに次ぐ人形の産地である。
ひな祭りのイベント、その名も「野老澤雛物語」
町なか商店街には「アマビエ様」のポスターが彼方此方に掲げられ
雛まつりを盛り上げている。
所沢のマスコット「トコロちゃん」のお雛様がウィンドウから
歓迎してくれていた。
「百徳着物」江戸時代から伝わる、子どもの健やかな成長を願う人々の願い
から生まれた産育習俗の一つで、近隣・縁者百人から百の徳を得るようにと
着物の端切れをもらい縫い合わせた着物である。
「小豆三粒ほど包める布は捨てるな」と戒めあって、小さな布片は捨てずに
大切に残して置いた、着物はそれほど高価で貴重な物であった。
「背守り」魔物は背中から忍び寄る・・・生まれた幼い子どもの魂を守る
ために、母たちが着物の背中に縫った小さな魔除けのしるしが「背守り」で
ある。大人の着物の背には縫い目が一本スッと通っているが、子どもの
小さな着物にはそれがない。
大正時代の帯が、現代の匠により見事に変身した。
江戸時代後期のひな人形、うりざね顔が微笑ましい。
「御殿飾り」江戸後期のころ、江戸の「段飾り」に対して、京阪では
「御殿飾り」が一般的であった。御殿は御所の紫宸殿になぞらえたものと
思われ、華やかな貴族文化への憧れが育んだ復古的な雛飾りである。
現代の匠が造った「所沢人形」は美男美女だ!
皇太子殿下と雅子さんのご成婚を祝って作られた所沢人形である。
「野老澤」とは、野老は山芋科の植物でこの地区に群生していたようだ、
根が髭の様に伸びており、海に生きる海老に対し、野老(ところ)は陸地に
生きている・・・ところさわの地名はそこから来ているようだ。
町の人たちが「野老澤」の地名を愛し、イベントも「野老澤雛物語」と名付け
大切にお雛祭りを受け継いでいる。