【浅草寺・本尊示現会】
むかしむかし、1400年前の3月18日、二人の漁師が浅草浦(現隅田川)で
投網漁をしていた、漁はさっぱりだったが一躰の仏像が網にかかった。
持ち帰って当時郷土の文化人で長であった土師氏に見て貰うと、なんとこれは
聖観世音菩薩様だと・・・土師氏が剃髪し僧侶となりこれを祀ったのが浅草神社
の草創と言われている。ご本尊の示現に係わった3名は、後に神として祀られる。
その社が三社権現、つまり現在の浅草神社である。
地元では浅草神社の事を「三社様」と呼んでいる。5月に行われる三社祭は
ここから来ている。
前夜、浅草神社から三台の神輿(一之宮・二之宮・三之宮)がお出まし、
浅草寺で一夜をあかす、この行事が「堂上げ」で、翌朝、氏子町内の若衆に
担がれた三台の神輿が浅草寺拝殿から下りて行く行事が「堂下げ」と呼ばれ
本尊示現会のメインイベントである。
鳳凰の飾りを被った「一之宮」が堂下げされていく。
堂下げされた後、神事「びんざさら舞」が拝殿前で行われる。
田楽舞で、楽器である編木(ささら)で音を奏でる事により、五穀豊穣・悪霊退散の
願いを込める。
「堂下げ」「びんざさら舞」が終わると、浅草神社の神職さん達と三基の神輿が
観音様にご挨拶をする。
浅草寺拝殿前は祭人と観衆で埋め尽くされる。
近くの伝法院幼稚園児たちが、観音さんに献花するため観衆の中を抜けていく。
手を合わせる園児たち。
「堂さげ」の終わった神輿三基が、浅草神社に帰っていく。
祭慣れしたベテラン衆、この人たちが祭りを支えているのだ。
浅草神社の鳥居をくぐるところから、神輿は担ぎ手によって神社内に入っていく。
浅草神社の社殿は、度重なる火災、戦災、関東大震災の被害をまぬかれ、
350年経った現在も当時の面影のままだ。この神社は徳川三代将軍家光公の
建立寄進された社殿で、国の重要文化財になっている。
示現会に合わせ、金龍が仲見世通りを練り歩いていた。
仲見世通りを三味線の音が響き、浅草芸者さんを乗せた屋台が艶やかさを振り
まきながら、人混みの中を縫い進んでいた。