アオバト群の画像・・・(大磯町照ヶ崎海岸)
昨日の成果、湘南海岸の大磯町照ヶ崎海岸の岩礁に繁殖期の生態で、命懸けで海水を飲みに来ているアオバト群です。※現場へ飛んで来るのも大変なことですが、元々アオバトは水鳥でも何でもなく、時には命を落とす個体も少なくないため、命懸けで岩礁へ海水飲みに飛来している。※丹沢山系には約2000~4000羽のアオバトが生息していると言われており、猛禽類に襲われないように山のある緑の中をアオバト達は群れで移動して来ると言われていた。※奥多摩山系にも約2000羽のアオバトが生息していると言われており、同じように山のある緑の中を移動して来るといわれている。
チュウシャクシギの画像・・・(大磯町照ヶ崎海岸)
イソヒヨドリ♀の画像・・・(大磯町照ヶ崎海岸)
オオセグロカモメの画像・・・(大磯町照ヶ崎海岸)
ウミネコの画像・・・(大磯町照ヶ崎海岸)
ケリ達の画像・・・(平塚市の農耕地)
ムナグロの画像・・・(平塚市の農耕地)
朝多少天候り不安がありましたが、八王子駅北側で待ち合わせし、お婆さん二人を拾い強行すると、幸いにも一度も雨が降ることもなく、爺婆三人でアオバトの撮影に出掛けて来ました。※小田厚道路までは一般道で行きましたが、比較的順調に厚木の東名高速のIC付近までは走って来ることが出来た。
現地到着9時30分過ぎとなり、海岸の側の有料駐車場に車を停め、照ヶ崎の海岸の岩礁の最短距離の位置に停めましたので、あまり歩くこともなく、照ヶ崎海岸のアオバトの撮影スポットへ到着しました。※海側からの南寄りの強い風が吹いており、照が崎海岸の岩礁には丁度いい波が被り波飛沫のアオバトの海水飲みシーンを撮影することが出来ました。
午前11時半頃までアオバトの海水飲みを撮り、観光がてらに小田原へ向かいましたが、残念ながら小田原市内の老舗の達磨料理店と外郎本舗共(ういろうの発祥の店(代々の店主の名前が外郎〈ういろう〉であり、現在は名古屋の名物として知られているが、パクったものと言われている)であり、元々薬屋さんで現在も薬屋さんの商いをしている)に定休日食べることも出来ずお土産も買うことも出来ませんでした。※昔は海岸線の国道1号線を走ると、相模湾で獲れる地魚料理を食べさせてくれるお店が多数点在していましたが、現在は殆んど無くなってしまいました。※仕方なくお昼は平塚の高砂近くの和食の店に入り、ちょっと贅沢な昼食を摂ることにしましたが、ケリとタゲリの生息している場所の近くだったため、昼食後お店を出るとあまり移動することなく忽ち現地へ到着しました。※全く待つこともなく、ケリが現れると、稲刈りの終わった田んぼにいるケリを摂ることが出来ました。※ケリは撮影することが出来ましたが、田んぼの稲の刈り取りが最盛期を迎えてり、相当数の稲刈り取り機械が稼働しており、流石にタゲリは何処かに行ってしまったようです。
有限会社だるま料理店が運営・・・(日本料理店)
地元の網元だった廣澤仁三郎が創業した、料理店である。仁三郎は金沢の達磨(たつま)勘兵衛の次男として生まれたが、小田原の割烹「天利」を営む廣澤家に養子として入り、1893年(明治26年)に足柄下郡小田原大手前(現:神奈川県小田原市本町2丁目)でこの店を創業した。※屋号の「だるま」は、仁三郎の旧姓に由来する。
相模湾で捕れた魚介類を中心に、刺身、寿司、天ぷらなどの日本料理を供している。本町2丁目の本店のほか、支店として同じ小田原市内にある本町1丁目の小田原市民会館食堂、早川の小田原漁港内「魚市場食堂」がある。※こうした建築年代や意匠から、2002年(平成14年)には「だるま料理店主屋」として国の登録有形文化財に登録された。
株式会社ういろう・・・(企業)
神奈川県小田原市にある医薬品(家伝薬)、和菓子メーカーであり、経営する外郎家は中国にルーツを持つとされ、14世紀後半、元の滅亡に際して来日し、当初博多に住み医師を開業したが、その後京都に本拠を移し、医薬業を営む中で家伝の薬、ういろうが知られるようになり、また室町幕府の外交に関与した。※16世紀初頭には一族ないし被官が小田原に移住し、家伝の薬「ういろう」の商いを行った。※江戸時代、外郎家は小田原町の重鎮として宿老を勤め、ういろうは歌舞伎 外郎売の題材として取り上げられ、小田原の観光名所として繁盛した。
明治以降も商いを継続し、現在も家伝薬の「ういろう」と、室町幕府で外交に関与していた時期に外交使節の接待用に考案されたとする菓子の「ういろう」を主力商品として、小田原に本拠地を定めて以降、現在に至るまで500年あまり、東海道沿いの同一の場所で商売を行っている。※城構えの特徴的な店舗であり、店の中に入るとタイムスリップしたかのような雰囲気があり、大昔の薬屋さんのようなので、対応する人達も薬局と「ういろうの販売」を兼ねており、白衣を着ていたりするため、敬語を使いたくなります。
「ういろう」を経営する外郎家は、元の時代の中国に出自を持つと言われているが、南北朝時代から室町時代前半にかけて日本と中国との間の貿易が盛んになり、そのような中で中国から日本に帰化する人々が増えた。※中でも医者や薬種商が多く帰化したとされている。※外郎家も中国から帰化した医薬業の従事者であった。
エッセイ本の製本・・・(初めての経験)
小説等の本を執筆すると、一般的には下記のような工程で専門分野の人達が関り、本が出来上がることは予め知っていましたが、今回は試験的に自作の製本に拘り、作成することにしました。※構成と校閲の違い、校正: 表記の誤りを正すこと。校閲: 内容の誤りを正すこと。事実や社会通念など、原稿の「外」に基準を置いた確認作業。※一人て作業をしていると思い込みがあり、何度読み直したりしても誤りが見つけ難く、本来は専門分野の人に頼むのが本質である。
1 本が出版されるまでの流れ
- 1.1 ① 「下準備」の期間=本の内容についてや構成案の提示
- 1.1.1 本の企画案の作り方
- 1.1.2 構成案の作り方
- 1.2 ② 「原稿作成」の期間=取材~執筆・編集作業
- 1.2.1 取材・執筆について
- 1.2.2 素材選定や編集作業
- 1.3 ③ 「制作」期間=ページレイアウトや校正
- 1.3.1 タイトル・コピー案を決定
- 1.3.2 書籍にあったデザイン案を決定
- 1.4 ④ 「発行」期間=印刷会社へ入稿~見本完成・販売
- 1.4.1 印刷の種類
「下準備」= 本の内容についてや構成案の提示、「原稿作成」=取材~執筆・編集作業、「制作」=ページレイアウトや校正、「発行」=印刷会社へ入稿~見本完成・販売
約二年前に書いたエッセイ本を自作(誰にも教えて貰った訳でもなく、全くの自己流での製本です)で製本し、まあこそこその出来上がりとなり、自分では満足しています。※エッセイ本の本文の纏め方に多少苦労しましたが、最終的には穴の開いた本文に紙(プラスチックは経年劣化が心配されるため、紙を紙で束ねる頬を選択しました)を通し纏めることにしました。自分なりの評価としてスマートに製本が出来たと思っているが、専門家が見ればいろいろ指摘事項はあるかも知れません。
野鳥写真四人展開催案内ポスター・・・(定例外)
初めて開催する施設でのTTWPC野鳥写真四人展を小規模(我々のクラブのイベント開催のポリシィーとは若干違うが・・・)ながら開催いたします。※今回施設側との調整が出来ましたので、今後も継続展示が出来るのかクラブ内で検討していくことにしています。
野鳥写真四人展開催案内ハガキ・・・(定例外)
10/1日(火)~16日(水)の16日間、東京多摩野鳥写真クラブのメンバーによる野鳥写真四人展を急遽定例外で開催することになりましたので、上記開催案内通りご案内申し上げます。※今回初めての施設(設備の整った公共施設)のお世話になり、野鳥写真展を開催する運びとなりましたが、11月の定例「TAKAO 599 MUSEUM写真展」同様にご覧頂ければ幸いです。※生刻み玉ネギの入った八王子ラーメンも施設内で食べられます。
展示枚数は多くはありませんが、初めて開催する展示施設なので、我々の写真展にご来場して頂いている来場者とは全く違う層のお客様がご覧になると思われるため、取り敢えずは16日間飾りぱっなしの展示方法を取りますので、施設に来場される方々に先ずは我々のクラブの活動等を知って頂くことが、開催目的の一つとなります。※施設の展示スペース(前回訪れた時も展示スペースには何も飾られてなく、展示スペースは常に何等かの展示仏が飾られているべきと考えます)が多くの写真などで飾られていることも目的の一つです。
野鳥写真四人展-Ⅱ開催案内ポスター・・・(第二段!)
初めて開催する施設でのTTWPC野鳥写真四人展-Ⅱを小規模(我々のクラブのイベント開催のポリシィーとは若干違うが・・・)ながら開催いたします。
野鳥写真四人展-Ⅱ開催案内ハガキ・・・(定例外)
今回は自分自身の作品を飾ることはありませんが、❝野鳥写真四人展❞として"TTWPC主催し、11月の「TAKAO 599 MISEUMギャラリー」でのフルスペックの野鳥写真展開催する前に、クラブのメンバーによる小写真展を開催することにしました。また引き続き10/17~31日の15日間に❝野鳥写真四人展 パートⅡ❞を開催することにしています。※先日施設にお邪魔すると、16以降はイベント開催が決まっているのかと聞くと何も決まっていないと言うことなので、引き続き展示スペースを借りることにし、第二段の❝野鳥写真四人展 -Ⅱ❞を開催することにしているが、本日施設に出向き申し込みをしてきましたので、書類の提出をし本決まりとなりました。
北の親分さんのオオワシの画像・・・(冬鳥の肉の天然記念物)
12月頃になるとシベリヤなどから渡って来ている国内最大の猛禽類に君臨しているオオワシであり、北海道道東に多くの個体が越冬のために渡来し生息しています。※インパクトのあるオオワシの止まりものの画像、A1ポスターサイズ(客寄せパンダとなれば・・・)を入口付近に飾る予定としています。
第二十三回TTWPC写真展開催・・・(開催日程決定)
展示会場と開催期間が決定しましたが、開催日程は11月25日(月)~30日(土)(6日間)に開催することになりました。※開催日程(仮予約が本決まりになりました)が本日8月1日(11月分の決定日となっていた)に展示会場の予約が取れたため、先日の世話役会を開催し、正式に決定する運びとなりました。※先日の世話役会で決定事項を参加者全員に徹底するため、全体ミーティングを9/17日に開催することにしている。
第二十三回東京多摩野鳥写真クラブ 写真展開催案内ポスター・・・(開催日程決定した)
第二十三回東京多摩野鳥写真クラブ 写真展開催案内ハガキ・・・(開催日程決定した)
次回の写真展展示予定の画像・・・(11月開催)
出来る限り珍しくもない野鳥群と花絡みの作品群を展示予定にしていますが、予定は飽くまで未定であり、まだ全くの白紙でありますので、実際に出展するかどうかは分かりません。※展示予定の野鳥と花木や草花「花鳥図」の被写体の野鳥も花も同じものはなく、ここ数回の展示作品群のテーマを決めて出展している。
次回展示予定の作品群・・・(あまりフォーカスされることのない野鳥達と花絡みの写真)
人気のない野鳥達と花が絡んだ作品(野鳥と花シリーズ)のみを展示する予定としているが、現在のところ全くの白紙ですので、どうなるかは不明です。※①アトリと白梅の花、➁ジョウビタキと菜の花、⓷ジョウビタキと桃の花、➃ウグイスと藤の花、⑤ホオジロハクセキレイとジャスミンの花、⑥コウゲンモズ♀と洲桃の花、⑦コゲラと白木蓮の花、⑧ホトトギスとニセアカシアの花、⑨チゴモズとオオデマリの花、⑩ リュウキュウヒヨドリとデイゴの花、⑪カワセミとナノイバラの花、⑫ツバメ雛達と大蓮の花、⑬ホオアカとイブキトラノオの花、⑭セッカと蒲の穂、⑮カワラヒワとコスモスの花等の野鳥達と花シリーズの作品ですが、あまり写真展などに出展されない野鳥達にフォーカスした花木や草花の花絡みシーンを展示することを考えています。※三点(ホオジロハクセキレイとリュウキュウヒヨドリ)・(チゴモズ)を除けば、殆んどが市内で観られる野鳥ばかりで、花の咲く順番に投稿している。
次回の写真展展示予定の画像・・・(11月開催)
コウゲンモズ♂の画像・・・(洲桃の花)
Canon EOS7Dmark EF400mm F2.8L Ⅱ×1.4Ⅲ(TC ) M-AF F/D896㎜ SS1/800 F8 ISO400 W/B太陽光
ホオジロハクセキレイの画像・・・(通称:ウインターコスモスの花)※ビデンス
Nikon D500 200-500mm F5.6 M-AF F/D 750mm SS1/640 F8 ISO800 W/B晴天
セッカの画像・・・(蒲の穂は蒲の花)
Cannon EOS7D markⅡ EF600mm F4 L M-AF F/D 840mm SS1/1250 F8 ISO1000 W/B太陽光
カワラヒワの画像・・・(コスモスの花)
Nikon D500 200-500mm F5.6 M-AF F/D 750mm SS1/1600 F8 ISO800 W/B晴天
まだ、24~5点の野鳥と花絡みの画像がありますが、次回は馴染み深い野鳥達と花絡みに絞って出展を考えており、ノグチゲラとデイゴの花・オオカラモズと杏子の花・ニシオジロビタキとソメイヨシノの花・イスカとオニグルミの花・ヤツガシラとウインターコスモス等の他に野鳥達と花絡みの画像(花鳥図)があります。※その他猛禽類やサギ類の花絡み画像もあり、カワセミだけでも15点ほどの花絡みの画像も保有しています。※何でもないその辺に生息している野鳥でも花が絡むと、同じ野鳥写真でも一段上のもの(作品のクォリティーが上がり、観る者にとって感動を与えられるかも知れない)になるのが不思議である。※何シーズンか忘れましたが、花絡みに拘って撮影した画像ですが、野鳥と花木や草花が絡むと一段上の野鳥写真(花鳥図)となります。