野鳥と野鳥写真(観察と展示)

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道東風連湖の凍結状況・・・(1/4日、現在の状況)

2022-01-04 14:50:17 | 野鳥写真

まだ正月も松の内なので、年賀はがきを添付・・・(アケオメ)

 旧年中はいろいろとお世話になり有難うございました。新年を迎えるに当たり、皆様方のご多幸をお祈りいたしますとともに、今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

現在の道東根室市風連湖の状況・・・(オオワシの渡来数も例年並み)

 今年は例年になく気温の高い日が続いたため、風蓮湖の凍るのが遅く、漁が始まるのも遅れていました。根室市の根室振興局も風連湖の真冬の氷下待ち網漁を観光の目玉としている。

氷下待ち網漁の収穫風景の画像・・・(昔が続く伝統漁業)

 風蓮湖が凍りつく冬に 遠くロシアから、国内最大級の大きさを誇る野鳥「オオワシ」がやってきます。伝統漁法の「氷下待ち網漁」と、そのおこぼれを狙うオオワシやオジロワシ達の姿は根室の冬の風物詩です。又、珍しいカモ類や小鳥など多くの渡り鳥が冬、根室湾の周辺にやってきます。

多い時には約1000羽近くの北の猛禽類が集まっている・・・(周囲の林が休息場や塒となつている)

ユキホオジロの群も渡来している・・・(根室湾内を移動しているため、探すのも楽しみだ)

道東の各地でシマエナガも見られるようになっている・・・(雪の妖精)

タンチョウの珍しい二羽の子育て・・・(風連湖近くの海岸)

 

 道の駅の前の風連湖では氷結した湖面にスノーモービルが走るようになり、いよいよ真冬の風物詩の氷下待ち網漁が行われるようになっているようだが、レイクサンセットの前もあと数日で全面結氷することになりそうだと、こちらでも氷下待ち網漁が始まりそうだと、ここニ三日で氷結している上をスノーモービルや軽四のトラックが走るようだと店主が話していた。※11月に遠征した時には驚くほどの暖かさで、本格的な防寒着を着ていなくても外出できた程でしたが、流石に年を跨ぐと道東にも寒波が押し寄せてきているらしいく、既に一部は凍って居りようだが、風連湖も全面凍り始めているようだ。

 オオワシの渡来状況も例年並みの個体数が入って来ているようだと確認が取れましたが、いよいよ道東にも本格的な冬の寒さがやって来てくると、風連湖や周辺が氷の世界に覆われることになって来ているようだ。※北海道だけでなく、ロシア方面(餌が獲れなくならないと・・・)も本格的に寒くならないと、越冬のためにオオワシ達は渡来して来ないので、徐々に個体数(本日の現地情報入手)が増えて来ていると言っていたため、道東にも本格的な冬が来ていると思われる。

 この時期の風連湖は全面結氷している上に雪が積もり、その上に三脚を立てて撮影して30分もすると、足ののつま先や手の指の感覚がなくなって来ることがありますので、少し風が吹いていると体感温度は-20度にはなっているため、我慢できずに温めているコテージの部屋の中に飛び込み暖を取らないと撮影でまない。※北海道の他の地域と違い、降雪や積雪量は少ないが、常に風が吹いているためなのか、気温は低く体感温度は厳しいものがある。※又、風連湖には周年でタンチョウが棲みついているため、運がよければ親子連れのタンチョウにも出会えるかも知れない。※よく行くコテージのタンチョウは子育てに二回失敗し、タンチョウは見られるが子供は連れていない。

 流石に風連湖にはオオワシ達が相当数渡来して来ているため、狙っているオオワシを撮り損ねても、次々とオオワシが漁師さん達が撒いた小魚(売りものにならないサイズの小魚)を捕食に周囲の林から飛んで来るので、10分や15分程度休憩しても被写体は幾らでもいるため、こんな贅沢な撮影ポイントは他にはない。※北の大型の猛禽類(オオワシとオジロワシ)を撮影するスポットとしては、これ以上のところはないと思っている。

他の地域の積雪情報・・・(松之山周辺)

まだ国道や県道はいい方で、市町村道となるともっと他変なことになっている筈てす。

 ニュースでも取り上げられているため、既にごご存知の方が多いかも知れませんが、新潟県十日町市の松之山温泉や中魚沼郡の津南町、又、近隣の長野県下水内群の栄村は、普段から豪雪地として知られているが、年末から年越しでどか雪が降り、大変なことになっているという、同地域には短期移住などでお世話になったことのある方々がいるため、どうなっているのか心配になります。※前述の三ヶ所は国内でも有数の豪雪地帯なので、想像を遥かに超えて来るほどの積雪があるところとなっている。

 雪国の人達にとって、降雪や積雪は日常茶飯事なので、我々が心配することはありませんが、生活道路は朝の通勤が始まる前に除雪が終わり、場所によっては融雪パイプが敷設されており、快適とは言わないが生活道路は確保されており、玄関先から市町村の道路までの除雪だけが個々の朝の仕事となっている。※東北の秋田で雪国を経験しているため、雪の大変さは分かっているので、雪かきや屋根の雪下ろし(業者に頼むと20,000円が相場だった)と雪投げのご苦労が目に浮かぶようです。※雪国では雪が降らないと、農家では水不足や雪消えのシーズンになると、お金が動かずに不景気(青森市の雪関係の予算が20億円)になってしまいます。

 東京に戻ってくると、息子が小学校の高学年となっていたため、単身赴任の始まる何年かの若い頃は、年末から正月に掛けて、家族で志賀高原近くの渋温泉(金具屋旅館・小石旅館・現在営業停止中の臨仙閣など)に年越しでスキーに出掛けて行きましたので、雪が降らないからと贅沢な悩みを言っていたのが嘘のように思われます。※雪国では雪が降らないと、雪解け水がなくても田植えなどに支障が出ると言うこともあり、ある程度の降雪量は想定している筈ですが、雪に係わる仕事は無駄な行為でもある。※小布施の竹風堂でスキー帰りに栗金時を買って来るのが、我家の恒例となっており、正月に「おせち」として食べていた。※万座や越後湯沢にもよく出掛けていましたが、雪質のことを考えると志賀高原にある各スキー場が一番良かったため、渋温泉の温泉目的もあったので、通い続けるようになりました。

滑り止めの過渡期・・・(スタッドレスタイヤ事態が認知されていなかった時代)

 当時はチェーンを巻いていないと、高速道路が通行できなかったため、スタットレスタイヤを履いていても、関越トンネルを超えたところで滑り止めの点検が行われていると、よく説明(残念ながらスタッドレスタイヤと言う言葉すら一般的になっていない時代)してもチェーンを巻くように注意された。※それから何年も経ってからスタットレスタイヤが一般に認知されることになりスパイクタイヤが使用禁止となり、本格的なスタッドレスタイヤの時代になっていった。※秋田に赴任しているS54年からスタッドレスタイヤ(まだ認知されてなく、イニシャルコスト(ミシュラン製)も驚くほど高かったが、実際に履いて見ると、一度止まってしまうと、チェーンやスパイクタイヤでも登れない坂道発進が出来た)を装着していたが、雪国でも誰も装着していなかった時代でした。※当時マークⅡのFR車だったが、秋田県田沢湖町の乳頭温泉にあるスキー場へ毎週のように出掛けて行っていたが、他の車が登れない坂道もなんなく登っていくことが出来ていた。