神なる冬

カミナルフユはマヤの遺跡
コンサドーレサポーターなSFファンのブログ(謎)

[SF] 烏有此譚

2010-09-09 23:04:47 | SF
『烏有此譚』 円城塔 (講談社)




タイトルは「うゆうしたん」と読むらしいが、別に読めなくてもいいらしい。というか、音読することを想定していないというか。あえて読むならば、「いずくんぞこはのなしあらんや」であり、こんな話あるわけがないという意味である。

上段に小説が書かれ、下段には小説中の言葉の注が記載されるという体裁。雑誌連載時には注は無かったというのだが、この注が実に博学でおもしろい。小説の内容とは無関係に(いや、関係があるのか?)あっちこっちへ思索が飛び回る。

実はこの注は、単行本化するにあたり、短編1本では薄すぎるが、抱き合わせる作品が他にないので、苦肉の策で作り上げられたものではないかと邪推していたりするのだが、その注がメインの小説を喰ってしまうほどおもしろいのだから、これは怪我の巧妙か、孔明の罠か。

注のことばかり語っても、注の注を際限なく繰り返すようで芸がないので、メインの小説部分について考えたことを書いてみる。



この小説にはふたつの章がある。“二”と“曰”である。

注を読み解くと、これはどうも“2”と“いわく”ではなく、図形であるらしい。また、曰の横棒が繋がっていないのは、本当か嘘かわからないが、著者が気付いていなかったからだという。

ということであれば、これは“〓”と“日”が正しいことになる。そして、これを重ねると、“日”の隙間(穴)が“〓”で埋まり、“■”になるのである。

まぁ、ここまでは、注を普通に読めば読み取れる話である。

では、この図形が章のタイトルに使われている意味は何だろう。

日の章は降り積もる灰の中をさまようヒトガタの穴の話である。二つの穴が出会うとどうなるだろうなどという問答を繰り返しながらも、二つの穴は出会ったのか出会っていないのかがよくわからない。しかし、穴の話であることは確かである。

最終的に、穴は内側と外側をひっくり返して世界を作る。灰は人、もしくはヒトガタの中に降り続いていたので、外側のヒトガタは世界のどこかに再びヒトガタの穴として存在するようになったかもしれない。そしてその中にも、灰は降り続いているのかもしれない。

では、〓の章は何か。日と〓が組み合わさって■になるならば、これは日の章の穴を埋めるべきものなのだろう。日の穴がヒトガタなのであれば、〓のひとつの棒は人そのものに違いない。これが〓の章の主人公だろう。それならば、もうひとつの棒はだれか?

普通に〓の章から日の章へ読み進めれば、〓の章に出てくる末高が、体内に灰が降り積もるという症状を呈している以上、日の章の外側は末高であるというのが素直な読み方である。しかし、章の終盤にいたって子供の末高が登場するにいたり、素直に受け入れがたいものになってくる。

日の章で、僕は世界をひっくり返し、世界を創造し、おそらくノアになる。日の内側と外側がひっくり返れば、それはすなわち〓である。したがって、日の章の後に〓の章が繋がるというのが正しい読み方ではないか。

そして、さらに育った末高の中に灰が降り、再び世界をひっくり返し、また世界が生まれ、穴が生まれる。

そうして世界は続いていくのだろう。



あ、あと、緑(みどり)じゃなくて縁(ふち)なんじゃね?
……とか思ったり。