神なる冬

カミナルフユはマヤの遺跡
コンサドーレサポーターなSFファンのブログ(謎)

[SF] 地球保護区

2009-12-02 22:53:13 | SF
『地球保護区』 小林めぐみ (ハヤカワ文庫SF)




読み終えたのは2、3日前なのだが、うまく感想がまとまらない。
いろいろと考えることがありすぎて、支離滅裂になる。

この小説自体は、そんな小難しい話ではなく、「天才の遺伝子からおちこぼれを作る」という素っ頓狂な実験の結果である主人公が、自然保護区と化した地球で、ボーイミーツガールあり、突然変異のモンスターあり、エディプスコンプレックスあり、意地悪婆さんありの、波乱万丈な自分探しの旅を行うという、軽い話。

それでも、あるいはそれゆえに、物語の中にちりばめられた重たいテーマが心に引っかかって消化されない。


人間のせいで一度は滅びかけた地球は保護区として厳重な管理下に置かれていた。
しかし、実際には、地球の地上では、まるで発展途上国のような文明レベルの住民が明日をも知れぬ暮らしを続けていた。

500年の間に、植物相が復興し始めた地球へ勝手に住み着き始めた“新地求人”と、500年前の破滅を繰り返さないために地球を無人の保護区のままにしておきたい地球外“地球系人”との軋轢。

SF的なガジェットはそろっているのだが、物語はどちらかというと、主人公の成長というか、自分探しの旅。その旅の中で、ジャングルの中の貧しい国をどうにかして救おうとしたマッドサイエンティストな男の真実の姿が浮かびあがってくる。そして、その遺伝子を持つ、主人公の少年の新しい道も示される。

主人公の旅の背景として描かれるものは、圧倒的な自然の回復力と、しかし、それを上回る人間の破壊力。
そして、生命をかけてでも故郷へ戻りたいという地球系人と、復興途上の過酷な環境で生命をかけている新地求人。
そんな理不尽な行動を納得させるだけの、復興途上にもかかわらず、豊饒な大地の景色。


エコエコと最近騒がしいが、そんなに環境保護が大事ならば、人間こそ滅んでしまえというのは60年代から繰り返されたネタであり、珍しくもないが、地球を守りたい地球系人と、そうは言っても生きていかなければならない新地球人の対立は現在、今この時点での問題でもある。

アマゾン樹林の伐採や、地下水脈の枯渇はどこまで許されるのか。それは“誰が”許すのか?
よりよい生活のためとか、上がりすぎた生活水準を維持するためとかを、“誰が”批判できるのか?
今日の暮らしを選ぶのか、明日の環境保護を選ぶのか。そもそも、そんな選択の余地などない人たちはどうするべきなのか?

答えの出ない問題は、“魔法の力”であっさりと問題ごと葬られてしまい、未来に開かれたエンディングがさわやかな読後感をもたらしてくれる。しかし、突きつけられた問題意識は、魚の骨のように喉に引っかかって飲み込めない。


タイミング良く、なのか、悪くなのか、温暖化の証拠とされた有名なデータに捏造の可能性が出てきたり。

「温暖化は捏造」論争が過熱:メール流出で(WIRED VISION) - goo ニュース

だからなんだということはなく、結論も無いのだけれど、エコを考えるときには、未だに地球の反対側で焼畑農耕を続けている人々のことを忘れてはいけないという認識を強くした。