迎え盆・送り盆13日の夕方か夜に菩提寺とお墓に参り、祖先の霊を迎えます。これを[精霊(しょらい)迎え]と言います。
この時に霊が迷わず帰ってこられるように焚くのが[迎え火] です。地方によってはお墓からの道筋に、たくさんの松明を灯す所もあります。
そして、16日は送り盆です。この日に、お盆の間一緒にすごした祖先の霊を送 り出すことを[精霊送り]と言います。
この時に[送り火]を焚くことも広く行われています。京都の[大文字焼き]も送り火の一つなのです。黒瀬も昔(父母)はお墓に数十個の提灯を下げた記憶がありますが。陵墓と小さい部屋では昔通の家庭と通りには馴染まないようです。
初盆
陵墓(納骨堂)は、お盆の3日間は陵墓側で提灯飾りして有るそうです、個人のお飾りをしたい場合は御参拝の時だけ提灯の貸し出しは、有るとの事
故人の四十九日の忌明け後、初めて迎えるお盆を[新盆]といいます。アラボン、ニュウボン、アラソンジョ、ニイジョウロ、ネジョウレイなどと呼ぶこともあ るそうです。
普段のお盆よりも手厚く供養するのは、人の情として自然なことでしょう。新盆には親戚や縁者から盆提灯が送られます。
地域によって異なりますが、 何も絵柄のない白張提灯を新盆の時だけ使い、送り火で燃やしたりお寺へおさめたりする風習があるようです。毎年のお盆には秋草の模様などの入った提灯を使 います。
初盆
葬儀のあと、初めて迎えるお盆のことを一般には「初盆」、「新盆」とも呼びますが、この中陰のあいだにくるお盆に対しても、「特別なお勤めをする」ということはありません。
お仏壇に季節の果物や菓子などをお供えし、花を美しく飾り、お盆の夏休みを利用して帰ってきた兄弟や親戚の人たちみんなそろってお墓参りをするという、毎年のお盆と同じようにお勤めしていただいて結構ですとの事。
浄土真宗のみ教えに生きたご先祖は、迷いの世界からお盆の時だけ帰ってきて、子孫の供養をうけるような方々ではありません。
浄土真宗のみ教えに生きたご先祖とは、阿弥陀如来さまの本願力によって、既にさとりの世界であるお浄土に生まれ、常に私たちを見護り、導いてくださる『仏さま』なのです。
地獄に落ちる心配の絶対ない南無阿弥陀仏の救いのうちにあることを思い、更に喜ぶのが「お盆の法要(歓喜会)」とされているのです。
日本人の年中行事の中で、お盆ほど宗教的な香りの高い行事はないのではないでしょうか。
毎年毎年、お盆といっては、お仏壇をかざり、お供え物をしたり、僧侶にお経をあげてもらったり、お墓参りをしたりして、亡くなったご先祖を敬い、なつかしむ
かつては、迎え火を焚き、送り火を焚き、「地獄の釜の蓋があく日」といっては、盆おどりを楽しみ、今日でも、日ごろ疎遠な子供たちも喜々として故郷へ帰ってくる様は、理屈なしに「すばらしい行事である」と思います。確か父母の初盆は夕方にお墓に行き何十個の提灯を吊るしたように思いますが。仏間も狭く提灯を頂いても飾れない。よって上記の文章参考に提灯は幾つも飾りません。使用しません。と言うより精神的病と言うより世間の常識が知らない、身体をコントロール出来ないのが事実です。参考文例も色々のようですが。お盆も心だと思いますので姉妹の心を傷つける事があっては成らないと迷っています。
仏壇に供えて悪い花。トゲのある花②毒のある花③臭いの悪い花
「お仏壇」とは「故人」を祀るものではなく「ご本尊(正面の仏様)」に対して手を合わせる為のものですので、先に述べた3つの条件に当てはまらなければ、「和花」「洋花」にとらわれずお供えしても大丈夫です。浄土真宗では金子みすゞさんの「みんなちがってみんないい」というフレーズで、阿弥陀経を説明されることがあります。
青い花は青く、黄色い花は黄色に輝きます、であるならば、棘のある花は棘のあるままで輝くことができるのが浄土でしょう。