明日元気になれ。―part2

毎日いろいろあるけれど、とりあえずご飯と酒がおいしけりゃ、
明日もなんとかなるんじゃないか?

昭和の文学がたまらない!

2011-09-07 15:04:36 | 
このところ、ライターらしく真面目にパソコンに向かい続けている。

8月末に2度東京へ行き、怒涛の出張取材を終え、先週はひたすら原稿を書いていた。
今週はヒマかと思えば、細かい仕事がちょこちょこ入るものだから、とにかく午後はずっとパソコンの前。
しかし、仕事があることはそれだけで幸せである

パソコンの前に長時間いると、休憩中についやってしまうのがネットサーフィン。
(ネットサーフィンって、もしかして死語?)
何を見ているのかといえば、ひたすらおいしそうな店や料理のレシピを見ている。

全く飽きない。

美容院でも、ファッション雑誌を渡されるとパラパラ見て2、3分で終わるのに、
ミーツとかオレンジページとかを渡されるとずーっと見ている。
おいしそうなレシピなどは暗記しようと何分間も眺めている。

いよいよ美容師さんが「あの・・・雑誌替えなくていいですか?」と聞きに来る始末・・・

そういえば、最近おいしいもの食べに行ってないなぁ。
今は無性に立ち呑みに行きたい(笑)
濃い目のアテをちまちまと食べつつ、立って日本酒呑みたい。

もしくは、ブルースの流れるバーで、バーボン呑みたい。

ちなみに今は、B.Bキングの「Live at the regal」聴きながら、東洋美人のひやおろしを呑んでいる。
開栓4日目。
めちゃくちゃ味がのってきて、たまらん

たまらんといえば、ちょっと前に書いていたけど、川端康成の『古都』を久しぶりに読み返した。
間に『みをつくし料理帖』の最新刊を挟んでしまったので、読み終えたのは東京から帰る新幹線の中だった。

それから今、自分の中で川端ブーム再来!

やっぱり素晴らしい。
新幹線の中で、何度も何度もじわじわと浮かんでくる涙を抑えた。

ストーリーが悲しいとか感動的だとかいう理由で泣くことはよくあるが、
文章の美しさにしみじみと感動して涙が出てしまうなんてこと、川端作品以外にはないかもしれない。

古都・・・京都を舞台にした、二人の女性の物語。
日本人の情緒、京都の雅やかな文化、美しい四季の風景・・・

たぶん、自分がこの住み慣れた町や自然を想い、愛しいと思うときの気持ちに近い。

あとがきでわかったことだが、この『古都』を書き終えた後、川端氏は入院している。
書いている前から、書いている間もずっと睡眠薬を多用していたようだ。

『古都』執筆期間のいろんなことの記憶は多く失われていて、不気味なほとであった。
(中略)
眠り薬に酔って、うつつないありさまで書いた。
眠り薬が書かせたようなものであったろうか。


そんなこともあとがきで書いている。

後で校正をする際、行文のみだれ、調子の狂いを自分自身で感じたようだが、
「かえってこの作品の特色となっていると思えるものはそのまま残した」らしい。

そういう、何か精神が夢うつつの間をさまよっていた間に書いたからなのか、
妖しいほどの美しさがこの作品には秘められている。

脆くて、尊くて、愛おしくて。

そんなふうに思うのは私だけではないようで、いろんな人のレビューを読んでみると、
この作品の価値の高さがよくわかる。
私のような川端好きは、『古都』に対しての評価が非常に高いようだ。
これこそが、川端文学なのだ、と。

この作品が朝日新聞に連載されたのは、昭和36年。
それを知って、なんだか不思議な気持ちになるのは私だけか?
たった50年前の話なのに、今の日本にはこんな情緒はまったくない。
わずか50年で違う国のようになってしまった。
もちろん、良くなった面も多々あるのだろうが・・・

次は『山の音』を再読しようか、『千羽鶴』にしようか、『川のある下町の話』にしようかと、
しばらくは川端再読フェアが続く様子。

やっぱり自分はこの頃の文学から遠く離れることはできないと、痛切に感じる。