明日元気になれ。―part2

毎日いろいろあるけれど、とりあえずご飯と酒がおいしけりゃ、
明日もなんとかなるんじゃないか?

雑談。

2008-08-01 22:49:44 | 想い
どうやら熱帯夜が続いているようだが、ありがたいことに我が家の夜は涼しい。
まだクーラーをつけて寝たことは一度もないし、窓を開けていれば扇風機すらいらない夜もある。
昨日も最初は扇風機をつけていたのだけど、寒くて眠れず、消して布団をかぶって寝た。

世間では「エアコンのタイマーが切れるたびに目が覚める」といった話も聞く。
そう考えると、本当にありがたいことだ。
おかげで、7月の電気代も5000円程度だった。
(夜だけでなく、昼間も私はクーラーをつけることがない)

これはたぶん、土のおかげだと思う。
家の横が田んぼなので、入ってくる風が冷たいのだ。
アスファルトなんか全部はがしてしまえば、日本はもっと涼しくなるのに。

我が家は酒飲みだが、わりとエコ家庭で、
休みの日でもあまりクーラーをつけず、二人で首に保冷剤を巻いて過ごしたりする。
これが意外に効くのだ。
まあ、昼間っから冷たいビールは飲むけどね

腰の具合は、良くなったり悪くなったり。
昨日は久しぶりに授業も取材もなく、湿布を貼って過ごしていたら、かなり良くなった。仕事もバリバリはかどった。
それが、今日は朝から授業で、その後、取材。
帰って来たら、また悪化していて、しばらく座ることもできなかった。
また湿布を貼って、少し休んで、今は少しマシ。

仕事は、全く途切れることがなく、次から次へと入ってくる。
なくなったら営業しようと思っているのだが、なくなるどころか延々と続くので、この2ヶ月ほど営業もしたことがない。

みんな私のスケジュールを管理しているんじゃないかと思うほど、
うまい具合にちょっと空いた隙間にも仕事をねじこんでくる。

男に生まれたかったなぁとよく思う。
そうしたら、家のことなど気にせず、バリバリ仕事ができるのに。
夫は仕事が忙しくなれば、それに集中して何時まででも働ける。
私は、仕事がどんなに押してきても、洗濯や掃除をさぼるわけにはいかない。
料理は「食べてきて!」で済むけれど、それでも自分が食べた後は片付けもあるし、ゴミ捨てもある。

だいたい私は夜中の11時~12時くらいに床掃除をする。
1日の汚れを拭い去るように、フローリングの床を拭いていく。
夏は裸足でいるので、足の裏がベタベタするのがイヤなのだ。
それでも、毎日拭いているのに、必ず汚れる。なぜなんだろう。

今週はお弁当をさぼっているので、せめて朝ごはんはちゃんとしたものをと思い、それから料理もする。
そんな後にまた仕事をするので、結局寝るのは2時、3時になる。
朝になれば彼の朝ごはんを作って、洗い物をして、花に水をやって、洗濯をして、それからやっと自分の仕事ができる。

別にこれは彼に対する文句ではない。
私は男の人が家事をするなんて大嫌いなので、分担しようなんていう考えは全くない。
家事は結婚する前からずっとやってきたことだし、特に負担に感じているわけでもない。
ただ、「夫」という存在ができて、それをそばで見ていると、本当に羨ましくなるのだ。仕事をする身として。
朝はギリギリまで寝ていて、座れば朝ごはんが出てくる。
洗濯はしなくても、いつも洗いたての洋服があって。
帰ってくれば、いつも部屋はピカピカで。
ゴミの日を気にしなくてもよくて。
仕事に集中できる。

昔から言っているけど、本当にお手伝いさんを雇いたい。
雇う余裕がないうえに、家がちゃんとしていないと気がすまないから、仕方なく自分でやっているが、誰かやってくれるならどんなにいいかと思う。
仕事に集中したい。

でも、家事も好きなんだなぁ、これが。
床を磨いているときが、本当に落ち着く。
そう考えると、やっぱりこの生活がベストなのか?!

毎日、そんなことを思いながら、床を磨いている。
もうすぐまた床磨きタイムがやってくる。

こんな意味のないことを延々と考えているのは、
十分な仕事ができないことがストレスになっているからだ。

例えば、塾の夏期講習に新しい生徒が入ってきて、
その生徒がまたとんでもないおバカさんで。
因数分解をやったことがないのに、二次方程式を教えても意味がない。

相談して、個別の選択授業をとってもらうことにしたが、
その子を自分では見る余裕がない。
本当なら、私が教えたいのだ。
自慢じゃないが、おバカを教えることに関しては誰にも負ける気がしない。
さっさと教えて、できるようにしてあげたい。

今日も授業のときに、前はみんなが1枚終わるまでに2問くらいしかできなかったプリントが、3分の2くらいまで終わることができた。
「だいぶん進んだやん!」
と私が言ったら、まんざらでもないようで、
「前よりできるようになった」と嬉しそうだった。

そういうのを見ていると、なんとかしてあげたいと切実に思う。
思うのだけど、時間がない。
このジレンマ。

今、新しい講師を3人育てている。
みんないい人ばっかりで、それに関しては何のストレスも不安もない。
ベテランの講師がみんな抜けて、ひのきはどうなるんだろうかと心配していたが、なんということはない。
自分が抜けたときも思ったけれど、組織ってそんなもんなんだなぁ。
中心人物が抜けたって、誰かがちゃんと代わりをやって、まわり続ける。
今年も私がいなくても、たぶんやっていけただろう。
私の役割は、ひのきの精神を伝えることと、より生徒に満足してもらうことであって、まわらなくてつぶれてしまうということはなかっただろうと今は思える。
それくらい、みんないい人ばかりで、熱心にやってくれている。
夏期講習も順調だ。

仕事はうまくいっている。
ライター仕事はもちろん楽しい。
まだ、自分がこの世界で求めてもらえていることを感じられる。

だけど、ふと、立ち止まる。
自分が書きたかったものはなんだったのか。
次に仕事が落ち着いたら書いてみようと思ったときから、仕事が止まらなくなった。
これは、まだ私にライターを続けろというサインなのか。
それとも、これを断ち切っても書く勇気をもてということなのか。

そんなことをよく考える。

文章を書かなくなる生活。
それは一体どんなものなんだろう。
まだ想像はつかない。

ご飯を食べたり、息をしたりするのと同じように、ずっと書き続けてきたから。
私には守りたいものが多すぎる。
理想が大きすぎて、現実の自分のもっている力に失望することが多い。
「想い」だけでは、人は動けないものなんだろうか。
あれもしたい、これもしたいで、何もできない、ただ生活に追われている自分がいる。