伏見区の「森林総合研究所・関西支所」のメタセコイア並木道

2012-05-23 01:14:14 | 植物と動物

 メタセコイアについては、本ブログ242号(2011年11月28日分)で滋賀県「マキノ高原500本並木道」、武田薬品「京都薬用植物園」、日本新薬「山科植物資料館」の3ヶ所の紹介をしているが、今回は、伏見区にある独立行政法人「森林総合研究所・関西支所」にある並木道について紹介する。森林総合研究所の全体像についてはホームページ(C-02-05)に近日中に詳しく紹介する予定であり、日本にふたたび伝来してきた過程もブログ(242)に報告しているので、ここでは新しい情報を中心にまとめた。

 建屋への導入道路の両側に数十本植えられて約60年経過しているが、成長が早いので周辺を圧倒する太さと高さになっている。公開施設「樹木林」前の説明板を示すと

地球上から絶滅したかと思われていたメタセコイアは、1945年に中国四川省の奥地で発見され、「生ける化石植物」とも呼ばれている。中国では水分の多い谷間に生育していることから「水杉」とも呼ばれており、日本には1949年に持ち込まれ、ここの並木は1955年に植えられたものである。この木の用途は軽くてもろいため建築材としては利用されず、庭園樹として多く植えられている。

 ここに植えられた1955年はマキノ高原と同じ時期である。嬉しかったのは公開施設「学習室」にメタセコイアの化石の実物が展示されていたことであった。

      

      メタセコイアの化石                 メタセコイアの球果

             メタセコイアの化石 説明板

 当支所の並木になっているメタセコイアは、1945年中国四川省で発見されるまで、化石として知られていただけであった。この化石は第三紀(200万年~4000万年前)に日本で繁茂していたものが地中に埋没し、地下水に溶けたケイ酸塩がしみ込み、つくられたものである。

 球果の中に約20箇の種子ができ、種子は10月頃に熟してこぼれ、風に乗って飛んでいく。数百万年前の化石と次世代の球果(種子)の両方を初めて見学できた旅であった。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿