亀岡の穴太寺訪問と城郭の穴太積みの話題

2011-03-06 23:22:43 | 歴史と散策

 昨年の10月、嵯峨野トロッコ列車に乗り亀岡夢コスモス園を訪問したとき、バスを利用して丹波の里「穴太寺」を訪れた。由来書によると、「穴太寺(あなおうじ)」は飛鳥時代の705年創建の天台宗の寺で、庭園は府指定名勝、建物は府登録文化財・府指定文化財の由緒ある寺院であるが、ゆっくり勉強させていただいた。
    
  2010-10-22-2306 府指定名勝の穴太寺庭園              2010-10-22-3-2310 参詣者の絶えない本堂

 この寺院の名である「穴太」の読みから、すぐに大津市坂本にある穴太の地名を連想したが、この地名は三重県東員町穴太、北九州市八幡区穴太、大阪府八尾市穴太駅、阪急園田駅近くの穴太など各地に存在している。
 とくに、西日本中心に残存する石垣の大部分(約80%)が「穴太積み」と呼ばれる石積みであり、もっとも古いものは大津市の日吉大社にあるが、日本の石積みの歴史は、朝鮮半島・中国大陸・シルクロードを経て伝来してもので、エジプトが起源ともいわれている。

 朝日新聞(2010-11-27)の解説によると、この技術が全国に広がったのは、織田信長が、比叡山延暦寺の焼き討ちに耐えた石垣の技術に感嘆し、安土城の築城に穴太衆(石工集団)を滋賀から呼び寄せたことが評判になり、安土桃山時代に築城した大阪城・淀城・伏見城・会津若松城・高知城など多くの築城に穴太衆が採用されたためと紹介している。
 京都新聞(2009-09-06)の解説によると、穴太積みとは、荒割りした石の割れ面を表に向け、横長に積んだものが代表的で、石と石の間には間積と呼ばれる小石が詰められ、接合面を広くすることにより排水性を高め、耐久性を高めたと説明している。
 最近の報告(歴史都市防災論文集3 2009-06)に「城郭石垣の耐震安全性に関する基礎的研究」が発表されるなど研究が開始されている。また、昨年は大津市坂本の穴太衆の子孫で、石垣の伝統技術を伝承する第14代当主粟田家が建築アートの雑誌社に招かれ、米国カリフォルニア州で、穴太積みの実演を行い話題になった。
 日本の代表的な珍名といわれる「穴太」も、覚えると忘れ難い名前である。


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1 コメント

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Unknown (琉文21)
2011-09-26 23:12:45
穴太を引用させてもらいました。
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