昨年(2007)8月に、第92回世界エスペラント大会が横浜で開催され、世界57ヶ国から1900人のエスペランチストが参加したと新聞が報じた。これは、日本でエスペラント運動が開始されてから100周年(2006)の記念事業として、(財)日本エスペラント学会が招集したものであった。
エスペラント語は、1887年(明治22年)にユダヤ人の眼科医ザメンホッフ氏が、民族や国家の壁を超える国際共通語として考案したもので、その文法や語彙が簡便なため英語圏以外の国から利用が始まり、現在世界に100万人、日本では1万人が使用していると言われている。
私は小学校時代からの切手蒐集マニアで、大学時代でも世界の動物切手の蒐集には、生活費の一部を切手購入に回すほどであった。そのころ、学友(故人)の一人からエスペラント語で世界の人と文通すれば、世界の切手が容易に集まるとのアドバイスを受けた。
当時は、太平洋戦争が終わった6年後のことで、日本は進駐軍の管理下にあり、外国との文通などは考えつかない発想であり、その友人から基礎指導を受けることになった。
最初にいただいたのが「エスペラントの鍵」という小冊子(8×11cm角、30頁)で、小さい活字で簡単な文法とエス和辞書が書かれていた。手のひらに乗る小さな薄い冊子で勉強できるので、夢中になって読み返した。この冊子は世界各国で同じ内容のものであることを知った。
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スエーデンと日本で発行の「エスペラントの鍵」 最初に購入した和エス辞書とテキスト
最小限必要な参考書として、白水社から昭和25年(1950)に発行された「エスペラント第一歩」で、定価150円、昭和26年1月に購入した。そして、(財)日本エスペラント学会から昭和24年(1949)に発行された「新撰和エス辞典」を500円で購入したが、現在も大切に保管している。今から50年以上前の話である。
少し自信ができて、エスペラント新聞に掲載された海外の文通相手を選択し、自己紹介と文通希望内容を記載した手紙の発信を開始した。最初にあった返信はブルガリアのボビスラフさんからで、活字と間違うくらいの筆跡のため理解し易い内容であった。
その後、日本人という珍しさと封筒の表面一杯に日本低額切手や記念切手を貼った美しさが評判を呼び、スエーデン、チェコスロバキア、フインランド、フランス、ブラジルなど世界各国に文通の幅が広がっていった。
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初期に受信した北欧からの手紙 送付されたエスペラント語の小冊子
当時、私は大学を卒業して就職した前後の時期で、最終的にはスエーデンの切手蒐集家のフオルケローゼン氏に絞られ、数年間でかなりの切手交換をおこない、初日カバー切手(切手発行日の消印付封筒)を交換しあう関係となった。
また、国によっては途中で開封を受けたり、左翼運動のパートナーを求める人であったり、日本人形の送付を希望する20歳未満のお嬢さんなどもいた。
そのうちに、私の仕事が多忙となり、相手の希望する切手の調査購入が難しくなってきて、文通は自然に途絶えてしまった。その後切手蒐集を止めたので、エスペラントを思い出す機会はなかったが、新聞記事で国際会議の記事を読み、50年前の記憶がよみがえり、残っていた一部の資料を見直してみた次第である。最近、図書館で小林司氏の「ザメンホフ・世界共通語を創ったユダヤ人医師の物語」を借用し、苦難の道を歩んだザメンホフ氏の生涯を知り感激した。また、京都に平成18年にエスペラント会館が発足してと聞いているが、エスペラントの今後の更なる発展を期待するものである。また、日本で琵琶湖疏水が完成する前の時期に世界に共通するエスペラント語を考案したザメンホフ氏の先見性とその偉業に改めて敬意を表したい。