平成20年2月度紹介予定のホームページの項目

2008-01-28 16:42:58 | 琵琶湖疏水

 ホームページ(http://www.geocities.jp/biwako_sosui/)2月度更新項目(予定)は下記の5件です。よろしくお願いします。

269話・・・分類:散歩道④ 鴨東運河10項(B-04-10) 07-12-30記
       題名:鴨川運河の歴史散策(4)石造物・その他
       要旨:六勝寺の小道に存在する石造物や弁才天の紹介
270話・・・分類:散歩道③ 蹴上周辺14項(B-03-14) 08-01-14記
       題名:蹴上から日向大神宮への散歩道
       要旨:地下鉄蹴上駅から参拝するルートを詳しく紹介
271話・・・分類:散歩道② 山科疏水32項(B-2-32)  08-01-18記
       題目:山科疏水の散策(19)水路工事④
       要旨:連続3年目を迎えた冬季の水路改修工事の細部紹介
272話・・・分類:散歩道① 大津運河10項(B-01-10)  08-01-20記
       題目:小関越え道について
       要旨:北陸海道と東海道の間道の立場から考察を中心に散策記録
273話・・・分類:技術① 建設工事13項(C-01-13)  08-01-24記
       題目:第一トンネルと第一竪坑工事
       要旨:当時の技術背景からみた第一トンネル・第一竪坑工事の考察


我が家の熱帯植物・ペディランツス

2008-01-24 16:45:36 | 植物と動物

 今年の冬も熱帯植物50鉢と一緒に冬越しをしている。一番背の高い鉢は「ゴムの木」の4鉢で、何れも2mを越している。一番大きい葉は、このブログでも紹介した「モンステラ」であるが、今回紹介するのは高さ1.2mに成長した「ペディランツス」である。
 この植物が我が家にやってきたのが末の孫の誕生祝であるから10年目となる。しばらくの間、植物の名前がわからないまま過ごしたが、ある日琵琶湖ホテルに宿泊したとき、浴場の入り口にある廊下で、台に載せられた大鉢に同じ植物が数十本群生してあるのを見学し、その迫力に感激して京都府立植物園を訪ねたら、観覧温室内の砂漠サバンナ植物室の一画に立つ同じ植物を見つけ、その名が「ペディランツス」というトウダイグサ科の植物で、原産地が西インド諸島・南米・メキシコと書かれた説明版があった。
        
       現在室内にある4年目のペディランツス      ベランダの温室内にある2年目の鉢

 ペディランツスの日本名は「大銀龍」で、古くから鉢植えとして親しまれてきたが、育てやすく紅葉が楽しめるので注目されている。茎が節ごとにジグザグに屈曲し、その姿が龍に似ていることから大銀龍の名がついたようである。
 左の写真にある緑色の鉢は、夏が終わったころに鉢を室内に入れたもので、冬になっても紅葉しないまま明るい緑を維持するが、秋の末頃まで戸外で育てて紅葉させてから室内に入れると、右側の写真のように赤くなる。左側の写真にある右鉢のものは緑と赤の中間のものであるが、この植物の耐寒温度は7~10度なので、室内に入れる時期を選べば維持したい色のコントロールが可能である。
 この植物の育成で失敗するのは水のやり過ぎである。熱帯植物であるから日光を好む。
排水のよい土を選び、肥料を少なめとし、春から秋は戸外で日光にあて、冬は窓越しに乾燥した状態で温室または室内に置けば絶対に失敗しない。増やしたいときは剪定した枝の白い樹液を拭いて挿し木すればよい。私の大好きな熱帯植物の一つである。


山科疏水の水路張り替え工事

2008-01-21 21:53:23 | 琵琶湖疏水

 山科疏水は、平成18年1月から水路の水を一定期間止めて、水路表面のコンクリート部の張り替え工事を実施しており、平成19年1月につづいて今年も1月上旬から同上工事を開始している。今年の工事範囲は、藤尾の第一トンネル西口洞門から御陵の第7号橋の間であり、3年間で山科疏水の全面張り替え工事が完了するものと考えられる。
 工事の内容は、工事範囲の通路に沿って遮蔽幕を張り巡らし、底面と壁面の古いコンクリート部分をハンマー打ち機で石積みの面まで穿孔破砕し、破片をショベルカーで集めて小型トラックで外部に排出する。そのあと金網を張ってコンクリートスラリーを流し込み、表面を仕上げて完了する。  
                                                                          藤尾の藤尾橋東側での工事状況       御陵の第7号橋東側での工事状況

今年の工事が完了するのは3月上旬頃と聞いているが、このような全面張り替え工事が見学できるチャンスはきわめて少ないので、興味のある方はぜひ見学することをおすすめする。遮蔽幕の隙間か橋の上から見学可能である。    


55年ぶりの下鴨神社を参拝

2008-01-18 11:53:39 | 歴史と散策

 学生時代に下鴨神社を参拝したとメモに残っているが、あまり記憶に残っていない。近くに住んでいた友人を訪ねたとき、ついでにお詣りしたらしい。平成6年(1994)12月に「古都京都の文化財」17件の一つとして、下鴨神社が世界遺産に指定されたとき、私が一番興味を持ったのは賀茂川と高野川が合流して鴨川になる三角州に位置し、「糺(ただす)の森」という名の京都原生林の中に存在するということであった。また、京都三大祭の葵祭の季節になると、下鴨神社訪問の計画を立てるが、実現に至らなかった。今年の1月10日に好天気の中を55年ぶりに訪問することができた。
 概略コースとして、河原町三条から市バス205番に乗って下鴨神社前で下車し、本殿まわりを見学・参拝し、糺の森にある参道を南下して出町柳にでる道を選んだ。        最初に驚いたことは、大部分の建物が朱色に輝いていることであった。
        
      御手洗川に架かる朱塗りの輪橋          重要文化財に指定されている楼門

私は日本の古い時代から神社や神宮の建物が朱色に塗られていることに素朴な疑問を持ち、調べたことがあるが、災厄を防ぐ色とか生命の躍動を表す色などの解釈が多かった。
朱色というのは天延の辰砂(硫化水銀)の色のことで、高松塚古墳から出た床石に塗られた顔料に硫化水銀が含まれていたとか、京都市埋蔵文化財研究所の調査で、平安京時代の出土瓦の赤色顔料は酸化鉄系の赤土ベンガラであったとか、鉛丹とよばれる硫化鉛顔料も使用されているとか…の記述があるので、神社・神宮で使用された赤色顔料に歴史について少し調べてみたいと思っている。
下鴨神社の本殿は文久3年(1863)に建て替えられたもので、神社建築の代表的な社殿として国宝に指定されている。また、世界遺産選定の基準として、建造物は国宝、庭園は特別名勝を対象としているが、上賀茂神社は国宝2件、重文34件、下鴨神社(正式名は賀茂御祖神社)は国宝2件、重文31件であり、京都指定の中ではトップクラスである。この面からの感想は上賀茂神社の訪問時に併せて考えたい。
 最近の観光案内によると、京都駅から車で1時間半くらい入った美山町には自然に恵まれた由良川や芦生原生林があり、茅葺屋根の民家や原生林の写真が紹介されている。私は出発前に「糺の森」を検索して、賀茂川と高野川の間の三角州にある糺の森という原生林の中に下鴨神社が鎮座しており、糺の森は国の史跡に指定されていることを知った。
 参道から眺めた糺の森は整備された森で、細長い敷地のためか町の騒音が聞こえない環境ではなかった。しかし森に入って細かく観察すると、護岸工事のされていない小川の自然の流れや林立した巨木の下にある中小樹木がバランスしており、昔の原生林の面影を残していた。
        
     糺の森を潤す泉川の自然の流れ          参道を両側から覆う樹林
情報を検索すると「糺の森」の名は、昔この森の神前で裁判をしたことから“糺す=調べる”となってこの呼び名になったようである。この森は、三角州一帯にあった森林の総称で昔は150万坪の原生林であったが、度重なる戦乱や明治4年の社寺上知令によって縮小され、現在の3.6万坪(東京ドームの約3倍)となった。
それでも学問的な価値は大きく旧山代原野の原生樹林を残す唯一の森林で、樹齢200~600年の巨木が600本、総樹木数4700本が存在している。一般の神社の樹林は針葉樹が中心であるが、糺の森は約70%が落葉樹であり、初夏の新緑と晩秋の紅葉が美しい神社といわれている。
 上賀茂神社と下鴨神社は、源氏物語や枕の草紙などの古典文学や詩歌などによく登場しており、京都でも格式の高い神社である。できれば早期に上賀茂神社の参拝を果たし、新緑と紅葉を愛でながら、歴史を回顧したいと思った。         


蹴上疏水公園のナイヤガラ瀑布

2008-01-14 21:39:08 | 琵琶湖疏水

  毎年のように正月を過ぎると、第一疏水の水を止めて水路の掃除や改修を実施するようになった。したがって、その間は第二疏水の水だけで必要量をまかなっていることになる。
   今年も1月14日に散策したときは、蹴上疏水公園にある大神宮橋下の第一疏水の水は止まっており、田邊朔朗像の裏側にある発電所取水口横にある洗堰が力強くオーバーフローしていた。この外見がアメリカとカナダの国境にあるナイヤガラ瀑布に似ているので、私は数年前から「蹴上のナイヤガラ瀑布」としてホームページに紹介してきた。今年の停止期間はかなり長いと聞いているので、ぜひ見学してほしい。
       
   鉄柵の間にカメラを入れて写す          集められた排水は蹴上放水路へ

   また、この間は鴨東運河の水位も下がり、珍しい風景として南禅寺舟溜りに注ぐ白川の合流点には白川砂が堆積しており、鴨東運河に架かる慶流橋から西側の水路を眺めると、堆積した砂地に根を下ろした細長い水藻が水面から顔をだしていた。
       
  白川と疏水の合流点に堆積する白川砂     水位低下で水藻が姿を出す鴨東運河

                                      以上


蹴上の日向大神宮を元旦に参拝

2008-01-09 16:08:52 | 琵琶湖疏水

 琵琶湖疏水を考える場合、大津の第一トンネル東口洞門にある伊藤博文の揮毫した「気象萬千」の石額のすぐ横に「三尾神社」があり、蹴上の第三トンネル西口洞門にある三条実美の揮毫した「美哉山河」の石額の横に「日向大神宮」が存在する。このように見ると、この両社は琵琶湖疏水の大津側の入り口と京都側の出口に存在するので、個人的に“疏水の守護神”と考えている。
 日向大神宮は、蹴上の疏水施設まわりを散策した時や、顧客を案内するたびに参拝しているが、今年は初めて元旦の朝参拝した。いつものように、地下鉄蹴上駅の①番口から三条通に出て左に少し進むと日向大神宮の「一の鳥居」があり、坂道を登っていくと疏水に架かる「大神宮橋」がある。橋を渡ってさらにゆるやかな坂道を登ると「二の鳥居」に達するが、元旦の朝のため参詣を終えた人と多く出会った。途中にある公家味噌の看板のところに三条通につながる車道があるので、大神宮前の奥の広場には約10台の車が駐車していた。「一の鳥居」からゆるやかな登り坂の参道を約15分進むと広場に達する。   
                       疏水に架かる大神宮橋          元旦の参詣者で賑わう本宮前の広場

神宮という名は天照大神を祭神とする伊勢神宮の呼称であるが、江戸時代には鹿島神宮と香取神宮を含めた3社があった。明治以降になって皇室祖先神や天皇を祭神とする神社の多くが社号を神社から神宮に変えている。京都には平安神宮や白峰神宮があり、大津には近江神宮ができた。大神宮の呼称は天照大神を分霊した神社に付けられ日本各地に存在するが、日向大神宮も明治維新前は、日向の宮・日向神社・粟田口神明堂・日岡神明宮などと呼ばれていたそうである。
日向大神宮は京都最古の宮で、外宮や内宮が存在するので「京の伊勢神宮」として有名で、昔は東海道を往来する旅人の道中の安全祈願や伊勢神宮の代参としての参拝客が多かった。いまでも都会地にいることを忘れるくらいの静寂さと風情をもった場所である。
日向大神宮の由緒や史跡の内容については、近くホームページで紹介する予定であるが、手すりのついた石段を登った社務所のある広場に外宮があり、さらに石段を登った高所に内宮が存在し、いずれも京都では珍しい神明造りの建物である。
      
     日向大神宮の外宮               一段上の奥にある内宮

また、内宮の向かって左手を少し登ったところに「天の岩戸」という洞窟があるが、内部に祠があり中に開運厄除けの神が祀られている。また境内神社として10社が存在する。
早朝の参詣には“いのししに注意”の貼紙があるくらい雰囲気のある場所であり、交通も至便である。また東山トレイルの中継基地であり、大津・山科・南禅寺・大文字山に通じる道がある。紅葉の場所としても有名であり、お薦めできる散策場所である。


エスペラント学習の思い出

2008-01-03 17:29:56 | その他

 昨年(2007)8月に、第92回世界エスペラント大会が横浜で開催され、世界57ヶ国から1900人のエスペランチストが参加したと新聞が報じた。これは、日本でエスペラント運動が開始されてから100周年(2006)の記念事業として、(財)日本エスペラント学会が招集したものであった。
 エスペラント語は、1887年(明治22年)にユダヤ人の眼科医ザメンホッフ氏が、民族や国家の壁を超える国際共通語として考案したもので、その文法や語彙が簡便なため英語圏以外の国から利用が始まり、現在世界に100万人、日本では1万人が使用していると言われている。
 私は小学校時代からの切手蒐集マニアで、大学時代でも世界の動物切手の蒐集には、生活費の一部を切手購入に回すほどであった。そのころ、学友(故人)の一人からエスペラント語で世界の人と文通すれば、世界の切手が容易に集まるとのアドバイスを受けた。
 当時は、太平洋戦争が終わった6年後のことで、日本は進駐軍の管理下にあり、外国との文通などは考えつかない発想であり、その友人から基礎指導を受けることになった。

 最初にいただいたのが「エスペラントの鍵」という小冊子(8×11cm角、30頁)で、小さい活字で簡単な文法とエス和辞書が書かれていた。手のひらに乗る小さな薄い冊子で勉強できるので、夢中になって読み返した。この冊子は世界各国で同じ内容のものであることを知った。
       
    スエーデンと日本で発行の「エスペラントの鍵」      最初に購入した和エス辞書とテキスト

 最小限必要な参考書として、白水社から昭和25年(1950)に発行された「エスペラント第一歩」で、定価150円、昭和26年1月に購入した。そして、(財)日本エスペラント学会から昭和24年(1949)に発行された「新撰和エス辞典」を500円で購入したが、現在も大切に保管している。今から50年以上前の話である。
                  
 少し自信ができて、エスペラント新聞に掲載された海外の文通相手を選択し、自己紹介と文通希望内容を記載した手紙の発信を開始した。最初にあった返信はブルガリアのボビスラフさんからで、活字と間違うくらいの筆跡のため理解し易い内容であった。
 その後、日本人という珍しさと封筒の表面一杯に日本低額切手や記念切手を貼った美しさが評判を呼び、スエーデン、チェコスロバキア、フインランド、フランス、ブラジルなど世界各国に文通の幅が広がっていった。
        
          初期に受信した北欧からの手紙             送付されたエスペラント語の小冊子

 当時、私は大学を卒業して就職した前後の時期で、最終的にはスエーデンの切手蒐集家のフオルケローゼン氏に絞られ、数年間でかなりの切手交換をおこない、初日カバー切手(切手発行日の消印付封筒)を交換しあう関係となった。
 また、国によっては途中で開封を受けたり、左翼運動のパートナーを求める人であったり、日本人形の送付を希望する20歳未満のお嬢さんなどもいた。

 そのうちに、私の仕事が多忙となり、相手の希望する切手の調査購入が難しくなってきて、文通は自然に途絶えてしまった。その後切手蒐集を止めたので、エスペラントを思い出す機会はなかったが、新聞記事で国際会議の記事を読み、50年前の記憶がよみがえり、残っていた一部の資料を見直してみた次第である。最近、図書館で小林司氏の「ザメンホフ・世界共通語を創ったユダヤ人医師の物語」を借用し、苦難の道を歩んだザメンホフ氏の生涯を知り感激した。また、京都に平成18年にエスペラント会館が発足してと聞いているが、エスペラントの今後の更なる発展を期待するものである。また、日本で琵琶湖疏水が完成する前の時期に世界に共通するエスペラント語を考案したザメンホフ氏の先見性とその偉業に改めて敬意を表したい。