平成21年1月度ホームページ投稿項目

2008-12-31 14:50:08 | 琵琶湖疏水

 ホームページ(http://www.geocities.jp/biwako_sosui/)の1月分として、下記5件を投稿しましたので、お立ち寄りください。

324話  分類  雑件・その他・27項(G-02-27)
      題目  秋の紅葉見学記(08-1) 湖北の鶏足寺
      要旨  湖北木之本町にある紅葉の名所・鶏足寺の訪問記
325話  分類  雑件・その他・28項(G-02-28)
      題目  秋の紅葉見学記(08-2) 神戸森林植物園
      要旨  昭和15年に創設された神戸森林植物園の紅葉見学記
326話  分類  散歩道・山科疏水36項(B-02-36)
      題目  山科疏水の散策(23) 落葉の季節
      要旨  紅葉から落葉に移る12月初旬の山科疏水の散歩道
327話  分類  文化・芸術石額9項(F-02-09)
      題目  第一疏水の洞門石額の説明板(案)
      要旨  トンネル洞門の石額6枚の説明板(案)の作成
328話  分類  雑件・京都の歴史9項(G-01-09)
      
題目  「京都御苑歴史ふれあいの道」の散策(1)
      要旨  散策会への参加記録(1)


2008年赤穂義士まつり見学記

2008-12-24 22:54:07 | 歴史と散策

 昨年は行列の見学とともに、ゆかりの寺院である瑞光院(山科区)と本妙寺(左京区)を参詣し、要旨をホームページに見学記を紹介したが、今年は行列を旧三条通で見学し、ゆかりの寺院である妙蓮寺(上京区)を参詣した。
                           
 今年の私のテーマは、四十七士か四十六士かである。この課題には多くの報告があるが、討ち入りを果したあと、主君長矩公の墓に報告に行く途中に姿を消した足軽寺坂吉右衛門の行動を個人的な理由にもとづく“逃亡者”と見るか、大石内蔵助からの密命を帯びて離脱したかで別れる。瑞光院には四十六士の遺髪塔があり、本妙寺には四十七士の木像がある。妙蓮寺には四十六士の遺髪墓があり、山科の義士列は四十七士である。
 
   妙蓮寺(上京区堀川寺の内)を参詣したとき、入り口に「赤穂義士遺髪墓」と題した説明板があった。これを読むと寺坂吉右衛門の討ち入り後の行動に関する記載がある。
       
    バス停・堀川寺の内の近くにある妙蓮寺    最近建てられた赤穂義士の説明板
                    
 説明板の全文を紹介する。                                                                         
              赤穂義士遺髪墓
 当山内東北の境内墓地に、平成十四年二月に再建された赤穂義士四十六名の遺髪塚が存在す。元禄十四年(1701)勅使下向の接待役であった赤穂藩主浅野長矩が、越中典礼の儀にて恥をかかせた吉良上野介を刀で斬りつける事件を発生させた江戸城中では許されぬこの事件の罪で、浅野は切腹となった。
 主君の仇を討たんと決起した赤穂藩の家臣大石内蔵助(良雄)ら四十七名が吉良邸に討ち入り上野介を討ち取ったが、罪により切腹となった。その四十六名の遺髪を同士であった寺坂吉右衛門が赤穂城下への帰路途中、京伏見に住む片岡源右衛門の姉宅に立ち寄り、当時の事情により遺髪を託する。
 赤穂義士の遺髪は、主君の三回忌にあたる元禄十七年二月この姉が施主となり菩提寺である当山に墓を建立し納められた。以後三百年の風雪により損傷甚だしいため、当山により再建された。                     平成十四年二月
                   本門法華宗    大本山妙蓮寺                          

 真実は三百年の歴史の中でどう変化したかわからないが、主君の敵討ちに参加した四十七士を称え、切腹して遺髪を残した遺髪墓は四十六士でよいと考えたい。

   もう一つの話題として、“アクア琵琶からのメールニュース”Vol- 116(08-12-10)に「忠臣蔵と琵琶湖」と題した小文がある。大津市に大石という名の地名があるが、瀬田川はこの辺に無数の奇岩や巨岩が川の中に突出していたので、大石の名があって、大石家は代々近江栗田郡大石庄の下司職を務めてきた。大石良雄の曽祖父良勝が浅野長直に仕え、大阪の役で活躍して千五百石の家老になった。大津市大石の「佐久奈度神社」には、良勝が奉納した絵馬が残されている。
   これからも、滋賀・京都にある赤穂義士の話題を尋ねてみたい。


堀川水路工事が押小路橋まで進行

2008-12-19 13:48:37 | 琵琶湖疏水

 平成12年(2000)度から検討された「堀川水辺環境整備事業」は、平成16年(2004)度から着工され、疏水第二分線から加茂川の底をくぐり、紫明通を経由して堀川通を南下し、二条城の堀につなぐ大工事であり、平成22年(2002)完成目標に進行している。
 これが完成すると、コンクリート底であった堀川に、琵琶湖疏水の水が復活することになり、濁っていた二条城の堀もきれいになると期待されている。
 この工事状況については、本ブログでも31番(08‐04-17)と61番(08‐09‐12)で経過報告してきたが、今回の調査によると、8月時点で未着手だった椹木町橋以南の工事は、押小路橋以北まで進行していた。
       
     堀川に架かる二条橋以北の工事状況    堀川に架かる押小路橋以北の工事状況

 当初の計画から見ると少し遅れ気味であるが、おそらく来年3月(20年度末)には堀川通に面した工事が終了し、二条城の堀の浚渫と接続工事が22年度に完了するものと想像される。今日の新聞報道によると、市内産間伐材を用いた堀川通の横断防止策の設置される予定となっており、堀川界隈のイメージアップにつながると期待されている。


西陣織のモネ「真夜中の睡蓮」を見学

2008-12-14 16:06:48 | 美術と文芸

 京都新聞の朝刊第一面に、印象派画家モネの代表作「睡蓮」が西陣織で製作展示されたと報道され、その美しい映像に驚いた。睡蓮の花に織り込まれた蓄光成分が、暗がりの中で浮かび上がる工夫がされている。これを展示しているのは、帯地メーカー「西陣あさぎ」が運営している松翠閣「西陣織工芸美術館」(上京区)で、訪問見学させていただいた。
 地下鉄・二条城前からバスで堀川通を北に進み、堀川寺ノ内で下車し、寺ノ内通を西に進み、大宮通との交差点を100m弱西に進むと美術館に達する。
        
      松の緑が目印の松翠閣          純和風建築の「西陣織工芸美術館」

 入場料200円を支払い、前庭と坪庭に挟まれた2室のミュージアムで西陣織とは思えない精巧な書画に接して感銘し、2階の部屋で、西陣織の浮世絵や印象派画家の絵画に2回目の感銘をし、最後に8畳間くらいの蔵に案内された。壁面の三面一杯に西陣織のモネの睡蓮が描かれ、照明を変えると睡蓮は朝・昼・夕の表情となり、照明を消すと蓄光糸を織り込んだ睡蓮の花が蛍光グリーンの光を放出して浮かび出て、3回目の感銘を受けた。この間30分くらいの間、係の女性が同道して熱心に解説してくれた。
   この作品は、「真夜中の睡蓮」と題して横幅12m、縦1.8mあり、18枚の織物(帯地)を組み合わせて製作された壁画である。この美術館は、昭和14年(1939)に建てられた町屋を改装して平成14年(2002)に美術館としてオープンしたもので、西陣織の近代絵画が和風の建屋と内装によくマッチしている。

   モネの睡蓮の壁画で有名なオランジュリー絵画館には、横幅90mの大壁画(8枚で)が存在する。私が訪れたのは平成4年(1992)11月である。パリの中心部にあるチユイルリー公園内のコンコルド広場にあり、開館待ちの行列のほとんどが日本人旅行者であった。
                 
   この絵画館にある「睡蓮の間」は楕円形の2室からなり、それぞれに4枚、合計8枚の細長い睡蓮の絵が展示されており、中央部に長椅子があって離れて鑑賞することができる。
   日本語で書かれた解説書も販売されており、よく理解することができた。

   モネは74歳からこの作品に取り組み、死去するまでの12年間かけて描かれたもので。生前に国へ寄贈を申し出て実現されたものである。このオランジュリー美術館は、平成12年(2000)1月から大改修に入り、約45億円かけて6年の工期で、平成18年(2006)5月に新装完成している。この工事により天井部から自然光が入り、モネが愛した陽光の入る部屋に改造されたのである。
   一方日本では、蔵内部の暗闇の中で鑑賞する工夫ができたのである。印象派絵画の新しい鑑賞法が提案されたのであるが、これを支える織物技術やコンピューター技術の活用をベースにあり、美術分野にも新しい時代の到来を強く感じるこの頃である。
   参考までに松翠閣のホームページを紹介する。  http://www.shosuikaku.jp/


府立植物園、秋のシンボル・フウの木

2008-12-05 13:13:17 | 植物と動物

   府立植物園に入場するとき、入園案内とともに「きまぐれ園だより」という手書きの資料をいただくが、発行以来200号を迎えた。これに加えて紅葉のシーズンには「もみつ情報」という紅葉・黄葉の見所という資料がいただける。園内の地図に文章が重ねてあるのでわかりにくいが、慣れると極めて参考になる。
   12月2日発行の「もみつ情報」によると、フウの木が週刊朝日11月21日の特集号で紹介され、“圧倒的迫力・これを見ずに帰れない・全国にフアン多く・大注目の人気”と園長さんが絶賛している。今朝の京都新聞にもカラー写真で“紅葉圧巻”と大きく紹介された。
 このフウの木は、北山門からまっすぐ入って噴水の先にある笹園の道を進むと、左手のあじさい園の中に存在する。樹齢約100年で高さ25mもある巨木が赤黄色に輝いているので、その迫力は格別である。
      
    葉が大きく独特の色彩が楽しめる     相当離れないと全景写真が撮れない

 マンサク科フウ属の樹木で、台湾~中国南部原産の落葉高木であり、江戸時代の享保年間(1720年頃)に渡来してもので、成長が早く、原産地では40~60mの大木になる。
 南国では街路樹に採用されており、日本では鹿児島で実用されているようである。また、フウの木にはいくつかの種類があり、植物園のものはタイワンフウとよばれるものであるが、近縁種である北米原産のモミジバフウが大正時代に渡来し、利用が広がっている。
 山科疏水の安祥寺川沿いに高さ14mのモミジバフウがあるが、「区民の誇りのき」に選定されている。
   「もみつ情報」の“うんちく”欄に『もみじ』と『かえで』と題して、『もみじ』…秋になって葉の色が変わることを「もみす」、色を「揉み出す」から『もみじ』…、『かえで』…カエル(蛙)の手のような形の葉をカエルデ→カエデ→かえで…と説明しているが、フウの木の漢字は楓である。楓の音詠みは「ふう」で訓詠みは「かえで」であり、同じ紅葉を楽しめる異種の樹木の通称が重なっているのは私の知らない秘密があるように感じる。