ブログ262 ベランダの観葉植物の避寒移動

2016-01-05 16:51:51 | 植物と動物

 昨日、9月から12月上旬まで我が家のベランダで目を楽しませてくれた「フウセンカズラ」の種取りをした。ツルやポールなどすべて取り払ったため我が家のベランダはすっかり冬模様になった。

   

          フウセンカズラ                                      フウセンカズラの種

  気温が急に下がったのでベランダの観葉植物類をベランダの小型ガラス温室と室内棚に避寒移動した。「シンビジウム」と「金のなる木」には2個ずつつぼみがついており春が楽しみである。我が家にはたくさん金のなる木の鉢があるが花が咲くことがなかった。聞くところによると「金のなる木」には花のつく種類とつかない種類があるそうだ。10年ほど前に滋賀県長浜の盆梅展を見学に行った折、昼に立ち寄った寿司屋にあった「金のなる木」が満開であったため何枚か差し芽用の葉を分けてもらい、去年初めて花が咲いた。今年もつぼみが見られ春が待ち遠しい。

  

             ベランダの温室へ移動した不夜城             室内へ移動したシンビジウム・サンスベリア・木立ベゴニア

 

              シンビジウムのつぼみ                               金のなる木のつぼみ

 


ブログ261 松花堂庭園・美術館の見学記

2015-11-25 16:32:16 | 歴史と散策

 今年の5月に八幡市にある松花堂庭園・美術館を訪問したので概略を紹介する。
「小川治兵衛」の名を継ぐ「造園植治」の次期十二代小川勝章氏が2013年10月26日付京都新聞で「飛び石の配列 絶妙」と絶賛していたので興味を持ち訪れた次第である。
 私自身金沢の旧制高校時代にお茶のサークルに属しており、松花堂が松花堂昭乗(書道・絵画・茶道に堪能な文化人)ゆかりの地であることも興味をもったきっかけのひとつである。

 ご参考までに 現在松花堂美術館では12月13日(日)まで平成27年特別展-ようこそ、神と仏の男山へ-石清水八幡宮太子堂の遺宝-を開催している。    

  

またここは「松花堂弁当」の由来の地としても有名である。

   図は庭園公式カタログより引用


ブログ260 柳が崎湖畔公園見学記

2015-11-11 17:49:45 | 歴史と散策

 びわ湖バレイ訪問の後、時間に余裕があったので大津京の柳が崎湖畔公園を訪れた。

 公園内にはびわ湖大津館があり、ここは1934年に琵琶湖ホテルとして竣工。2000年に大津市の有形文化財に、2007年に経済産業省の近代化産業遺産に指定されている。1998年に琵琶湖ホテルが浜大津へ移転した後大津市が買い取り修復、文化施設にリニューアルされ2002年に公開された。
 同時にびわ湖大津館の東隣りに5900㎡の英国式回遊庭園を造成、公開している。(ウィキペディア等より)

 私は2002年(13年前)の秋に訪問したことがあり今回が2度目である。
 ハロウィーンの時期ということもありさまざまなカボチャ等の飾りがしてあり、アメジストセージが満開、10月桜や秋バラがきれいに咲いていた。

 

           庭園の入り口                             ハロウィーンの飾りつけ

 

            大きなカボチャ                             カボチャの重さ当てクイズ

               満開のアメジストセージ

             秋バラ


ブログ259 びわ湖バレイの見学記

2015-11-11 17:40:07 | 歴史と散策

びわ湖バレイの概要(ウィキペディアを参考)

 1965年、産経新聞社がサンケイバレイとして開設。当初全長約2㎞のカーレーターが23分山麓山頂を結んでいた。開設されたその年の秋、勤務先の遠足で家族4人が参加しカーレーターを訪問した写真が我が家のアルバムに残っている。
 1968年名鉄に買収されびわ湖バレイと名称を変え、1975年10月カーレーターを廃止、ゴンドラリフトが開業され所要時間が8分に短縮された。
 2008年に老朽化したゴンドラリフトを廃止。121人乗りの大型ロープウェイが営業開始した。
 今回私が訪問し、利用したのはこの大型ロープウェイである。紅葉の季節で来客が多いと予想し、混雑を避け早朝に家を出発し、始発(9時)のロープウェイに乗った。

                  びわ湖バレイの全体説明図

 

           大型ロープウェイ                             琵琶湖展望台付近の花畑

 

          ロープウェイからの眺め                     ロープウェイから琵琶湖大橋の南北を望む

   


ブログ258 琵琶湖の近況の新聞記事紹介

2015-04-11 15:39:14 | その他

2015年3月17日より「琵琶湖遠近(第2部見つめる寄り添う)」と題した琵琶湖の最近の動きが5回連載された。京都新聞滋賀本社琵琶湖取材班によりその内容がわかり易くまとめられているので参考までに引用させていただいた。

1.せっけん運動はいま(水質守る志雨水利用に)

 

2.遠のく子どもたち(水辺の楽しさ伝え方模索)

 

3.固有魚復活への壁(多様な遺伝子放流で配慮)

 

4.新しい関わり方(ヨシ適地再生事業で責任)

 

5.撮り続けて(新たな危機足運び気付く)

 


ブログ257 2年ぶりに毘沙門堂を参詣

2015-03-24 15:16:07 | 歴史と散策

久しぶりに車に同乗して毘沙門堂を参詣して来た。有名な「しだれ桜」の新芽も大きくふくらみ、梅の古木の花に春を実感することができた。

         

         

      

     

                          


ブログ256 山科疏水いの四ノ宮船溜から御陵に向う水路の近況紹介

2015-03-23 13:12:45 | 琵琶湖疏水

山科疏水の安朱橋の東側に沿って地元のボランティアグループが「菜の花の苗」を毎日植えており今年もきれいに咲き始めている。野生の鹿が食するので防護用網がついている場所もあったので紹介する。

安朱橋の東側数十メートルの所に疏水船の試験運行のための仮設桟橋のも進行しており春の運行準備が着々と進行している。

 

 


ブログ255「かんかんぼう(閑々坊)」という名前の由来(その2)

2013-03-12 02:46:02 | その他

 「かんかんぼう(閑々坊)」という名前の由来(その2)

1)まえがき

 私が化学系会社を72歳で正式に退職したのが平成12(2000)年6月であったが、原稿の活字化や印刷は秘書部の担当であったので、最初に取り組んだのが「パソコン機器一式」の購入で、自分でワープロを打てる体制の確立であった。平成13(2001)年頃から琵琶湖疏水周辺の散策を開始し、その結果をパソコンで文章化して記録を蓄積し、平成15(2003)年にまとめて「琵琶湖疏水の散歩道」と題した冊子を500部作成し、京都新聞出版センターから発刊した。この3年間は充実した時期で、高齢という意識は全く無かった。幸いにも近隣にパソコンのハードに強い息子一家やソフトに強い娘一家が居て、立ち上げの指導

をしてもらった。当時、琵琶湖疏水を歩いて楽しむという発想が珍しい時期で、話題性も大きかったが、アドレスとして採用したkankanbowの名前に関する質問が多かった。

 一方、私自身もホームページ投稿としては少し重く感じる原稿も増えてきたので、平成19(2007)年秋にホームページと並行してブログを開設し、その第1号に下表(要旨)を投稿している。

 

平成19(2007)年11月28日投稿 (ブログ001)

「かんかんぼう」という名前の由来(その1)

自己紹介を兼ねて掲題の小文を作成した。一般に「カンカン帽」というと、明治末から昭和初期に大流行した帽子(紳士が外出するときに着用するストローハット)を想像するが、私のカンカンボウ(kankanbow)は、旧制中学後半から旧制高校にかけて俳句を作っていた時の「閑々坊」という俳号に由来する。「閑々坊」とは、毎日が暇で困っている退屈な人という意味ではなく、多忙な中でも余暇を見付けて楽しむことを忘れてはいけないことを意味したものであった。
 太平洋戦争の末期に徴兵リスクを避けて技術将校の道を進むため、考古学者になる夢を捨てて旧制高校で理科甲類を選び、終戦後になって大学では化学の分野を専攻して化学系企業に就職し、約50年間を研究開発一筋に過した。70歳を超えて退職し、迷いなく全く遠ざかっていた地理・歴史・環境・園芸などの世界で趣味の道を探して第二の人生を楽しむことにした。選んだ道は大津市と京都市に関係する「琵琶湖疏水」というテーマであった。
 退職後約7年を経過したが、その間に「琵琶湖疏水の散歩道」と題した冊子を京都新聞出版センターから刊行(2003年春)させていただいた。同年秋には「琵琶湖疏水を語る部屋」と題したホームページを開設した。いつしかボランティア活動のつもりでスタートした趣味の世界が多忙となり、「閑々坊」では無くなって来た。この時にメールアドレスとホームページにハンドルネームとして採用したのがkankanbowの呼称である。  

この間ホームページの投稿件数は順調に増加したが、私が興味を持つ分野はもっと範囲が広いので、気楽に取り組める「ブログ」を「ホームページ」に並行して開設(平成19(2007)年秋)した。

     

 

   2)山科区役所主催の山科魅力発信プラットフォームの全員集会に参加して

 「琵琶湖疏水」というテーマに取り組んでから、多くの団体や個人愛好者との交流が進んだが、浅く広い課題であり、地元の山科地区との交流は一番最後となった。山科地区との交流の最初は、京都橘大学の織田直文教授が主導する「山科盆地景観研究会」に途中参加して、メンバーの一人であった土山年雄さんが主導する「やましなを語りつぐ会」に加入するキッカケとなった。その中で私自身の紹介は“本名”が中心となり、“kankanbow”というハンドルネームを知っている人は限定されていた。

山科区役所がスタートさせた「山科魅力発信プラットフォーム」への途中参加も最近のことであった。今回の全員集会にも多くの知人が参加していたが、私が胸に下げた名札「閑々坊」は、「やましなを語りつぐ会」所属の過半数が知らなかったようで、多くの人から名前の由来の質問を受けた。そして私自身も日常パソコンで私のホームページやブログを閲覧している人だけが知っている特殊呼称(kankanbow)であることに気付いた。

また、山科地区以外の人との交流は、私のホームページやブログの閲覧が最初のキッカケとなったケースが多いので、交流者から“kankanbowさん”ですね?と声をかけられることもよくあった。

山科地区には多くの歴史地理愛好者がおられ、代表的な団体としては「語りつぐ会」と「ふるさとの会」が特徴ある活動を推進しているが、相互の交流の場がきわめて少ない。一部の人が両方の会に加入されている。今回の区役所が主導する全員集会は、この両者の団体が交流する場として有用と考えられ、今後運営面でも充分に配慮してほしいと感じた。同時に今回の山科区役所の熱心は活動には心から敬意を表したい。

もう一つ付け加えると、H18(2006)年10月に発足した「語りつぐ会」は、H17(2005)年に発行された「モノクロームヤマシナ」の編集が契機に誕生し、京都橘大学の木下達文先生の指導下に支援組織として活動し、その成果として略称「京都山科・東西南北」誌が平成22(2010)年に発行されている。

私が「語りつぐ会」の例会で、新会員として紹介されたのが平成21(2011)年9月であり、「東西南北」編集に全くタッチしていない。最近になって「東西南北」誌を熟読してみて、うまく纏めてあることを改めて実感している。「山科魅力発信プラットフオーム」の活動には10年以上の歴史背景があることも再確認した。そして次回に発行される「東西南北]続編に向けて勉強し、協力したいと考えている。     


京都山科の琵琶法師と「四ノ宮琵琶」の話題

2012-11-17 11:56:32 | その他

  今朝の京都新聞(2012‐11‐14)の地域欄のトップ記事として、京都市山科区四ノ宮に伝わる琵琶法師の記事が大きく掲載された。この記事は11月17日の夜に山科区の隋心院で演奏される「四ノ宮琵琶」の紹介である。演者である小谷昌代さんは、今年の6月に自ら名付けた「四ノ宮琵琶」の演奏を初披露してから大津市を含む近隣各地で発表をしてきたので、地域では知られた話題になりつつあるが、しかし地域の外ではまだ知られていない段階である。

  小谷さんは、山科疏水のほとりに住まれており、私が数年前に作成した「琵琶湖疏水の歴史散策」のデザイン・編集・発行業務を担当したいただき、今回の改訂版の作成時期が多忙な「四ノ宮琵琶」の発表・普及時期と重なったので、かなり迷惑をかけたと感謝している。また、山科区に立地している橘大学の「山科盆地景観研究会」や山科区役所まちづくり推進課が発行した「京都山科東西南北」誌のイラスト担当者として、その活躍範囲は山科区全体に及んでいる。

  私も四ノ宮近隣に在住しており、「山科絵」や「四ノ宮琵琶」の話題は嬉しいニュースであり、ネットに登場する機会を増やす目的で記載させていただいた。

  この記事を書き終わった直後に、青空だった東の空が突然急雨となって、美しい虹が懸かって数分で消えた。珍しい現象であるが、この記事を祝福してくれた感がした。

       

「四ノ宮琵琶」はオリジナルな話題であり、少し詳しく記載するつもりであったが、小谷さん自身が作成しているブログに10頁の写真入り記事があり、下記4項目に分けてわかりやすく紹介されている。琵琶という特殊な世界と四ノ宮琵琶の特徴が簡明にまとめられているので、下記ブログを開封して読んでいただきたい。

1)ミステリアスな琵琶ルーツ

2)四ノ宮という地名

3)四ノ宮琵琶とは?

4)誰もが自由に想像のままに

http://repepp.web.fc2.com/shinomiyabiwa.html


京都府立植物園の花ハスを見学

2012-08-02 23:02:13 | 植物と動物

   気温が体温を越える暑さの毎日で、外出の機会が極端に少なくなるこの頃であるが、京都花蓮研究会が植物園で7月10~8月19日の期間「花ハス展示会」を開催しているという新聞記事に誘われて、家族3人で見学に訪れた。植物園の北山門入り口で、係員にベストコースを相談した結果、日射を避けて右手の針葉樹林への道を進み、途中から左手の「半木の森」への道に入り、半木神社を囲む最初の池に突き出した小屋風の展望コ-ナ-で「満開の白ハス群」を見学し、そのあと改装された「四季 彩の丘」に並べられた180種200鉢のハス(本日の花付きはよくない)を鑑賞するコースを薦められた。

 

    池に群生する白ハス 2012-07-27-4958                 鉢植えの赤ハスの大輪  2012-07-27-4963

 

 展示会場に「ハスは日本の花か?」というパネルがあり、“昔は、ハスの伝来は仏教の伝来とともにインドから日本に伝わったという説が有力であったが、2000年以上前の地層から蓮の種子が発見されたり、7000万年前の化石から発見された結果、現在ではハスは古来から日本でも自生していたと考えられている。しかし、稲作の導入で湿地帯の開墾や開鑿が進み、ハスの自生地が失われていった”と解説している。

  もう一枚のパネルでは、「ハスとスイレン」との違いについて解説している。“今までの考え方では同じスイレン科の植物として分類されていたが、近年の遺伝子配列による分類では、両者はかなり縁の遠い植物であることがわかってきた。

  また、ハスの根は“レンコン(蓮根)”といって食用しているが、スイレンの根にはハスのような穴は開いていないし、スイレンの葉には切れ目があるが、ハスの葉にはない。

  このように、植物の進化には環境の変化や共生する動植物の変化などから思わぬ変化が起こっている。東南アジアでは、ハスの花托(緑色)を野菜として生で食用する習慣があり、また出来た種子を土中で長期間発芽能力を保持できるよう堅い茶色の皮で保護されているという。ハス文化の広がりは各地に根付いていることを実感した。

 

 初期の緑色花托は食用に 2012-07-27―146                 堅い皮の穴にハスの実 2012-07-27-147